9.言えない言葉



「じゃーんっ!」
 そんな効果音と共に納屋の扉を姉ちゃんが開ける。そして、その中を見て俺は絶句した。

 数日後の朝、姉ちゃんが注文していた家具が届いた。叩き起こされてベッドの組み立てとかは俺がやったけど、その後は外に放り出され、昼過ぎ。呼ばれて戻ってきてみれば、なんともラブリーな部屋が完成していた。
 一言で言うなら、とにかくピンクだ。カーテンもシーツも布団もラグも、ピンク一色。
「……姉ちゃん」
「ん?」
「これ、姉ちゃんの趣味だよな……?」
「だぁって、エドちゃんの趣味わからないもん。大丈夫、女の子はみんなピンクが好きなのよ〜」
 いや、絶対にそんなことはないと思う。
 別に俺も本人から聞いたわけではないが、エドワードは多分、黒が好きだと思う。今日もエドワードは、黒のインナーに黒のパーカー、そして黒のショートパンツと黒のタイツで黒づくめだ。前に姉ちゃんと買いものに行ったとき服は何枚か買ったみたいだけど、俺は今日まで黒以外を着ているエドワードを見たことがない。
「あのさ……、多分だけどさ、俺、エドワードは黒が好きだと思うんだけどさ……」
「やっぱりピンクが可愛いよね〜。お姫様気分だよね〜」
 うわ聞いちゃいねぇ。だいたい気分に浸るまでもなく、エドワードは正真正銘お姫様だ。
 その当の本人は、唖然として真っピンクの部屋を眺めていた。やっぱどう考えてもこれはエドワードの趣味ではないと思う。だけど大変申し訳ないことに、これでいいのかと聞いて否と言われても、俺はそれを姉ちゃんに伝える勇気がない。
「どう、エドちゃん。気に入ってくれた〜?」
 呆然と立ちすくんでいるエドワードの手を取って、姉ちゃんが彼女を部屋の中に引き入れる。エドワードは我に返ったように数回瞬きをした後、改めて部屋の中を見回した。
「私の、部屋?」
 片言の日本語でそう問いかけたエドワードに、姉ちゃんが何度も首を縦に振る。だけどそれを見たエドワードは何故か項垂れてしまった。
「咲良」
「な、何?」
 不意に呼ばれて、やっぱりこのピンクが気に入らなかったのではないかと俺は焦った。だけど彼女が口にしたのはそんなことではなく。
「こんなに良くしてもらって、いいのだろうか……。私は……、君や、君の家族にとって、迷惑なのではないか……?」
 戸惑いがちな声に、胸が締め付けられる。
 違う、一番迷惑な存在はこの俺だ。
 無理やりエドワードを違う世界に連れてきてしまって、家族に負担を強いて。
 この家具や、彼女の服のお金は一体どこから出ているんだろうと思うと、お世辞にも金持ちとはいえないウチの家計が気になってしまった。
「ねぇ、咲良。エドちゃんなんて? もしかして気に入らなかったのかな」
 珍しく姉ちゃんがしおらしい様子でそんなことを聞いてくる。
 マイペースすぎる日頃の行動を考えたら思いきり頷いてやりたいところだけど。それはエドワードの本心を伝えることにならないから、俺は首を横に振った。
「いや、ただ戸惑ってるみたい。こんなに良くしてもらっていいのかって」
「なーんだ。びっくりしたよ〜」
 一瞬で、ころっと姉ちゃんが笑顔に戻る。そしてエドワードの両手をぎゅっと握りしめた。
「あたしずっと妹が欲しかったんだー。まさか咲良のカノジョになってくれるようなモノ好きな女の子がいるとは思わなくて全然期待してなかったんだけどさー、こんなに美人さん捕まえるなんてさすがちょっとは我が弟だよね〜」
 今、どさくさに紛れてとても失礼なことを言われた気がする。そして、ちょっとは弟とか、エドワードより日本語が崩壊している。でも、それより何よりも。
「あ、あのさ……別に彼女っていうわけじゃないから……」
 エドワードが言葉が分からなくて良かったと、今だけは思う。
 俺は気持ちを伝えたつもりではあるけど、明確に好きです付き合って下さいと言ったわけじゃないから、なんとなく俺とエドワードの関係って曖昧なままだ。だがそれを聞くなり、姉ちゃんはエドワードの手を離して俺に詰め寄ってくる。
「何ソレどういうこと? じゃあんたは、あんたに気もない女を無理やり違う世界に連れてきたってこと?」
「そういう……わけじゃないと思うけど、多分。でもなんというか……、その、彼女とかその段階まで行ってないというか……」
「じゃあどの段階なのよ」
 ストレートに聞かれて、俺は答えに詰まった。多分真っ赤になっているであろう俺を見て、姉ちゃんが“にやり”と笑う。とてつもなく嫌な予感が全身を駆け抜けた。
「ねえ、エドちゃん。エドちゃんは咲良をどう思って――」
「本人の前で聞くな!!」
 どの道エドワードには通じないと思うけど、咄嗟に俺は大声で遮って、姉ちゃんを部屋の外に押し出した。
 けど駄目だ。もう遅い。これから俺はこのネタで姉ちゃんに弄られ倒されるんだ。どうしようもなく悲しい予感と共に姉ちゃんを一生懸命部屋から追い出して戸を閉めようとすると、背中からエドワードの声が飛んだ。
「楓さん、ありがとう」
 流暢な日本語だった。それに驚いて姉ちゃんが手を緩めた隙に、俺は部屋の戸をぴしゃりと閉めた。
「……楓さん、なんて言ってたんだろう」
 嵐が去って静かになった部屋に、そんなエドワードの声が落ちる。俺は姉ちゃんが再び侵入してこないよう戸を押さえていたが、その気配がないので手を離した。
「エドワード、日本語ちょっとうまくなったね」
 俺の答えはエドワードの独り言とは全然関係なかったけど、意味は通じたようで彼女はこちらを見て微笑んだ。
「もらった道具や本で自分なりに勉強してみた。他にも咲良達の会話を聞いたり、てれび……? で観たりしていたら、動作や表情でなんとなくわかるようになってきたよ」
 それは凄い。じゃあもしかして、さっきの姉ちゃんの言葉とかも大体わかっていたんじゃないかとちょっと焦る。
「剣を振るしか能がないと思っていただろう? これでも学業の成績は良かったんだぞ」
 そんな俺の焦りとは見当違いなことを得意げに言われて、少しほっとする。
 いや、ほっとしてる場合じゃないんだ。姉ちゃんに言われて大事なことを曖昧にしたままだということに気が付いた。言葉が通じないことを、俺は逃げ道にしていたんだ。
 そう思って考えてみたら、言葉が通じないというのは変な話だ。俺はエドワードが何を言っているかわかるんだし、向こうにいたときは、ちゃんと俺の言葉は皆に通じていた。だから話せないはずはないのに。
 意識が日本語に向いているから駄目なのかな。元々異世界の言葉を喋っているつもりなんてなかったから、母さん達と話をしているとどうしても日本語にしかならないのかもしれない。もしそうなら、無意識になってみれば、もしかして話せるかも。
 黙り込んだ俺を不思議そうに見るエドワードを見つめながら、俺は雑念を追い払うことに集中してみた。それから、向こうの世界でエドワード達と話していた自分をイメージしてみる。
 通じるように。祈りにも似た思いと共に口を開く。
「エドワード、俺……」
 そこまできて、何を話すか決めてなかったことに思い当たる。別に、他愛もないことで良いんだ。俺が言ってることわかるかって、単刀直入に聞いてみればいい。でもいざ口を開けば、出てきたのは全然違う言葉だった。
「俺さ……、ずっと、戦争さえなければあんたは救われるって思ってたんだ。だから、こっちに連れて来ればって、そればっかり考えてて……でも違うよな。知らない世界で生きていくって、そんな簡単じゃないよな……」
「咲良? ……すまない、よくわからない。もう少しゆっくり喋ってくれないか」
 零れ落ちる俺の懺悔は、やっぱりエドワードには理解できていないみたいだった。
 落胆する気持ちの中に、ほんの少し安堵が混じることに自己嫌悪しながら、通じていないと分かっていて俺はその先を続けた。
「でも、どうしても離れたくなかったんだ。……好きなんだ……」
 通じていたならきっと言えなかった、俺のどうしようもない我儘を。