お姫様の秘密 1


「ティルフィアや」
 部屋の外から聞こえた猫なで声に、少女は顔を上げた。
 白皙の肌を銀の輝きが零れ、扉に歩み寄ると清楚な白のドレスが衣擦れの音を立てる顔の半分が見える程度くらいに少しだけ扉を開けて、少女は言葉を紡いだ。
「なんですか、父上」
 綺麗に切りそろえられた前髪の下に、碧眼が煌めいている。形の良い唇から紡がれる声は、その外見に相応しい鈴の音のような声――
ではなかった。
 不機嫌を隠そうともしない無愛想な低い声に、少女の父は白い眉を大げさなほどに顰めた。
「なんという声を出すのじゃ、ティルフィアや。可愛らしい顔が台無しじゃぞ」
 猫なで声をそのままに、少女――ティルフィアの父は、扉の隙間に恰幅の良い体をねじこんだ。彼女はあからさまに嫌な顔をしたが、父に構う様子は見られない。
「そろそろ、リルステルのランドエバーから騎士が到着する頃合じゃ。お前、わしに隠れてランドエバー王に書状を送っていたようじゃが、残念じゃの、それはわしが預からせてもらっておる。王はわしの書状どおり、若く立派な騎士をわが国へと送り出してくれていることじゃろう。愛想良うせいよ、ティルフィア」
 揉み手をせんばかりににこにこと近づいてくる父王に、だがティルフィアはぷいと背を向けた。
「そんなどこの馬の骨ともわからぬ男と、わたくしは旅などしたくありません」
「どこの馬の骨などと言っては失礼じゃろう。あの精鋭の騎士団で名を馳せたランドエバーの騎士じゃぞ? 一体どこに不満があるというのじゃ」
 冷たく言い放つ娘に、父は大きく手を広げて――この老いた父が娘に対してするしぐさは、全てどこかが芝居がかっている――懐柔を続ける。そんなことは日常茶飯事なのだが、父のこの様子に、ティルフィアは内心辟易していた。
「わかりました。言うことは聞きますからもう出て行って下さい。わたくしにも準備があります」
 ぐいぐいと父の体を部屋の外に押し出すと、すかさず錠をおろす。
 急に決まった旅にも父の決めた護衛にも不満はある。だが、この生活から開放されるのは悪くない。決して悪くはない――
 父を追い出すことに成功したティルフィアは、窓辺へと歩み寄ると、王都の町並みを見下ろした。
 父は書状を握りつぶした気でいるが、それに対する対策に抜かりはなかった。とはいえ、ランドエバーの国王が、父王の言うことより自分の願いを優先してくれるとは思い難い。
「さて、どんな王子様がわたくしをここから連れ出してくれるのかしら?」
 投げ遣りな姫君の呟きは、開いた窓から風に乗って流れてゆく。

■ □ ■ □ ■

 ふと、頭上から誰かに声をかけられた気がして、セラは空を仰いだ。
 どうやらそれは空耳だったようだが、見上げてみれば視界いっぱいに白亜の城が飛び込んできて、しばらくセラはその荘厳な様に見とれた。
 故郷ランドエバーの城は、軍事国だけあって豪奢というより無骨であり、砦か要塞に近い。おまけに古い。だが、このリルドシア城といったら、そんなランドエバーの王城とはまるで正反対で、おとぎ話に出てくるお姫様が住んでいる城そのものだ。
「さて……、だからといって、いつまでもぼんやり城に見とれている場合でもないな」
 呟いて、セラは城へと向き直った。ライゼスとは既に港で別れている。ここからは一人で騎士として任務を遂行せねばならない。
 意を決して、セラは歩みを進めた。城の周りには堀が張り巡らされ、澄んだ水の上に白鳥が優雅に羽を伸ばしている。その上にかかる跳ね橋を渡り始めると、門番の目がセラを捉えた。 
 甲冑を着込んだ二人の門番は、セラの姿を認めるや否や、ガシャガシャと彼女に駆け寄っていく。
「もしや、姫の護衛にランドエバーよりいらっしゃった騎士様でしょうか?」
 突然鎧騎士に詰め寄られ、名乗るより先に素性を当てられてギョッとしたが、セラは毅然とした態度を崩さず頷いた。
「いかにも、ランドエバー聖近衛騎士団第九部隊所属、セリエス・ファーストと申します。この度王命により――」
 だが、そこまで言ったところで、門番二人にがっしと両側から腕を掴まれ、セラの言葉は途中で切れた。
「お待ちしておりました、騎士様。さぁ、こちらへ!!」
 そのまま二人にぐいぐいと腕を引っ張られ、セラの体は白亜の城の中へと引きずられていったのだった。
 貴賓室まで通されて、ようやく強引な門番の案内から解放される。「しばらくお待ち下さい」、そう言って彼らが退室してしまうと、セラは大きく息を吐いた。
 歓迎される――とまでは行かなくとも、客人として迎えられるだろうと思っていた。しかし、門にいた二人の兵士は、まるで来訪を知られたくないかのように慌ててセラをここまで運んできた。もしかして、この来訪は望まれぬものだったのだろうか。
 思わず考え込んでいると、不意に貴賓室の扉が開いた。そちらを振り仰ぐと、豪奢な王冠を頂いた白髭の初老の男が、銀の髪の美しい娘を伴って入室するところであった。一目見てリルドシア国王とその姫であることを察し、慌ててセラはソファを降りた。 「よい、楽にくつろいでくれ」
 跪こうとするセラを片手を振って止め、王が気さくな調子で言う。そしてテーブルを挟んだ向かいのソファへと腰を降ろした。姫とおぼしき輝く銀髪をした少女はその少し後ろに立ったままだ。俯き加減のその様子から、表情はよく伺えない。
「ランドエバー聖近衛騎士団第九部隊所属の、セリエス・ファーストと申します。陛下、姫君におかれましてはご機嫌麗しく――」
「よいよい、堅苦しい挨拶は無しじゃ。セリエスと申したな、そうかしこまらずともよい。とりあえず座りたまえ」
「は……、それでは……」
姫がまだ着席していないことを気にして、セラは少し戸惑ったが、王に強く促され着席する。王はそれを満足気に見ると、次は傍らの姫へと目を向けた。
「ほれ、ティルフィア。お前も挨拶するのじゃ」
挨拶を促されて、だが姫君はぷいと父王から顔を背けた。機嫌が悪いのであろうことが、傍目からも窺い知れる態度である。
(書状で、姫は男性騎士を嫌がっていたからな)
それを知るセラにとっては姫のその態度も納得できたが、王は困ったように眉尻を下げた。
「いや、申し訳ないセリエス殿。待望の姫じゃったものでな、どうにも甘やかしてしまって、我儘に育ってしもうた。気を悪くされんでくれ」
「いえ。噂にも勝るお美しさ、陛下が大事にされるお気持ち察して余りあります。こうしてお目に掛かれるだけで身に余る光栄」
 王はセラの言葉を聞き「そうじゃろうそうじゃろう」と満足気に笑った。挨拶の口上は煩わしくとも、娘を褒める言葉は別のようである。
「貴殿に護衛を願いたいのが、このティルフィアじゃ。わしの十番目の子にして、わが国唯一の姫。しかしながら、先述の通り、少々甘やかしすぎてしまってな。――わしはゆくゆく、ティルフィアにこの国の全てを託したいと思っているのじゃよ。それには少し、彼女は世間知らずじゃ。それで、ランドエバーで色々と勉強させたいと思っておるのじゃ」
ぴくり、と。姫君――ティルフィアの体が動いたのに気づき、セラもまたカップを降ろす手を一瞬止めた。目も合わせず言葉も発しないこの姫に、初めて感情が動いたのが解ったからである。そしてセラもまた、妙な違和感と疑念を感じていた。だがここで口にすることではない。
セラとティルフィア、各々の僅かな反応に王は気付くことはなく、ひとり彼は言葉を続ける。
「しかし、書状で聞いてはいたが、本当に若いの」
きた――と、セラは身構えた。そこは、セラとライゼスがもっとも恐れていた問題でもある。だが、セラが何か言う前に、王は片手を前に出して、セラの発言を止めた。
「いや、気を悪くせんでくれ。わしはランドエバー王を心より信頼している。彼が選んだのであれば、歳や見た目など関係なく素晴らしい騎士だと信じておるのじゃ。それに貴殿のような若く凛々しい騎士であれば、我が愛娘と並んでも遜色ない」
心底嬉しそうに王が目を細めたのを見て、セラはいささか拍子抜けしていた。信頼を得ることがこの任務で最も困難であると覚悟していただけに、それがランドエバー王の手腕のみで解決していたとなれば、張り切っていた分がっかりしたといっても過言ではない。不謹慎ではあるが。
そんなセラの心中を知るわけもなく、リルドシア王はさらに言葉を続けた。
「それで……じゃ。セリエス殿」
だが、今しがたまで饒舌だった王は、そこでふいに言い難そうに言葉を濁した。やや怪訝そうにセラが顔を上げて、たっぷり一呼吸おいてから言葉を継ぐ。
「急で申し訳ないのだが、今すぐティルフィアを連れて出立してくれぬか?」
 それは、王が言葉を濁さねばならぬほど無理な願いでもなかった。だが、全く驚かぬ内容でもなかった。
まもなく夕刻に差し掛かろうとしている。今すぐ王都を出て港へ行っても、定期連絡船の出港時刻には一晩待たねばならないだろう。つまり、王都で宿を取らねばならないのだ。時刻的に、姫の出立は明日だろうとセラは読んでいた。セラだけならまだしも、姫君が王都にいながら宿を取らねばならぬ理由はどこにもないはずだ。
視線だけで、セラはティルフィアの様子を探ってみた。だが、今度は先ほどのように、姫に感情が揺れることはなかった。
「よいかの? セリエス殿」
リルドシア王が返事を促す。こちらの判断を仰ぐ疑問文ではあったが、やんわりと有無を言わさぬ色があることに気付かぬほどセラは鈍感ではなかったし、また立場上断れる訳もなかった。
「はい、仰せの通りに」
セラの返事に、王はどこかほっとしたものを交えた、満足気な笑みを顔中にたたえた。
「では、ティルフィア。すぐに準備をするのじゃ。ティルフィアの準備が整い次第、出立じゃ。なに、そう時間のかかることではない。案内させるゆえ、セリエス殿は門で待っていてくれたまえ」
ついに一言も発することなく、そして腰を降ろすこともないまま、ティルフィアが退室させられる。すぐに案内の兵士が呼びつけられ、セラもまた、この慌しさに違和感を感じつつも貴賓室を後にしたのだった。