お姫様の秘密 3


 動揺しきったセラの声が、だが確信に満ちた声が、ライゼスの耳に届く。
 その、あまりにあまりな内容を、ライゼスは咄嗟に理解できなかった。
 だが、理解すると同時に、彼の中で、何かがぶつんと派手な音を立てて切れた。
 ゆらりと、ライゼスが右手を上げる。かざした彼の手から白い光がこぼれ、それは、闇が広がりつつある部屋を、みるみるうちに塗り替えていく――
『光よ! 我が前に集い敵を払え!!』
 叫び声とともに、部屋にあったサイドボードが派手な音を立てて爆発した。
「姫から離れろ!!」
 ライゼスの怒号が突き刺さるも、ティルフィアの表情に、特に畏れや怯みなどといった感情は見えなかった。ただ単純な驚きがそこにはあり、ライゼスの魔法によって粉々に粉砕されたサイドボードを見て、ひゅうと口笛を吹く。清楚な美貌にはおよそ不釣合いな行為ではあったが、その雰囲気からは先ほどまでのお姫様然としたものは消えていた。
「こんなすげえ魔法、初めて見たよ」
 ティルフィアが呟く。その声のトーンも幾分か落ちて、中性的なものになっている。動こうとしないティルフィアに向けて、ライゼスはもう一度、右手をかざした。
「聞こえなかったか? 姫から離れろ! さもなければ次はお前を粉砕してやる」
「姫? 姫は俺じゃなかったっけ?」
 茶化すように言ってセラの方を見るティルフィアに、ライゼスはようやく失言に気付いた。だが、だからといって怒りが収まるわけでないことは、ティルフィアにもわかっているだろう。突き刺さるような殺気に本当に粉砕されかねない気配を感じて、ティルフィアは大人しく従った。
 彼女――否、彼から解放されて、ようやくセラは安堵の息をついた。その二人の間にライゼスが割って入り、油断なくティルフィアを睨み付ける。
「……お前は何者だ? リルドシアの姫はどうした」
 ライゼスの問いに、ティルフィアが肩をすくめる。
「悪いけど、俺が本物のリルドシア王の十番目の子、ティルフィア・シャルロット=リルドシアだ。悲しいが本名だ。ただ、女じゃない。だけど性別を偽ってたのはお互い様だろ、セリエスちゃん?」
 茶目っ気をこめて言われ、ライゼスはあからさまに不愉快な顔をしたが、セラはうなだれた。
 姫が女でないとしても、本物のティルフィアだとすれば、この任務はどうなるのであろうか――だが三者三様の考え事は、慌しい足音に、どれも中断を余儀なくされた。
「あーあ。きっと宿の主人だぜ」
 うんざりした声でティルフィアが呟く。だが、
「何の騒ぎだ!?」
 宿の主人が飛び込んできたときには、ティルフィアの様子は一変していた。
「ご、ごめんなさい! 部屋に鼠がいて、驚いて悲鳴を上げたら……、そこの旅の方が早とちりして、私を助けようとして、サイドボードが粉々に」
 瞳に涙まで浮かべて、ティルフィアがおろおろとしてみせながら、ライゼスの方を指差す。壊れた部屋の一角と家具を見て、主人の顔色が明らかに変わった。責任を押し付けられ、思わずライゼスが言い繕おうと口を開くが、ティルフィアが二の句を継ぐ方が早い。
「でも、あの人は悪くありません。私が騒いだのがいけないんですもの……。壊した分は私が弁償しますわ。これでどうか許して下さい」
 よよ、とティルフィアが泣き崩れてみせると、宿の主人は喉元まで出た文句をおさめるよりなかった。美少女に泣かれて(実際は少女ではないが)、なお強く言える男もそうそういない。黙ってティルフィアの差し出した布袋を受け取ると、その中に輝く金貨に気付いて、さらに主人は言葉を無くした。
「それで、許して下さいますか?」
 ダメ押しで、涙目で許しを請うティルフィアに、主人がこくこくと頷く。
「すぐに、代わりの部屋を」
 やっとのことでそれだけ言葉を吐き出した主人に、ティルフィアが首を横に振る。
「いいんです、これ以上迷惑はかけられません。この旅人さんにもお詫びがしたいですし、私の連れの部屋もありますから」
「そ、そうですか? では……」
 そそくさと部屋を出て行く主人を見送ってから、ティルフィアはにっこり笑って、呆然とこちらを見守るセラとライゼスの方を向いた。
「こんなとこで路銀なくす羽目になっちゃった。ま、この借りはなかったことにしてやるから、ちょっと落ち着いて話しようぜ、ボーヤ?」
 敵意の消えないライゼスに、ティルがまた態度を一変させて茶化す。
「他にやり過ごし方はあったんじゃないですか? わざわざ僕を悪者にしなくても」
「ラス」
 今にも噛み付かんばかりにライゼスが唸るが、セラに止められて、引き下がる。
「わかりました。隠し事をしていたのはこちらも同じです。全てお話しましょう」
 セラの言葉に、ティルフィアは満足気に笑った。

「貴方の言うとおり、私は女性です。本名はセリエラ。ランドエバー王国第一王女、セリエラ・ルミエル・レーシェル=ランドエバー」
 壊れた部屋から、三人はセラの部屋へと移った。すっかり陽が落ちてしまっていたので、ランプに灯をともすと、開口一番にセラはそう名乗った。その意外な名に、再びティルフィアがひゅう、と口笛を吹く。
「そっちの方が本物のお姫様だったってわけね。で、ボーヤは?」
「……ライゼス・レゼクトラ。セラ様の側近です。歳はそう変わらないと思います、ボーヤはやめてくれますか?」
 不機嫌さをおさめようともせず、ライゼスが噛み付く。だがティルフィアは全く気にせず、そして返事もせずに、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。
「それにしても、ランドエバーの王様は思い切ったことをするなあ。自分の娘を男装させて送り込むなんて」
「それは少し違います。私は実際にセリエス・ファーストの名で騎士団に在籍していて、今回の任務は父上が私を指名したのではなく、私が志願しました。父上――陛下はただ、貴国との友好関係を続けたいと願い、そして姫の旅が心安らかであって欲しいと願っています。私は、私ならそれができると思い、陛下に無理を申し上げました」
「――それについては俺が悪かった。無理を言ったのは俺の方だ。だけど、ムサイ男と旅をするなんて、まっぴらごめんだったんだよね」
 ティルフィアは罰が悪そうな顔でそう詫びたが、ライゼスはさらに不機嫌さを増した。
「そんな下らない理由だったんですか!?」
 ライゼスの言葉に、ティルフィアもまた不機嫌になる。
「下らないっていうけどな、俺にとっては死活問題なわけ。この外見のせいで、派遣された男が万一俺に好意でも持ったらどうすんだよ。気持ち悪いだろうが」
 心底気持ち悪そうに、ティルフィアが身震いする。事実、そういった経験がこれまであったのだろう。
「それならなんで性別を偽ったりしてるんですか」
「こんなこと、好きでやってるとでも思ってんのか?」
 綺麗な顔も台無しな形相で睨みつけてくるティルフィアに、だがライゼスも負けてはいない。
「知りませんよ、そんなの。今会ったばかりで、貴方の事情なんてわかるわけがない」
「ラス。失礼だぞ」
 辛うじて敬語ではあるが、歯に絹着せないライゼスの言い様に見かねたセラが口を挟む。セラに止められればライゼスもそのときは口を噤むのだが、ティルフィアに対して悪びれる様 子や言い過ぎたという自覚は見られない。日ごろ、誰に対しても礼儀正しいライゼスのそんな態度は珍しいことで、セラも戸惑ってしまう。
 ティルフィアはといえば、そんな二人の様子を交互に伺っていたが、やがてふうと息をついた。
「ま、確かにボーヤの言うことも一理ある。今度はこっちが話す番だな」
 腰掛けていたソファに深くもたれかかると、ティルフィアは気が重そうに、もう一度長いため息を吐いた。
 窓の外はすっかり陽が落ち、闇が優しく世界を包んでいた。