10.敵だらけ



 突然の居候に、しばらく家の中はぎくしゃくしていたけれど、それで俺が負担を強いていると思い悩んだのも数日のことだった。しばらく経ってしまえば、驚くほどエドワードは俺の家族に馴染んでいた。
「エドちゃんって軍人さんだったんでしょ? それなのに料理上手なのね〜」
「切るのは得意ですから」
「ああ、なるほど〜」
 キッチンで母さんとエドワードがなんだか物騒な会話をしている。
 家族と簡単な会話をするのには差し支えないほど彼女の日本語は上達していたけれど、さすがに全部理解しているわけではないと思う。でも母さんはやや天然なのであんまり気にしない。結果、横で聞いているとちょっとおかしな会話が交わされていることがある。まあ、本人達が気にしてないから俺も気にしていないけれど。
 そんなことよりも遥かに気になるのは――
「はい」
 エプロン姿で今夜のご飯を差しだしてくるエドワードなのである。
 相変わらず私服は真っ黒なんだけど、エプロンはピンクでフリルつきだ。多分姉ちゃんのなんだろう。姉ちゃんが料理してるとこなんて見たことないから、必然的に姉ちゃんがこれつけてるのも見たことないが。
「咲良?」
「え? あ、はい、アリガトウゴザイマス」
 家族は打ち解けたけど、今度は俺がぎくしゃくしている。ぼんやりしていたことに気付いて、慌てて俺は差しだされた皿を受け取った。湯気の立つホワイトシチューは旨そうだけど、俺の視線はそっちよりもエドワードに釘付けになってしまう。
 だけどリビングに姉ちゃんが入ってきて、俺は慌てて目を逸らした。見惚れてるなんてバレたら何て言ってからかわれるかわかったもんじゃない。
「わぁ、今日はシチュー?」
「ほとんどエドちゃんが作ったのよ。助かるわぁ。楓は全然料理できないものね」
 母さんの言葉に、姉ちゃんがアハハと乾いた笑い声を上げる。
 見ていたから知ってるんだけど、これをエドワードが作ったのだと改めて意識すると、なんだか食うのも緊張する。好きな女の子の手料理は男のロマンだ。まずくても完食当然のところ、これがまた普通に旨いので、思わず三杯おかわりしたら姉ちゃんにニヤニヤされた。

「つくづく不思議だな」
 夕飯の後はエドワードが自ら後片付けを買って出て、母さんと姉ちゃんはリビングでテレビを見ている。俺がエドワードの洗ったものを拭いて仕舞っていると、不意に彼女はそんなことを言った。
「何が?」
「見たこともない食材も多いけれど、基本的には国で使っていたものとあまり変わらない。味付けとか、細かいことを言えば違いはあるが、世界が違うことを考えれば酷く類似していると思う。不思議だ」
 言われてみれば。
 同じ地球上でさえ、文化が全く違うところもあるのだ。でも、俺も向こうで文化の違いに困ったということはあまりない。食べ物だって普通に受け付けた。でもエドワードの言う通り、世界が違うことを考えたらそれは凄いことかもしれない。
「食べ物だけじゃない。花も動物も……人間も。私のいた世界も咲良の世界もあまり変わりない。デンキ……? とかは、なかったけれど、ルゼリアのような国もあるからな。もしかしたら遠く離れた国というだけで、同じ世界なのかもしれないと思うときがある」
 エドワードがそう言うのを聞いて、俺はふと食器を片づける手を止めた。
 ルゼリアというのは彼女がいた世界にある、魔法みたいな力が存在していた不思議な国だ。ヴァルグランドやフレンシアがこちらの西欧諸国によく似ているのに対し、ルゼリアはその両国ともこちらのどの国とも、全く異なるものだった。だから、彼女が言うことは凄くよくわかる。ルゼリアみたいな国があるなら、この日本という国が彼女の世界に存在していたからといって、おかしなことではないだろう。
 でも、俺はこの世界にヴァルグランドが存在しないことを知っている。
 エドワードには想像もつかないかもしれないけど、知らないことはネットで検索すれば一発で出てしまうような時代なのだ。でもそんな事実を言えば、エドワードが決して元の世界に帰ることはできないって突きつけることになる。
「咲良。別に私は帰りたいと言っているわけじゃない。……そんな顔しないでくれ」
 気がつくと、苦笑しながらエドワードが俺を覗きこんでいた。
 ……顔を見るだけで俺の心を読まないで欲しい。それもきっと、言わなくても伝わっているんだろう。ふっと笑いながら、エドワードは残りの食器を棚におさめていく。
「エドちゃん、ありがとう。先お風呂入っていいわよ〜」
「ありがとうございます。……咲良は? 後でいいのか?」
 飛んできた母さんの声に返事をしてから、後半は俺に向かってエドワードが問いかけてくる。
「いいよ俺は後で」
「なんなら一緒に入るか?」
「ばッ……! なな、何を……!?」
 真顔でそんなことを言われ、思わず悲鳴に近い声を上げてしまう。いやさすがにからかわれているのは分かるが、家族の前でなんて冗談を――と思ったところで、叫ぶ俺を怪訝そうに見る母さんたちの視線に気付いた。……そうだ。エドワードが普通に喋ったら、俺にしか何を言っているのかわからないんだ。
 エドワードは笑い声こそ上げていないが、苦しそうに腹を抱えている。
 手のこんだ嫌がらせだ。なんか、この家、敵だらけな気がした。