06:不測の襲撃


 銃声が聞こえた方に向かい、真夏は全力で駆け出していた。
 不安や恐怖はなかった。本来なら、真夏は騒ぎに首を突っ込むような性格ではない。今だって、現場に向かうより上司にコーヒーを淹れている方がどれだけ気が楽か知れない。
 それでも、一般人が逃げて来るような危険に対して向かって行くのがこの仕事だ。警察学校を出る頃にはそれが頭と体に叩き込まれている。ほぼ反射的に足が動いていた。
 しばらく走ると、電柱の頼りない明かりの下で、うずくまる者とそれに銃を突きつける者、二つの人影が見えた。銃を持っている方は覆面をしているが、うずくまっている者には見覚えがある。
「警視!?」
 明かりは消えかけていて、ちかちかと瞬いている。しかし、腹部を押さえた手が血まみれなのはそれでもはっきりとわかる。  思わず叫ぶと、覆面がこちらに視線を移した。それと一緒に銃を持った手を動かすのを見逃さない。咄嗟に距離を詰めて、銃を持った手に飛びつく。
「警察だ、銃を捨てろ!」
 それで戦意を失ってくれれば良かったが、抵抗が激しくなっただけだった。手を離せば、自分も春紀も撃たれる。必死に抑え込んでいる間に背後に気配が増える。
「……!」  首だけで振り向くと、同じく覆面をした男が、丁度鉄パイプのようなものを振りかぶったところだった。気付いても対処のしようがなく、せいぜい衝撃に備えることしかできない。しかし、痛みも衝撃もおとずれることはなかった。
 男と真夏の間に割って入った莉子が、鉄パイプを握る男の手を取り、振り下ろす勢いを利用して逸らす。そのまま体勢の崩れた相手の肩口を地面に押し付けた。
「何してるんですか莉子さん! 早くここから離れて!」
「佐藤さん、駄目!!」
 鉄パイプの男が起き上がれないよう首を膝で押さえながら、こちらの叱責を無視して莉子が叫ぶ。はっとしたときには肩口に激痛が走っていた。もう一人いた。それに気付くのがあまりにも遅く、うめき声と共に力が抜ける。抑えていた相手の手が自由を得て、目の前で銃口がこちらを向いた。
「佐藤さん!」
 莉子の悲鳴が、近くにいるはずなのに、やけに遠い。
 死ぬ。
 認めたくない事実が頭をよぎって行く。何一つ考えられなかったが、その代わりに目は冷静に起きたことを映していた。
 にゅっと後ろから大きな手が現れ、銃の激鉄を押さえる。激鉄が動かなければ発砲はできない。文字通り打つ手をなくして犯人が怯んだところで、逆の手が引き金に伸び、そのまま銃を反転させる。それらは全てごく一瞬の出来事だった。そして、それだけでいとも簡単に形勢が逆転してしまう。銃口を自分に向けられ、一人目の襲撃者が成す術を失っているその間に、真夏は闖入者によって思い切り後ろに跳ねのけられて倒れていた。
「お父さん!」
 莉子の叫び声で闖入者の正体に気付く。莉子の父だった。そして、おそらく自分の肩をやったであろう相手は既に伸びていたが、危機的状況はまだ覆らない。莉子の抑えていた相手が起き上がっている。
「莉子さん……ッ!」
 慌てて立ち上がろうと手をつくが、肩に激痛が走り体勢が崩れる。冷や汗が背中を伝うが、店主は冷静だった。銃を奪って後ろに放り、目の前の相手を今まさに莉子へと襲いかかろうとしていた相手に投げつける。二人まとめてもんどりうったところに、なおも起き上がってきた三人目を綺麗な一本背負いで止めとばかりに投げつけた。ふう、と安堵の息をついたところで、日野の珍しく切羽詰まったような声が耳を裂く。
「おい春紀! しっかりしろ! こんなとこでくたばるな!」
 その声に、かなりの出血だったことを思い出す。やはりあれは春紀だった。安否が気になり、負傷したのとは逆の手をついて真夏が起き上がったまさにその刹那。
 自分と日野の間の地面が弾けた。
(四人目……!)
 二発目の銃声に、場が凍りつく。離れた場所で、銃を構える人影が目に入った瞬間、真夏の体は自然に動いていた。
 店主が莉子を庇おうと動きかけ、だが、
「動くな!」
 それを制止した声は、およそ誰もが予想し得なかった声だったことだろう。
 店主が奪って捨てた銃を、真夏は立ち上がって構えていた。激鉄は起こさないダブルアクション。精密な射撃はできないが、これは警察の銃ではないのだ。ならず者が所持するような銃は決まって粗悪品だ、元々正確な射撃は期待できない。ならばと早さを選択する。それでも癖で息は止め、引き金を絞る。
「――撃つな、佐藤巡査!」
 春紀の鋭い声は銃声に掻き消され、弾丸は店主と莉子の間を縫って、真っ直ぐに四人目の襲撃者へと伸びた。遠くで、サイレンの音が響き始めていた。