謎の青年 4



 それぞれの持ち場が決まると、エズワースは案内係を呼びつけた。着いていくよう指示され、一同がそれに従う。中庭を通って別棟に渡ると、長い廊下にいくつもの扉があり、いったい何室部屋があるのだとセラは内心で閉口した。これは調べるのが骨だと今から気が重くなっていると、やがて案内係は立ち止まった。
「セリエス様とライゼス様はこちらを。リュナ様達は向こうをお使い下さい」
 二つ部屋の扉を開ける。彼は男女で分けたのだろう。だが実際の性別は異なるためにライゼスは困惑した。ティルの刺々しい視線を感じるが、ライゼスの意図するところではないので睨まれても困る。
「個室を用意できずにすみません。使用人にはこれでも格別の配慮なのです」
「いや、構わない。御配慮有難く頂戴する。大部屋だと思っていた」
 あっさりとそう答えるセラは特に困っていないらしい。ライゼスから言わせればそれが困るのだが――しかし、後でリュナと代わって貰えば済むことである。ティルと同部屋も遠慮したいところではあるが、この場合仕方ないだろう。とりあえずそれで不都合は無い筈とライゼスは考えていたのだが、その目算はさっそく外れた。
「これが制服になります。この後簡単に屋敷を案内しますので、着替えて下さい」
『は!?』
 ライゼスとリュナの声がハモる。このままの流れだと、それぞれ部屋に入って着替えることになる。即ち、ライゼスはセラと、リュナはティルと一緒に着替えなければいけない。それは、ライゼスもリュナも色々困る。多少話はややこしくなるが、セラとティルの性別が逆であることを告げようかとライゼスは悩んだ。だが、
「ああ、解った」
 セラはやはり特に困っていないようで、服を受取ってさっさと部屋に入ってしまう。あろうことか、親切にもライゼスの分まで持って行ったらしく、残る二着がティルに手渡される。 「…………」
 ますます刺々しい視線を食らったが、仕方なくライゼスはセラを追った。

「ううっ、俺もセラちゃんと着替えたい……」
「ティルちゃん、変態みたいですよ」
 冷たく言いながら、リュナはティルの手から自分の服をひったくった。デザインは同じだったがサイズで判断する。
「いいんですかティルちゃん。女の子だと思われてるみたいですけど」
 いいわけはないのだが、男だと知られれば何故女性の作法やダンスなどができるのかということになる。その理由をでっちあげるのも面倒なことではあった。
「良くないけど……話が面倒になるのも嫌だし。それよりさっさと着替えよ」
 それに触れれば――そうでなくてもこの流れでは、リュナにもそれを説明しなければならなくなる。話を流すとリュナは素直に頷き、服を持ってティルと距離を取った。
「こっち見ちゃ嫌ですよ!」
 釘を刺されて、ティルはまじまじとリュナを見た。見られているので着替えられず、リュナが手を止めてティルを見返す。
「なんですか」
「いや。十五歳なら俺フツーに範疇なんだけどね……」
 言いつつ、さらにじろじろとリュナを見る。小柄な体と、頭の上ではねるツインテール。十五歳といえばあどけなさが抜けないのは仕方ないが、彼女はさらに幼かった。実年齢より三つ四つは下に見える。ハンターライセンスの生年月日を見なければとても信じられなかっただろう。彼女の頭から爪先まで視線を何往復かさせたのち、ティルはようやく彼女から目を離すと、はあと溜め息をついた。
「うーん、そんな気起きない」
「……ッ」
 パーンという小気味よい音が廊下まで響いて、案内係が首を捻った頃。
 逆の部屋では、ライゼスが悲鳴を上げそうになっていた。というのも、服を受取って後ろを向く前に普通にセラが着替え出したからである。セラが女性として無自覚なのは知っていたが、ここまで来るとひどい。慌てて回れ右しながら、ライゼスは叫んだ。
「あの、セラ!」
「……?」
 怪訝な顔をするセラは、何故いきなり怒るのかとでも言いたげである。ライゼスには甚だその神経が理解できないのだが、彼女は不思議そうな声をこちらに投げてきた。
「何だ?」
「何だじゃありませんよ! い、いきなり着替え出さないで下さい! あのですねえ、前から言おうと思ってたんですが」
 そろそろどうにかせねば――とはかねてから思いつつ、なかなか言い出せなかったあれこれが、いよいよ堰を切って溢れだす。だが、ひょこりといきなりセラが視界に現れて、ライゼスは飛び上りかけて言葉を切った。しかし、既に彼女は着替え終わっていて、安堵だか苛立ちなのかよくわからないもやもやが頭を混乱させる。
「あ、あのですね! セラは少し、女性としての自覚がなさすぎます! 貴方も年頃なんですから、少しは恥じらいを持って下さい!」
「上着脱いだだけじゃないか。全部脱ぐわけじゃなし大袈裟な」
 案の定、セラは全く動じない。あっけらかんと言われて、ライゼスは本当に頭痛がした。
「そういう問題じゃありません! それに、貴方は少し無防備すぎるんです」
「?」
「そ、その……男に対して……です」
 意味が解らなかったのだろう、きょとんとするセラを見ていると、益々不安になってくる。自分が言うべきことでもないのかもしれないが、堪え切れず零すと、ようやくセラは理解したようだった。
「……ああ」
 くす、とセラが苦笑し、気恥かしさと気まずさにライゼスが目を背ける。
「本当にお前は心配症だな。私が易々と御されると思うか? それに、そんな物好きがいるとも思えないし」
 セラの笑い声が耳に届くたび、頭痛がひどくなる気がする。あれだけ毎日ティルにまとわりつかれていて、彼女は本当に何も思わないのだろうか。そうすると、どこまで彼女は鈍感なのだろうか。もう天然とか鈍感とかいうレベルを、とうに通り越しているような気がする。
「そうは言いますけど、忘れたんですか? あの人と初めて会ったとき」
 ライゼスの唸り声に近い言葉に、セラは罰が悪そうに頬を掻いた。
 ティルと知り合った最初の任務で、ライゼスは影からセラをフォローするように国王から命じられていたのだが、セラの悲鳴に駆けつけてみればティルに押し倒されていた訳である。思いだしただけで殴り倒したい。
「あんなの警戒しようがないだろ? 男だなんて思わなかったし」
 十七年姫として生きてきたティルは、誰も女でないことを疑わないほど美しく愛らしい容姿をしている。ドレスを纏って微笑んでいれば、どこの国の姫君よりも姫らしい。それを男として警戒するほうが無理である。
「……今も警戒しているようには見えませんが」
「どうして今警戒する必要があるんだ」
 セラが眉を顰める。苛立っているのはこちらだというのに、彼女もまた声に苛立ちを乗せてこちらを見てくる。
「お前はティルの冗談をいちいち本気にしすぎなんだ」
「…………あの人は」
 本気だと言いかけてライゼスは押し黙った。そんなことを自分がセラに伝える義理もないし、言ったところでセラは信じない。
 冗談ならばティルのことなどどうでも良かっただろうと思う。もしくは、彼が本当にただのふざけた人間だったら、それもどうでも良かった。さっさと引き離して終わりにできる。だが、姫の顔も、ふざけた顔も、ランドエバー王城での真面目ぶった顔も、どれひとつとして本当の彼ではない。それがライゼスにすらわかるくらいに、近頃彼は『作れて』いないのだ。全てを欺くと言った彼は、セラだけに良い顔をしてるわけではない。セラだけはきっと欺けないのだろう。だから――
(だから僕は、あの人が嫌いなのか――)
 唐突に理解して、ライゼスは俯いた。だが、コンコンと外から扉を叩かれてはっとする。おそらく、催促のノックだろう。まだ手にしたままの服に視線を落として、慌てる。 「……すみません。先に行ってください、すぐに行きます」
 頷いてセラが退室し、ライゼスは急いで着替え始めた。