昼過ぎになって、矢代が朝言っていた通り講堂への招集があった。講堂の一部がパーテーションで区切られ、その中に長机がロの字型に並べられている。ばらばらと生活安全課の者達も集まり出して座りだすと、日野がその反対側に腰を下ろしたので真夏はその隣のパイプ椅子を引いた。刑事課も徐々に集まりつつある。
ややあって、応援で呼ばれたのだろう地域課の面々も揃い、全部で二十人ほどが席についた。最後に矢代係長と、生活安全課の鹿島係長が席に着くとざわついていた場が静まり返る。
「じゃあ始めよっか」
鹿島の間延びした声で会議は始まった。定年間際の鹿島は小柄で飄々としており、矢代以上の狸と言われている。そのためか隣に並ぶ矢代も、どこかやりにくそうで、珍しく眉間にしわが寄っている。
「じゃ、あとよろしく」
その矢代の方を向いて鹿島が陽気に一言告げると、その皺はいっそう深まった。それと同時にふう、と深く矢代が息を吐き出す。溜め息だろう。
真夏は矢代が動じた姿を見たことがないし、想像もできないが、誰にでも苦手はあるものだな、などと妙な感心をしていた。だが矢代が話し始め、そちらへと意識を集中させる。
「事件の概要だが、市立××高校の教師が陰湿な嫌がらせを受けていると生安に相談があったことから始まった。最初は物を隠されたり、靴紐を切られたりといった悪戯程度だったが次第にエスカレートし、現在では脅迫文を送りつけられるに至っている。そこで生安が消印から郵便局を当たり、この脅迫文が投函された可能性のあるポストをリストアップしてくれた」
喋りながら矢代が手元にある書類を回す。隣の日野にそれが回ってきた時点で、彼は「げえ」とげんなりした声を上げた。だが、渡された書類を見て、真夏も思わず同じ反応をしそうになった。ざっと百は越えている。
「今回使われた封書はかなり特徴的なものだった。振り分けられたポストの近辺に防犯カメラがないかを調べて、あったら問題の封書を投函した人物が映っていないかを確認して欲しい――と、こんな感じでいいでしょうか」
「……うん? いいんじゃない」
矢代に声を掛けられて、鹿島が船をこいでいた頭を起こす。また矢代が溜め息をついた。
「振り分けについては生安がやってくれているから、今から説明を……、係長。鹿島係長」
「うん、いいんじゃない?」
間延びした声に、生安の面々からも溜め息が零れた。
「矢代係長も飄々して掴みどころがない人だと思ってましたけど、生安の係長はその上を行く人ですね……」
「要するに変人ばっかってことだな」
真夏が呟くと、日野が渋面のまま歯に衣着せぬ言葉を吐き出す。まだ講堂を出たばかりだから聞こえるかもしれないのに、と焦りながら、日野に言われたくないだろうというのは胸の中に仕舞う。そして、改めてリストアップされたポストとその振り分けがメモされた書類に視線を落とした。
全てのポストを洗うといっても、ポストに防犯カメラが付いているわけではない。コンビニの近くにあればコンビニのカメラに映っているかもしれないが、そうそう都合よくもいかないだろう。
「脅迫状を投函するんだから、人気のないポストにするんじゃないかなぁ……もしそうだったらこれからする捜査って全くの無意味じゃないか」
「まぁ、捜査ってそんなものだよ」
思わずこぼしてしまったぼやきに、全くの予想外に反応が返ってくる。それも日野の声ではない。酷く間延びしたその声は、さっき会議中に聞いたそれだ。
慌てて振り向くと、鹿島がにこにことこちらを見上げていた。
「無意味かもしれないことはやらないのなら、ウチの仕事も随分減って楽になるよねぇ」
「あ……すみません」
「まぁぼやきたくもなる数だもんねぇ。頑張れよ、若人」
ふぉふぉと笑いながら階段を下りて行く鹿島の背中を見て、真夏はほっと息をついた。日野の心配をしている場合ではなかった。とんだ失言をしたのは自分の方だったようである。
「お前さー、まだ講堂近いのに上に聞かれたらまずいこと言うもんじゃねーよ」
日野の叱責も尤もだ。尤もではある。あるのだが。
ここでもやはり、真夏は「先輩に言われたくはありません」という言葉を必死に飲み込んだのであった。