お姫様の秘密 4


 夕食時がとうに過ぎていたので、ティルフィアの話は食事を取りながらということになった。宿の者に頼んで、適当に作ってもらった食事をセラとライゼスで部屋に運び、そこにティルフィアを加えた三人でテーブルを囲む。最初は誰も口を開かなかったので、妙に暗い雰囲気で食事が始まったが、しばらくするとティルフィアがぽつりぽつりと身の上を語りだした。
「……オヤジは狂っちゃってんだよね」
 言葉は軽かったが、声は重かった。そもそも、ティルフィアは言葉使いが悪い。外見とのギャップも甚だしいが、王家で育ったとは思えないほど粗野で軽薄な口調だ。だが、疲れや苦しみを軽口で隠そうとしているようにセラには思えた。
「最初の妃との間に、オヤジは四人の子をもうけた。いずれも王子でね。もともとその最初の王妃は身体があまり丈夫じゃなかったんだが、王が姫も欲しいと言うので無理をしたそうだ。結局四人目の王子を産んですぐ、帰らぬ人になった。そのときはまだオヤジもまっとうな人間でね。そりゃもう、嘆き苦しみ、反省したらしいよ。それで、少々心を痛めすぎた」
そこで一度言葉を区切り、ティルフィアはスープを啜った。宿の食事はどれも旨かったが、まるで苦い水でも飲んだように、ティルフィアの顔は渋い。
「そこから、少しずつ王はおかしくなっていった。姫ができないと死んだ妃は無駄死にだって言い出して、それからすぐに新しい王妃をむかえて子をもうけた。だけど産まれたのはまたも王子。その後オヤジは三人の側室に次々に産ませたが、なんの呪いか全員が王子だったわけだ――十人目の俺も含めて」
「それで王は、ティルフィア様を姫として――」
「俺のことはティルって呼んで。敬語もいらない。同じ王族同士なんだからフランクに行こうよ。俺はなんて呼べばいいかな、セリエラちゃん?」
 口を挟んだセラに、ティルは苦い表情をおさめると、にこ、と笑いかけた。
「……愛称はセラだ。そう呼んでくれて構わない」
「わかった、セラちゃん」
 さっきまでの重い表情が嘘のように、ティルは楽しそうにセラを見つめる。ひとり重いままなのがライゼスだが、とくに彼は何を言うでもなかった。そもそもティルは、ライゼスのことなど最初から眼中にないようではあったが。
「話を戻そうか。察しの通り、オヤジは俺を女として育てたわけだ。俺が男だと知ってるのは、母上と俺をとりあげた乳母だけ。ま、その後オヤジは二人を軟禁したし、侍女すら俺には近づけさせなかったから、オヤジも俺が男だってことはわかってるはずなんだ。だが母上が死んでから、どうもホントに俺が女だと思ってるようでね。人は狂えば狂うもんだ」
 ため息を吐き出すように言葉を吐き出した彼の顔からは、笑みこそ消えていなかったが、目は笑っていなかった。その目にセラは心が痛んだ。同じ王族で性別を偽っていても、事情と重さがまるで違う。
「セラちゃんがそんな思いつめたようなカオしなくていいんだよ。優しいなあ」
 ふと気がつくと間近で顔を覗き込まれており、セラは思わず後ずさった。同時に、無表情でライゼスが立ち上がる。
「姫に近づかないで下さい」
 抑揚のない声で言うライゼスに、ティルは舌打ちしつつも話を戻した。
「……今の話を教えてくれた乳母も、去年死んだ。だから真実を知るのは俺と君らだけだ。この話は口外無用で頼むよ。俺もセラちゃんのことを父上に言う気はないからさ」
 器用に片目を瞑って、国際問題に発展しかねない互いの国の事情をティルが軽く片付ける。そして、空になった食事の皿にフォークを置くと、問題は全て解決とでも言うように、小さく伸びをした。
「あとさ。護衛の話ももういいよ」
 だがその後続いた言葉は予想しなかったもので、セラだけでなくライゼスもティルを凝視した。
「ちょっと面倒なことになりそうなんだ。巻き込む前に、セラちゃんには国に帰ってもらいたい。大丈夫、迷惑はかからないようにするから」
 あっけらかんと言うティルに、セラとライゼスが顔を見合わせる。いくらリルドシアの姫本人からの言葉とはいえ、二人にしてみれば「はい、そうですか」と納得できるような内容ではない。
「どういう……」
 ことだと、セラがティルに視線を戻して身を乗り出したその瞬間。
「――と思ったけど遅かったかな」
 ティルがそれを遮ったのと、窓が割れる派手な音が部屋中に響いたのとは、ほとんど同時だった。
 ガラスを叩き割る音と共に窓が破られる。
 不意の事態に、だが三人の動きは迅速だった。一番窓に近い位置にいたセラが咄嗟にその場を飛びのき、そのセラをライゼスが飛び散る窓硝子の破片から庇い、ティルはランプの火を消していた。破られた窓から侵入者が飛び込んできたときには、部屋の中は漆黒の闇に塗りつぶされている。
(二人……いや、三人か)
 夜目は利くセラだが、さすがに急に灯りが消されては、瞬時には目が慣れない。だが、同様に闇に目が慣れず、唐突に視界を奪われて狼狽する侵入者の気配から人数を推定するのは容易かった。セラが剣へと手を伸ばす――が。
「うあッ!?」
「ギャッ――」
 短い悲鳴と、闇に閃く白刃に、抜きかけた剣を納める。その必要が無くなったことを悟ったからだった。
「ボーヤ、灯り出せる?」
 ティルの質問に、ライゼスが返事の代わりに呪文(スペル)を唱える。
『光よ、我が前に集いてその姿を示せ』
 ライゼスの呟きに答えるかのように、彼の頭上に小さな鬼火が具現し、室内を照らす。セラの読み通り三人の黒ずくめが、それぞれ体の各所を押さえながら入ってきた窓から逃げていくところだった。それを見てセラが窓際に駆け寄るも、
「セラちゃん」
 ティルがこちらを見て、追わなくていいというように首を横に振るのを見、押しとどまる。
「なんなんですか、今の」
 服についたガラスの破片を払いながら、ライゼス。それにティルが答える前に――そもそも、答える気は無さそうだったが――、セラは全く違うことを口にしていた。
「たいした腕だな。護衛がいらないとは、そういうことか?」
「さすがだね、見えてたんだ? でも護衛を断ったのは、セラちゃんを巻き込みたくなかったからだよ」
 ティルは割れた窓の方を見て忌々しげに呟いた。
「……どうやら遅かったみたいだけどね」
「何があったんですか?」
 ライゼスの問いかけは、ティルではなくセラに向けたものだった。ティルに聞いても、ろくに返答してくれないことを学んだ結果である。
「私が剣を抜く前に、ティルが片付けてた。恐ろしい早業だ。かなりの使い手だろう」
 セラがティルを見つめて答える。視線に答えるように、ティルはにこり、と笑った。美姫と謳われる美貌にのせた微笑みは今しがたのセラの言葉を疑いたくなるものだが、それを裏付けるようにティルは自身の背に手を伸ばした。そこから現れた白銀の刀身が、ライゼスの出した光を受けて煌きを零す。
「リルドシアに伝わる宝刀、村正。昔オヤジにもらったものさ」
 刀身を光にかざしながら、ティルが複雑な笑みを浮かべる。
「王を堕落させる原因だと、よく命を狙われる身でね。かといって護衛で固めれば正体がばれかねない。自分でなんとかするために剣術を仕込まれた。闇にも毒にも慣れさせられた。狂ってるなんてもんじゃないが、それもオヤジはもう忘れてるだろうな」
 壮絶な生い立ちにセラもライゼスも言葉を失くしたが、ティルはすぐに刀をしまうと、話を終わらせるように片手に荷物を担ぎ上げた。
「さて、行きますか」
「行くって?」
 唐突なティルの言葉にセラが疑問の声を上げ、ライゼスもまた怪訝な顔で彼を見た。だがティルは構わず窓に歩み寄ると、破片を払いのけ、木枠に手をかける。彼の行動に、二人の疑惑はますます深まったが、その理由は彼が語らずとも、聞こえてきた慌しい足音によってすぐに知ることとなった。
「俺、もう路銀ないし」
 合点はいったが釈然としない表情の二人に、にこっと天使の笑みを見せながら、ティルが窓の向こうに身を躍らせる。
「窓を弁償させられる前に逃げようってことですか……、噂の美姫は、することがはしたないですね」
「まあ……姫じゃなかったしな。これだけ騒ぎを起こしたら目立つし、疑われる前に逃げるのが得策だろう」
「はあ……誉あるランドエバーの騎士が夜逃げですか……」
 ライゼスが肩を落としてため息をつく。だが、ティルの行動が最も無難な選択肢であることは、セラの言葉が示していた。すぐそこまで迫っている足音に判断を迷う暇もなく、二人はティルを追って窓枠を乗り越えた。