ストレンジツインズ 兄妹と闇夜の魔物 3


 ティラは沈鬱な気持ちでがたごと馬車に揺られていた。
 この馬車がどこ行きなのか、兄は絶対に知らない。とはいえ、御者の口から出た地名はティラも知らないものだったから、それを兄が気にしたところで結果は変わらなかっただろうが。
 考え無しに飛び出した奔放な兄を追いかけると決めた時点で、こういう展開は覚悟していたけれど。いくらなんでも兄は奔放すぎる。
 美人を見かけては後を追って、一体自分達はどこに流されていくのだろう。……周りまわって家に帰れるかもしれないけれど。
 当の美人が声を上げたのは、ティラが楽観的な方向に逃避を始めた頃だった。
「君は何か、私に用でもあるのか?」
 黒いローブの下から、呆れと苦笑を多分に含んだ声が漏れてくる。銀髪紫眼はそのローブの下にしまっているから、乗合馬車の視線はリゼルが独り占めだ。この際ピンクのマントでもいいから、兄も顔を隠すことを覚えてくれればいいのにとティラは思う。
 事実、何度かそれを実行しようとしたが、兄に目立っている自覚がないので言うことを聞いてくれない。
「美女を追いたくなるのは男のサガです」
 終始にこにこしっぱなしのリゼルは、そのままの表情で、大変素直な胸のうちを述べている。もう少し包み隠せと言いたくなる。本能のまま行動しているのがバレバレだ。
 見てくれだけはいいのにナンパが成功しないのは、とんでもなく口下手な所為だろう。……いや、女装の所為か。
「素直なのはいいが、私は煩い男は嫌いだ」
「俺はおねーさんみたいなクールな女性、好みです」
 会話がかみ合っていない。
 ティラが欠伸をかみ殺そうとしていると、ふと強い視線を感じた。黒のローブから覗く紫水晶が、「お前の兄をなんとかしろ」と語っている。
 なんとかできるような兄なら苦労しない。肩を竦めて、「無理です」のジェスチャーをすると、嫌そうな顔をされたが仕方ない。
 ティラにしても、誰かなんとかしてくださいの境地だが、その願いを聞き届けてくれたように馬車が止まる。だが外から聞こえてきた御者の悲鳴は、なんとかしてくれた誰かに感謝を述べるような場面でもないことを物語っていた。
「な、何?」
 腰を浮かしかけたティラだったが、強い衝撃に荷台の床に引き戻された。女性客の悲鳴に、馬車の中は騒然となった。冒険者風の男が数人、馬車を降りようとして鋭い咆哮に足を止める。だが外に出るまでもなく間もなく幌は引き裂かれ、異形の獣が数体、馬車を取り囲んでいるのが確認できた。
「ッ、合成獣(キメラ)だッ……!」
 女性達の悲鳴に、冒険者の情けない悲鳴が混じる。いろんな獣を手当たり次第にブチ込んでできたような獣の裂けた口から垂れた涎が荷台を伝う。
「……なんだ、お前達。腰の獲物は飾りだったのか?」
 そんな騒然とする場にそぐわない静かな声が間近から流れる。ティラだけは冷静にそれを聞いていたが、周囲のものにそれを聞く余裕はなかったようだ。兄を見上げてみると、俯いたまま震えていて、ティラは小首を傾げた。
「兄さん?」
「もうひとつ。私は弱い男も嫌いだ。とくに、飾りで獲物を持つような――」
 おそらく兄に向けられているのであろう静かな声を辿ると、やはり紫の瞳は、兄の腰の刀に注がれていた。その視線を剥がすように強く睨むと、意外そうな女の眼差しとかち合う。
「兄さんは弱くなんか――――」
 だがティラの言葉は咆哮に遮られた。涎を撒き散らし、合成獣が牙をむく。その顎が真っ直ぐこちらに向かうのに、紫眼の女が舌打ちしながら手を翳す。そしてその唇が何事かを紡ぐ――――前に。
 白銀の閃きが女とティラの前を行き過ぎて、そしてずしゃりと獣の頭が馬車に落ちる。血も流さずに、獣の姿は砂になって消えた。
「魔成生物……?」
「キメラは大体そうだ」
 女の声は淡々としていたが、僅かに驚きを含んでいたのをティラは聞き逃さなかった。それはキメラの正体に関してではなく、何がキメラを倒したかへの驚きだろう。どちらについても、ティラは驚かなかったが。
 だがその代わり、次の瞬間にはげんなりした。

「ヨシキターーーー!! 俺ついに正義の味方デビュー! ちょっと俺、興奮で震えがトマラナイ!!」

 いつの間にか抜刀した兄が、それを高々掲げて叫んでいる。獣を倒したあとの残身をそのままに吼える姿はカッコイイのだが、言葉を聞くとただの阿呆だ。
 はあ、という小馬鹿にしたような女の溜息を、再び悲鳴がかきけした。まだキメラは数体残っている。
 リゼルの顔がいきいきと輝き、ティラがますますげんなりして、女の表情は冷たいまま変わらなかったが。

『我が御名において命ず。天地を飲んで盛る焔、阻むもの焼き尽くせ』

 瞬間、肌が焼けるような熱を感じる。
 女の唇が震えたかと思うと灼熱の炎が前触れなく巻き起こり、あとは瞬きする間にキメラの姿は綺麗に消えていた。あれだけの熱量なのに馬車は焦げてもおらず、リゼルが猛々しいポーズのままぱちくりと目を瞬かせる。
 他の乗客が事態を理解できず騒ぐのを尻目に、女は何事もなかったかのように馬車を飛び降りる。
「待って下さい」
 ティラもほぼ似たようなもので、兄と乗客とを全て思考の外に締め出すと、女を追って荷台を飛び降りた。
「貴女は何者ですか? 貴女のような力の波動、初めて見ました。精霊魔法使い(エレメンター)なんてもうほとんど見ないのに、貴女が使う呪文(スペル)も私が知ってる定義とは違う」
 キメラを倒したのは、女が使った炎の魔法だった。だが、昔でこそ珍しくなかった魔法だが、その力は衰退の一途を辿り今ではもうほとんど見られない。だというのに、女の力は魔法の衰退が始まった数十年前であって既に強すぎるようにティラには思えた。本で読んだだけの知識ではあるが、それだけでもさっきの炎は異常だと断定できる。
 ティラの言葉に、女は振り返ると黒いフードを取り払った。銀の髪が肩に流れ、ふっと紫水晶の瞳が笑う。脳に刻み込まれるくらい印象的な微笑みだった。
「ティラ〜、お兄ちゃんを置いていかないで〜」
 情けない声がしてティラは表情を歪めたが、女を追ったままの視線はまた、魔法の光を捉えた。負傷した御者に歩み寄った女が、また魔法を――おそらく癒しの魔法を使っている。
「……リゼル、だったかしら?」
 突然に、そして全く意外に。
 女は癒しの魔法を使いながら、兄の名前を呼んだ。それは兄にとっても意外だったのだろう、一呼吸遅れてうわずった返事を兄がする。
「私の名はサーラ。君の刀、飾りじゃないなら頼みたいことがある」
 とん、と御者台から女が飛び降りる。
 ぱっと顔を輝かせる兄とは対照的に、面倒の予感に妹は小さく息を吐いたのだった。



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