ストレンジツインズ 兄妹と銀紫の魔女 5


 部屋の中にぐしぐしと響く情けない鳴き声に、サーラはついにため息を噛み殺せなくなった。盛大に息を吐ききってから立ち上がり、腰に両手をあてて部屋の隅に向かって三角座りをしているリゼルを見下ろす。
「鬱陶しい!!」
「うええええええんんんん!!」
 だが毒づいたのは逆効果のようで、ついにリゼルは声を上げて泣き出してしまった。いよいよ手を持て余し、サーラがうんざり顔をさらにうんざりさせて身をのけぞらせる。
「だいたい、らしくない。追いかけなくていいのか」
「だってぇ……凄く怒ってたんだもん」
「だからって放っておいたら逆効果だと思うが」
「でもぉ……ティラに嫌われたら俺生きていけないもん……」
 鬱陶しいにもほどがある。
 まだ大人とは呼べないとはいえ、いい歳をした男がこれほどみっともなくぐしぐしと泣くのを、サーラは初めて見た。そしてそれを可哀想だとか、もしくは可愛いと思えるほど、心が広くもないし母性に溢れてもいないのだということを、自覚した。それと同時に、ぶち、と何かの緒が切れた。
「とにかく鬱陶しいから出ていけ! ここは私の部屋だ!」
「やだ、帰りたくない! 泊めて!」
「断る!!」
「お願いー! 何もしないから、多分!」
「死ね阿呆!」
 足に縋ってくるリゼルを踏みつけながら、サーラが切れた声を上げる。魔法のひとつやふたつぶっ放そうかと本気で考え出した頃に、だがリゼルはようやく手を離した。
「……何で怒ってるのか、解らないんだ……」
 ぼそりと呟いたリゼルの顔と声は、本当に途方に暮れた迷子の子供のようだった。かざしかけた手を下ろし、小突いていた爪先を下げて、ブレスレットを鳴らしながらサーラは腕を組んでそんなリゼルを見下ろした。
「君は、正義の味方じゃなかったのか?」
 サーラが何を言いたいのか解らず、怪訝な表情でリゼルは彼女を見上げた。
「さっきのが、正義の味方のすることか?」
「……」
 さっきの一連の出来事を思い出そうとしているのだろう。リゼルが俯き、黙りこむ。
「勘違いするなよ。私は正義なんていう陳腐な言葉は嫌いだ。……でもティエラは、君に正義の味方であって欲しいと思っているんじゃないか? 例え妹を護る為だとしても、簡単に他人の命を奪うような兄であって欲しくはないだろう」
 はっとしたようにリゼルが顔を上げる。だがその目が意外そうなのに気付いて、サーラは目を逸らすと腕組みを解き、髪を払った。
「……君のことは苦手だが嫌いじゃない。だが中途半端に正義を語るような男なら、嫌いだ」
「ありがとう」
 思わぬ謝辞に、サーラは逸らした目を思わずリゼルへと戻してしまった。泣き腫らして赤みの差した碧眼に、だが涙はもうない。それでも涙の後が残る顔は情けないものではあったが、それ以上に気になることとしては。
「何故そこで礼を言う?」
「励ましてくれたんでしょ?」
 立ちあがりながらそんなことを言うリゼルに、思わずサーラは呆けたように口を開けて固まってしまった。
 それから目を伏せ、やれやれというように首を振る。馬鹿にしたような態度だったが、リゼルは苦みのない微笑を浮かべ、だがすぐにそれも消した。
「自分の中にある信じるものを、真っ直ぐ貫けるようになれって。母上は俺にそう言って剣を教えてくれた。それが俺にとっての正義なんだ」
「……君はシスコンなだけでなく、マザコンなのか?」
「え? ま、まあ、ある意味コンプレックスではあるよ。未だに母上に一度も勝てたことないし」
「君の母親は化け物か……?」
 リゼルはどうしようもない妹馬鹿ではあるが、腕だけは確かだということはサーラもよく知るところではある。キメラハンターを生業としているために歴戦の戦士は幾人か見てきたが、その中でも一等若いに関わらず、まったく遜色ない、いやそれ以上の戦いの腕をリゼルは持っていた。そのリゼルが敵わない相手など、サーラとしては敵味方に関わらず、正直関わり合いたくない。
 しかも、化け物か、との問いかけに、迷わずリゼルは何回もこくこくと頷いた。そして心なしか青ざめて額の冷や汗を拭っている。
「化け物です」
「……まあ、その話はいい。とにかく、君には君の正義があって、それを貫く力がある。だったら簡単に我を忘れるんじゃない」
 脱線しかけた話を戻し、サーラがそんなことを呟く。声や口調は冷たいが、紫の瞳は決して冷たくはなく、リゼルはもう一度微笑んだ。だが、根本的解決ができていないので、その笑みは少し困ったような色が混じる。
「うん……、でも、俺……、ティラより大事なものなんてないんだ。ティラがいなかったら何も意味がないよ……」
「……」
 さっきの、途方に暮れた迷子のような顔と声に戻ったリゼルに、だがサーラにはそれを嘲笑することはできなかった。
「それは、解る。私にも大事なものはあるからな。でもとにかく、今は戻ってティエラに謝るのが先決だと思うが」
「うん……」
「それから、ティエラは連盟に属しているのだから、連盟に事情を話して保護して貰うのが安全だろう。やつらは危険だ。ああいうのを何とかするのが連盟の仕事だろうからな」
「……うん」
「元気を出せ。へらへら笑っている方が君らしい」
 ぽん、と軽く肩を叩かれて、リゼルは目を丸くした。そして、妙なものでも見るような目でサーラを見下ろす。何だ、と言いかけたサーラの声を遮って、リゼルは彼女の額に自分のそれを軽くぶつけた。
「熱でも出たの?」
「………………」

 パン、と。
 その直後、先ほどよりも幾分か強烈な音が、再び部屋に響き渡った。



BACK / TOP / NEXT

Copyright (C) 2010 kou hadori, All rights reserved.