謎の青年 3



 かくて昼下がり、エズワース邸の中庭には警護兵として彼に雇われているものたちがずらりと並んだ。この屋敷の使用人専用の制服なのだろう、皆先ほどの門番と同じ服を纏っている。先ほどエズワースが述べたとおり、セラよりずっと屈強な体つきをしたものばかりだ。さすがに無作為に採用しているわけではないだろうから、皆一定以上の戦闘力はあるだろう。
(――あいつは、いないか――)
 セラが考えていたのはおおよそ別のことであった。集まった私兵達をぐりると見渡すが、その中に、あの蜂蜜色のブロンドをした青年は見受けられなかった。あわよくば、これで会えるのではないかと思ったのだが、さすがにそれは楽観的すぎた。改めて集まった面子を見回す。ざっと十数人。さらに視線を伸ばすと、楽しげなエズワースと、対照的な表情のライゼス、そしてティルとリュナの姿が見える。
「さて、セリエス。誰から戦うかは彼らに任せてもいいのかな」
「ええ。何ならまとめてお相手しても良いですよ。その方が話も早いですし」
 剣の柄を撫でながら、エズワースと同じくらい楽しげにセラが言葉を返す。セラにしてみれば単に戦えることが楽しいのだが、相手になる者にとっては挑発以外の何ものでもない。彼らは一様に表情を強張らせ、セラを見た。舐めやがって、と誰かが吐き捨てる。それと同時に、不意をついてセラに切りかかった者がいた。澄んだ音が、青い空に吸い込まれていく。 「では、これが開始の合図で」
 涼しくのたまうセラの手には、既に剣があった。ざわ、と雇われ兵達の間に喧噪が駆け抜ける。その間にも、セラは最初に切りかかってきた者の剣を跳ね除けて吹き飛ばし、手近に居た者の腹に剣の束を叩きこんで、振り向きざまに足を払った。その数秒に満たぬ一連の動きで、数人が地面に転がる。あっという間にセラのペースだ。
「きゃああああかっこよすぎですうううう!」
 リュナが手を叩いて喜び、エズワースが感心して呻き声を漏らす。
「これはこれは……驚いた。是非とも欲しいな」
 顎を撫でながら、満足げに呟く。その間にも、三人四人と、セラの足元に男どもが次々に倒れ伏していく。もう結果は見なくとも知れていた。
「君達もあれくらい戦えるのかね? 聡明そうな坊やと美しいお嬢さん」
「……」
 ふいに向けられた声に、ティルが渋面になる。そして食ってかかろうとするのを、ライゼスは慌てて掴んで止めた。放っておけば、女じゃないと切れ出しただろう。だが、それでエズワースの機嫌を害してしまっては、せっかくのセラの立ち回りが無駄になる。掴んだ腕はすぐに振り払われたが、さすがにティルも察したようだった。とりあえずは収まった彼を見て、安堵の息を吐く。だが、安心してばかりもいられない。
 明らかに戦えるようには見えないと、エズワースの目と言葉が語っている。実際ライゼスにはセラのような大立ち回りなどできない。魔法を使えば重宝されるとは思うが、それでは逆に目立ち過ぎてしまう。希少価値の高い精霊使いが賞金稼ぎの真似ごとをするなど明らかに不自然だからだ。そしてそれを言うなら、ティルなどは何もしていなくとも目立つ。存在自体が浮いているのに、これ以上目を引くようなことは迂闊にできないだろう。
 どうしたものかと考えていると、ふとその思考は可愛らしい声に中断された。
「パパぁ」
 その声に目を向けると、ピンクのワンピースを着た女の子が屋敷の方から駆けてくる。歳はリュナよりも少し下ほどだろうか。彼女が上げた言葉からしても、エズワースの娘だろう。そしてその後から、女性が追いかけてくる。
「レリア様。まだお勉強の時間ですよ」
「やだぁ。レリアべんきょうしたくない」
「我儘を言わないで下さい。また先生が帰ってしまいます」
「帰ればいいもん。べんきょうやだあ」
 舌足らずの声をあげ、レリアと呼ばれた娘がエズワースの体を盾に隠れる。追ってきた女性は恐らくは小間使いだろう。必死に少女を説得するが取り合って貰えない。
「……。何か、とても馴染み深い光景を見ている気がします」
 遠い目をして、ライゼスは呟いた。ティルは苦笑したが、知らないリュナは不思議そうに両者を見比べた。
「レリア、我儘を言うんじゃない」
「だってえ、面白くないもん。ほかの国のこととか、けいさんとか、どうでもいいもん」
 頑として戻ろうとしない娘に、エズワースが溜め息をつく。だがふと思いついて、ライゼスは腰を落とすとレイアと視線を合わせた。
「他の国のことは、面白くないですか?」
「……? だって、覚えられないもん。ほかの国の名前なんて、知っても仕方ないもん」
「そうですか。……ところでその服、とても可愛いですね」
「え?」
 ふいに話が勉強から変わって、レイアは目を丸くした。だがすぐに、満面の笑みで頷く。
「うん! 誕生日にパパが買ってくれたの。レイアのお気に入り!」
「そうだったんですか。この生地は、ラーシアの特産品なんですよ」
「ラーシア?」
「ファラステル大陸にある国です。リルドシア国で取れる綿花を使って、隣のラーシアで加工するんですよ。そしてこの生地が作られます。そこからランドエバーに来て、あなたの服になったというわけです。この服は、あなたの元に来るまでいっぱい旅をしましたね」
 にこ、と笑いかけると、レイアは興奮したように自分の服を触った。
「この服、ふぁらすてる大陸からきたの!?」
「ええ」
「らーしあっていうところでできたんだね!」
「ええ。ほら、覚えられたじゃないですか」
 ライゼスの言葉に、レイアはまたぽかんとした。しかしやはり、さきほどと同じように、みるみる笑顔が広がって、目をきらきらさせて何度も頷く。それを見て微笑みながら、ライゼスは立ちあがった。感心するエズワースに、穏やかに提言する。
「どうでしょう。僕をこの子の家庭教師として雇いませんか」
「ずいぶんと君は博識なんだね。それに教え方も上手い」
「この子より遥かに聞き分けも覚えも悪い、じゃじゃ馬の家庭教師をしていたことがあります。その方に比べれば、ずっと素直でいい子ですよ」
 色々と含んだ言い方をしたが、聞かせたい相手は中庭で暴れている。そんなことは知らないエズワースが含みに気付く訳もなく、ただ恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いや、レイアの勉強嫌いも相当でね、家庭教師が揃って匙を投げてしまったんだ。困っていてね。勉強だけじゃない、ダンスやテーブルマナー、歌に楽器と色々やらせたのだが、いずれも駄目だった。女の子なのだから、いずれ世に出た時に必要になると思うのだが……」
 エズワースが困ったように息を吐くが、それについてはライゼスにもどうしようもない。貴族としての礼作法は叩き込まれているが、男性と女性では異なる点が多すぎるし、歌や楽器に至っては皆目経験がない。しかしふと思い当り――ライゼスは真後ろをぐるりと向いた。
「…………」
 ばちりと目が合い、ティルがとても嫌な顔で押し黙る。しばらく、膠着が続いた。そして。
「……ではそれらは、どうかわたくしにお任せくださいな」
 今までの仏頂面を綺麗に払拭し、ティルは微笑むと優雅に一礼した。そのあまりの美しさにエズワース親子が思わず首を縦に振ったとき、丁度セラが最後の一人を投げ飛ばしていた。