05:虚は覆い隠す


 ドルン、と駐車場からバイクのエンジン音が聞こえてきて、真夏は時計に目を走らせた。針はちょうど約束の時間を指していて、机の上の書類を揃えて立ち上がる。単車を置く場所はあるかと聞かれていたし、約束の人物が署についたと考えていいだろう。日野も同様に思ったのだろう、面倒そうに立ち上がって伸びをひとつし、窓際まで行くとブラインドをこじあけて外を見た。
「……おい、真夏。なんかオマケがついてんぞ」
「?」
 ぼそっと告げられた言葉の意味がわからず、真夏も窓から外を見る。
 今日会うことになっているのは、今捜査中の一連の嫌がらせを受けている高校教師――内海洋明だ。バイクを下り、メットを外しているのは、やはり内海本人だった。しかし、彼一人ではない。もう一人、バイクからぴょこんと飛び下りた人物がいた。
「莉子さん」
 メットの下から現れた顔を見て、真夏は驚いた。セーラー服にポニーテールというトレードマークがなかったせいで気付くのが遅れたが、間違いなく莉子だ。制服でないのは今日が日曜だから、ポニーテールはメットを被るのに邪魔だったのだろう。向こうもこちらに気付いたらしく、手を振ってきた。
「ここ五階だしブラインド下ろしてんのになんでわかんだよ……」
「とにかく行きましょうよ」
 日野は気味悪そうに呟いたが、真夏はなんとなく莉子ならわかってもおかしくない気がしていた。今まで何度も莉子は事件の先読みをしていたのだ。女子高生相手に我ながら変だと思うが、真夏は莉子に一目置いているし、日野も少なからずそういうところはあると思う。
 エレベーターで一階まで下りると、受付に居たのはやはり内海と莉子で、エレベーターから降りるなり莉子はトテトテとこちらに駆け寄ってきた。
「お久しぶりですー。最近ちっとも店に来てくれないんですね」
 私服の莉子はポロシャツにクロップドパンツという色気のかけらもない格好なのに、髪を下ろしただけで随分大人びて見えた。少しどきりとしながら、真夏が慌てて頭を下げる。
「あ、す、すみません。近頃バタバタしていて……」
「てか、なんで莉子チャンがいんの」
 しどろもどろに謝る真夏の言葉を遮って、日野が尤もな質問を投げかける。日野は珍しく難しい顔をしていたが、莉子は怯まずに彼を見上げてすぐに答えてきた。
「だって先生、まだ『ただのイタズラだからほっとけ』なんて言ってるんですよ? 絶対今日もドタキャンするつもりだったし。引っ張ってきてあげたんだから感謝して欲しいくらいです」
 莉子の言葉を受けて、日野が莉子から内海の方へ視線をずらす。すると彼は困ったように角刈りの頭を掻いた。その様子を見て真夏がおずおずと声を上げる。
「内海さん、物を隠された程度ならまだしも、脅迫状や爆発物まで投げ込まれているんです。これはれっきとした犯罪ですし、我々も動かないわけにはいきません。そして逮捕には貴方の協力が不可欠なんです」
「はあ……」
 気が進まない様子の内海に真夏はそう協力を要請したが、やはり気が乗らない様子で内海は生返事を返す。そんな彼の手を強引に莉子が引いた。
「ほら先生、刑事さんも困ってるじゃないですか。早く早く。ねえ佐藤さん、取調室どこですか」
「いや、取り調べするわけじゃないから応接室でいいですよ。こっちです」
「えっつまんない!」
 案内を始めた真夏に、ブーブーいいながら莉子が内海を引きずって行く。
「で、莉子チャンも来るわけね……」
 その一番後ろを、溜め息とともにそう呟きながら日野がのろのろと歩いていった。

 今日真夏達が内海を呼んだのは、百三十世帯全ての洗い出しが終わったからだった。例のマンションの住人の中で、内海と関わりがありそうなものを調べリストアップするのに二日を要し、捜査が始まって一週間が過ぎようとしていた。
 最終的にリストに上がったのは五人。
 一人は内海の高校時代の同級生で田村恭也、三十四歳。普通のサラリーマンをしている、これといって特徴のない男だ。妻と息子の三人暮らしをしている。
 一人は元内海の教え子である野村勇、二十一歳、大学生。いわゆるミリタリーマニアらしく、真夏たちが見かけたときもいかにもという迷彩服を着ていた。
 残りの三人は同じ世帯で、内海が教師をしている高校に通う田辺麻友、十六歳とその祖父母だ。麻友の両親は、娘が苛められているのではないかと高校に相談に行ったことがあるらしい。
「この五人をご存知ですか?」
「うーん……、あ、こいつは教え子ですよ。何年前だったかな、担任をしたことがあります。ああ、そういえば最近バスの中で会いましたね。ヘッドホンからの音漏れが凄くて、迷惑だと注意したら見覚えのある顔だったからビックリしましたよ。でも彼じゃないです。変わってますがいい奴ですよ」
 真っ先に野村を指し、内海がそんな声を上げる。メモを取りながら、真夏は他の四人についても説明した。
「他はわかりませんか? 内海さんの元クラスメイトと、今在学している生徒なんですが」
「クラスメイト……、ああ、もしかして田村? 懐かしいな。昔は気弱でよく苛められてたが、今はどうしてるんです?」
「会社員で、妻子もいますよ」
「そうですか」
 内海は嬉しそうに何度も頷いたあと、真顔に戻って首を振った。
「田村に恨まれるような覚えはありませんし、こちらは生徒らしいですが担任じゃないから関わりがありません。この中に犯人はいないと思います」
「そうですか、ありがとうございます。参考になりました」
「じゃあ、もう帰ってもいいですか? これ以上この人達について話せることはありませんし」
 穏やかだが有無を言わさぬ口調だった。既に立ち上がっている内海に気圧されたように真夏が頷く。
「は、はい。また連絡するかもしれませんが、そのときはご協力お願いします」
 返事もせず、莉子も置き去りにして内海が部屋を出ていく。入れ代わりにお茶をもってきた婦人警官が、「もう帰られたんですか」と行き場のなくなったお茶を見下ろしていると、日野が座ったまま声をかけた。
「あ、いいよ。そこのお嬢さんに出してあげて。もう一個は俺にちょーだい」
 婦警はぱちぱちと目を瞬いたが、言われたとおり莉子にお茶を出し、もう一個は盆に載せたまま退室していった。
「なんで……」
「日頃の行いですよ」
 麦茶を一口飲んで、莉子がしたりがおで頷く。日野は「それ、聞き飽きた」と大げさに肩をすくめて溜め息をついたが、諦めたように首を振って、真顔に戻った。
「莉子チャン。内海先生ってどんな人なの」 「んー、いわゆる熱血先生ってやつ? ザ・体育教師。空気読めないし、ちょっと空回りなとこもあるかも。でもいい先生ですよ。ウザがられてるけど嫌いな人はそんないないと思います。むしろなんだかんだ好かれてるほうだと思いますよ」
「ふーん……」
 顎に手をやりながら日野が考え込む。だがすぐ顔を上げて立ち上がった。
「あんがと。んじゃ、送ってってあげるよ」
「えっ、ほんと!? パトカー乗れる!?」
「ばっか、俺がパトカーに女子高生乗せてたら逮捕されちゃうだろ!!」
 即座にそう言って否定する日野を見て、真夏も莉子も「自覚はあるんだ」という言葉をそっと胸に仕舞った。