ストレンジツインズ 兄妹と銀紫の魔女 6


 兄を引っ叩いた後、ティラは部屋まで走って帰ると、扉を閉めてベッドにもぐりこんだ。毛布を頭から被っても、寒いわけでもないのに体が震えた。普段アホ面しかしない兄は、たまに真剣な顔を見せたり、たまに切れたり怒ったりはするけれど、あんな顔は見たことなかった。
 少女に刀を突き付けた兄からは、本気の殺気を感じた。だから本気で止めたけれど、そうでなければ多分、殺していただろう。
 ――殺して。
 また、ぞくりと肌が粟立った。
 そうしなければ、自分が傷つけられていたかもしれない。或いは死んだかもしれない。今は連れ去られるだけでも、ゆくゆくどうされるかなど解らない。ユリスと最初に対峙したときに覚えた死の恐怖は、今でもときに体を縛る。家にいた頃は縁のなかった命のやりとり。生きるか死ぬかの世界。戦乱の世ならともかく、ティラはそんなことを感じたことはなかった。でもそれはきっと、両親やリゼルにいつも守られていたから。縁がなかったのではない。ぬくぬくと温かい場所にいただけだ。
 だから、兄を恐ろしいと感じるのは筋違いだ。――なのに、あの瞬間を思い出すと震えが止まらない。恐ろしくて仕方なかったのに、どうしてあんなに冷静でいられたのか、自分が解らないくらいに。
 そうしてベッドの中に潜って震えながら、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
「……ティラ」
 ふいに聞こえた声に、ティラはベッドの中で硬直した。よく聞き慣れた声。恐らくは、記憶のない産まれたすぐ直後から、すぐ傍にあった声なのに。
「ティラ、起きてる?」
 一瞬寝た振りをしようかと思ったが、何の解決にもならないことが見えすぎていて、止めた。まさか永遠に寝たふりをするわけにもいかないだろう。それに、あんなことのあとに何事もなく寝られるような性格じゃないことを、兄は誰より知っている筈だ。
 重い体はまるで言うことを聞かなかったが、それでもティラは起き上がると、毛布から顔を出した。宵の口だった筈の外はもう白み始めているようで、部屋の中は薄明るくなりはじめている。その弱々しい光より輝く銀髪に目を細める。
「……寝てるわけないよね」
 見透かしたような笑みを見せる兄に、ティラは泣きだしそうになるのをこらえた。もやもやしたよくわからない感情が胸につかえたが、少なくともそれが畏怖ではないことに自分でほっとする。
「……ごめんなさい……」
 自分のものかと疑うくらい掠れた声が唇から零れ、半分はそれが本当に自分の声なのか疑いながらも、半分は素直に謝れたことにほっとしていた。
「叩いたりして」
「いいよ。俺が悪かったもん」
「兄さんは悪くなかった……」
 悪いのは簡単に捕えられてしまった無力な自分だ。なのにリゼルは首を横に振った。
「悪いよ。ティラを泣かせた」
 言われて初めて、ティラは自分が泣いていることに気付いた。どうりで視界がはっきりしないわけで、あわてて目元を拭っていると、リゼルがいつの間にか隣に腰を下ろしていて、そっと頭を抱きかかえられた。
「怖い思いさせてごめんね」
 泣きやもうと思ったのに、優しい声に余計涙が溢れた。泣きやむことも拭うことも忘れて、頭を預ける。もう頭がうまく回らなかった。
「話があるんだ、ティラ」
 なのに、改まってそんなことを言う兄の声が、止まった思考をまた狂わせる。もう何も考えず眠ってしまいたいのに、続く兄の言葉はそれを許してくれない。
「俺はこの件から手を引けない。あいつらはティラを狙っているし、サーラさんも狙われている。でも、ティラを危険な目には合わせたくないし、さっきみたいになるのも嫌だ。だから、ティラ。家に帰ろう?」
 あれほど溢れた涙が、枯れてしまったように止まった。最後に流れた一筋が、ぽつりと膝の上に落ちる。
「……兄さんは?」
「俺も帰るよ、いずれは。……この件が終わったら、そろそろ帰ってもいい頃かもね」
「一緒じゃないと、いやだ……」
「一緒にいる為に、やることやってから帰るから。俺がティラに嘘ついたことある?」
 兄の碧眼が優しく瞬く。真っ直ぐ見られて、ティラはしぶしぶと頭を横に振った。満足げにリゼルが微笑んで、負けたような気分になる。
「ティラに嘘はつかないよ。でもティラは嘘をついてる」
 兄は決して目を逸らさない。結局ティラが目を逸らすことになって、いよいよティラは負けを認めた。
「父上や母上に黙って出てきたでしょ?」
 悪戯を諭す、それはまさしく“兄”の声だった。全然似ていないのに、どこか父を思い出してしまうような、穏やかな声に、もはやティラには何を言い返すこともできなかった。全部兄が見透かしている通りだ。
 黙ったまま見上げていると、ふとリゼルは自分の髪を結っていたリボンをほどき、こちらの髪をひと房掬って結びつけた。そうして穏やかなままの瞳でこちらを見て、まるで幼子をあやすような優しい声を上げる。
「……陸連に話を通しておいた。彼らが家までちゃんと送ってくれるから。それまでまだ時間あるから、少し眠った方がいい。眠るまで傍にいる」
 もう何を考えるのも疲れ果てていて、ただティラは慣れたぬくもりに身を委ね、子守唄のような兄の声を遠くで聞きながら目を閉じた。



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