お姫様の秘密 2


案内の兵士に連れてこられたのは、正門ではなく裏門だった。
(いよいよ、おかしいな)
セラが聞いた話では、リルドシアの姫がランドエバーへ留学するということだったが、これではまるで忍びの旅だ。そのような話は一切聞いていない。
「お待たせいたしました」
セラの黙考は、聞き覚えのない声に中断された。声の主は体をすっぽりと覆うローブにフードを目深に被っており、セラはそれが誰だか一瞬わからなかった。
「さあ、参りましょう」
だが、その言葉でふと思い当たる。
「ティルフィア姫?」
「はい」
短く答えるなり、姫君は足早に歩き去っていく。ぼんやり見ていたら、あっという間にぐんぐん距離が開いていって、慌ててセラは後を追った。間もなく白亜の城は遠くなり、周囲の景色は王都の町並みへと変化してゆく。
「……ごめんなさいね」
その頃、ふいにフードの下から、ティルフィアがそんな言葉を口にした。
「え?」
「先ほどは、失礼な態度を取ってしまって申し訳ありませんでした」
済まなそうにティルフィアがそう続ける。だが詫びる彼女に、セラもまた詫びを返した。
「姫は女性騎士を望んでおられたでしょう。私が来て驚かれたのではありませんか?」
「いえ、いいんです。失礼なことを申し上げてしまって、悔いておりました。……あなたのような方だったら……わたくしは異存ありませんわ」
はにかみながらそう言い、ティルフィアは俯いた。その頬が少し染まるが、セラは気付かない。セラはただ、またも拍子抜けしていた。
この任務の問題が――おそらく、ランドエバー王が最も気にしていた問題が、またも簡単に片付いてしまっていた。
そもそも、そんなに難しい任務ではなかったこの任務がややこしくなったのは、王が男性騎士を希望し、姫が女性騎士を希望したことにあったのだ。あまりに拍子抜けして、もはや呆けていたセラに構わず、ティルフィアは顔を上げた。
「それより、貴方の方が驚かれたでしょう? 急な出立で」
初めて視線がぶつかる。澄んだ青空のような、透き通った碧眼だ。
「いえ……」
本心では驚いていたし訝ってもいたが、それをストレートに口に出してはさすがに不躾というものだろう。否定の言葉を口にしたセラに、だがティルフィアは微笑んでみせた。
「良いのです。これからしばらくは行動を共にするのですもの、そんなに気を遣わないでくださいませ。……留学というのは、お父様が勝手に決められたことですわ。だから、城のほとんどの者は知らないのです。言えば、きっと止めるでしょうから」
「何故ですか?」
「見ておわかりになったでしょう? ……お父様はわたくしを溺愛しすぎなの」
姫の答えは婉曲なものだったが、それだけでセラにも想像はついた。
ティルフィアは、王の十番目の子にして、唯一の姫君だという。とすれば、上に九人もの王子がいるはずだ。その彼らを全てさしおいて、王はティルフィアに国の全てを託すという。そのような台詞を迷いもなく口にするほど、王はティルフィアを溺愛しているのだ。
ふいに、セラはこの国の行く末が心配になった。
(もしかしたら、陛下はこの国のことを憂いて、姫に留学を勧めたのだろうか)
根拠はないが、ふとそのようなことを思った。だが、ティルフィアが急に立ち止まったため、セラの思考は中断された。
「ごめんなさい。わたくしが先に歩いてしまって。早く城から遠ざかりたくて、つい……。今日はどういうご予定なのかしら?」
「あ、いえ。私の方こそ失礼致しました。間もなく日が暮れます。今から港へ向かっても出港には間に合わないでしょうから、今日は王都で宿を取ろうかと」
慌ててセラは非礼を詫びた。
ティルフィアの様子を見るに、早く王都から去りたいようではあったが、あまり夜間に姫を連れまわすのは好ましくないし、夕食も取らねばならないだろう。
「わたくしは外のことはわかりません。ですから旅の間は、全て貴方に従いますわ」
やや自嘲的な笑みを浮かべて、ティルフィア。だが、外のことがわからないのは、正直なところセラも同じだった。まして、初めて来る大陸だ。どのような宿があるかもわからないし、どのような宿が姫に相応しいのかもわからない。王都で姫と宿を取るなど、予定にはなかったことだ。
「……姫はどのような宿をご希望ですか?」
希望を聞いたところで、それに沿える自信などないのだが、とりあえず聞いてみる。
「普通で構いませんわ」
「普通……ですか」
「あの、わたくしが王女だからって、あまり気を遣わないで欲しいということですの」
そうは言っても、セラには普通の基準がわからない。困り果てて王都の町並みを見回してみる。その結果、うまい具合に今いるところが宿屋の前だということに気付いた。一階は食堂なのだろう、窓から良い匂いが漂ってきている。そろそろ食事時だ。
「その、安直で申し訳ありませんが。ここでいかがですか?」
やや済まなそうに申し出るセラに、ティルフィアは満面の笑みで頷いた。

 たまたま通りかかった宿は、新しくはなかったが小奇麗で感じの良いところだった。部屋に入ってようやく、ティルフィアはフードを脱ぎ、小さく伸びをした。銀髪が肩を滑り落ち、背中に流れる。白い肌に澄んだ碧眼、整った容貌は噂に違わぬ美姫で、今は清楚なドレスではなく旅向きの軽装ではあるが、ちっとも彼女の美しさを損なっていない。国王が溺愛するのも仕方ないことかもしれないとセラは思った。まして、待望の姫だ。まだ若く、子のないセラでも、王の歓びは安易に想像できる。
ティルフィアの美貌にそんなことを思いながら、セラは彼女に声をかけた。
「では、姫。私は隣の部屋におりますので、何かあれば……」
「同じ部屋で構わなかったのに」
セラの言葉の合間に、ぽつりとティルフィアが不満げな呟きを漏らす。だが、セラに背を向けた格好での小さな呟きは、セラの耳には届かない。
「え?」
「なんでもないですわ」
聞き返すセラに、ティルフィアは振り向くとにっこり笑った。
「そうですか?」
追及しようかセラは少し迷ったが、姫が何事もなかったようにずっとにこにこし続けているので、気にしないことにした。
「それでは」
「セリエス様」
部屋を出て行こうとするセラを、だがティルフィアが呼び止めた。姫に様付けで呼ばれ、少し驚きつつもセラが振り返る。用件があるのかと思えば、彼女はなかなか二の句を継がず、結局先に言葉を口にしたのはセラの方だった。
「ティルフィア姫。私は一介の騎士です、呼び捨てで構いません」
「では、わたくしのことも姫などとは呼ばないで下さいませ」
結局用件などなかったのか、ティルフィアはこちらの言葉に答えてきた。しかも彼女の口から出たのは思わぬ台詞で、今度こそ驚いて彼女をまじまじと見る。その彼女の頬が染まっているのは、夕焼けのせいではないだろう。
澄んだ碧眼に熱っぽく見上げられて、少し焦る。
「貴方さえご迷惑でなければ……、どうか、わたくしを」
こちらをずっと見つめたまま、ティルフィアが少しずつ距離を詰めてくる。鈍感なセラでも、ここまでされれば気付かないわけにはいかなかった――姫がこちらに向ける好意に。
だがどうすればよいか解らない。「え」とか「いや……」とか、言葉にならないよくわからない返事をしているうちに、ティルフィアはそっと華奢な身体をこちらに預けてきた。
だが、だからといって彼女を抱きしめてやるわけにはいかない。それは立場上の問題でも、任務の問題でもなく、もっと根本的なことで。
「姫、私は」
そのことを口にすべく、咄嗟にセラが彼女の胸を押し戻した――が、その瞬間セラの口から滑り落ちたのは、弁解ではなく悲鳴だった。
 
 一方その頃、セラの足取りを追っていたライゼスは、同じ宿に部屋を取ったところだった。
 セラがリルドシア城にいる間、彼はずっと城下でリルドシアの情報を集めていた。護衛するだけの任務とはいえ、知識はあって邪魔になるものではない。歩き詰めだった疲れからベッドに突っ伏していたのだが、そんなライゼスを出迎えたのは安息の眠りではなく、セラの悲鳴であった。
 ベッドから跳ね起きて、部屋を飛び出す。セラの部屋まで確認はしていなかったが、ただセラの気配に向けてライゼスは全速力で駆けていた。だが、その扉を開けるのに、一瞬だけ躊躇する。
 自分は、本来ならこの任務に関係はない――影からフォローするだけの存在だ。ティルフィア姫、即ちリルドシア王家に、その存在を知られてはならないだろう。だが、ライゼスは扉に手をかける。
セラの身の安全より優先されるものなど、ありはしない筈だ。
「姫!!」
躊躇したのは、時間にすれば一秒にも満たない一瞬だった。あとは爆発するような感情に任せて、ライゼスは扉を開け放った。夕暮れが過ぎようとはしているが、それほどまだ闇は濃くない。部屋の様子ははっきりとライゼスの双眸に映った。だが――
「……??」
 最初にライゼスと目があったのは、銀の髪と澄んだ碧眼をした少女だった。彼女が例の姫であることは、ライゼスにもすぐわかる。姫は、顔中に「?」マークを浮かべこちらを見返してきていた。無理もないだろう。だが、ライゼスもまた同じような表情をしていることは、ライゼス自身にもわかっていた。
彼の目にとびこんできた状況は、丁度その姫が、セラを押し倒しているところだった。
セラが姫を押し倒して、姫が悲鳴をあげたならば、客観的には――あくまで第三者的には自然だ。だがそうではない。そして、この状況はライゼスにとってはさらにありえない。 だが膠着もまた、一瞬だった。
「ラス!!」
 膠着を切り裂くセラの声は、助けを求める色を帯びていた。はっとして、ライゼスが顔を上げる。

「こいつ――男だ!!」