謎の青年 1



「セラのことを知っていたということは――その、素性を?」
 リュナがいなくなったことは、セラから詳細を聞くのには好都合だった。とはいえ、どこで誰が聞いているのか解らないので婉曲にライゼスがそう尋ねる。
「ああ。私のことをセリエラと呼んだ」
 手持無沙汰に、セラが水の入ったグラスを揺らす。積み重なった氷が、音を立てて崩れた。 普段、セラはセリエスという偽名を名乗っている。本名を知っているということは、そのまま素性を知ることに直結する。
「かまをかけている風ではなかった。あれは確信している。それに、それだけじゃない――」
 ぎゅ、とグラスを握り締める。その手の中が湿っているのは結露のせいではなく、内側からにじみ出るような嫌な汗だった。
「あいつ、只者じゃない。……ティルも気付いただろ」
「あそこまでされて気付かないほど馬鹿じゃないよ。情けないから蒸し返したくないけど」
 セラにそう振られて、ティルは渋面になった。セラに触れるのを阻止しようとして、全く何もできなかったことを思い出すと、苛立ちと憤りが体内を満たしていく。同時に、悔しいが戦慄すらそこにはあった。セラほど腕に自信があるわけではないが、それでも今まで何度も修羅場は潜っている。だが、あそこまで歯が立たなかったことはなかった。
「もしかして貴方、自重したわけじゃなく太刀打ちできなかっただけなんですか?」
「うるせーほっとけよ、文字通りそうだよ」
 そんな悔しさに容赦なく塩を塗り込むライゼスの言葉に、ティルは不貞腐れた声を返してそっぽを向いた。その代わりに、セラがライゼスの方を向いて補足する。
「ティルに刀を抜かせないくらいだ。気配の消し方といい、相当だぞ、あれは」
「抜かせない?」
「ラスにはただ手を押さえたように見えたかもしれないが、ティルは私より速い。あんな芸当、私でも無理だ」
 そっぽを向いたまま、ティルは横目だけセラに向けた。そして、内心だけで感嘆する。戦ったこともないし、戦っているところをそう見られたわけでもないのに、よくセラは把握している。やはり戦闘に関するセンスがずば抜けている。
 剣聖と讃えられた父を持ち、鬼神と言われるリルドシアの武将と対峙しても怯まなかったセラを、只者ではないと唸らせるくらいの相手。つまりは、彼はそういう強さだった。
「そんな得体の知れない相手に素性を知られているわけですか……はあ」
 胃痛がしてきて、ライゼスは腹を押さえた。面倒の予感に一気に気が重くなる。今回はすぐに帰れると思ったところだっただけに、余計に反動がきた。
「ただの知り合いってことはないの? 見た感じランドエバー人っぽかったし、貴族とかならセラちゃんとか陛下の顔を知っててもおかしくないだろ?」
「私を知っていて、ただ声をかけただけならあんな去り方しないだろう。それに私は、私より強い相手は忘れない」
 セラの言は的を射ており、それから三人は押し黙った。
 彼の去り際は、確かに何かを含んでいた。追ってこないよう仕向けられた感じすらする。
 何か企んでいるのだとすれば――素性を知られている以上、放置はしておけなかった。それに、今回は個人的な用事で来ている。セラにしても、父親に迷惑をかけるのは本意でない。
 三人がそれぞれに黙り込んでしばらく時間が流れただろうか。
「ただいまー!」
 明るい声が、重い場を破り、息を弾ませてリュナが戻ってきた。
 彼女は、さっき座っていた椅子を引くと腰を下ろし、まず切れた息を整えた。次に、残っていた自分の水を干して、そしてそのあと深呼吸すると、ウエイトレスを捕まえる。
「ええっとぉ、オレンジジュースとカフェオレとメロンソーダとチョコバナナパフェとストロベリーパフェとプリンアラモードとパンケーキお願いします!」
 メニューも見ずに、勢いよくリュナがまくしたてる。ウエイトレスも面食らったように目を白黒させていたが、すぐにかしこまりました、と言うと下がっていった。
「あれ、みなさんどうかしました?」
 三人に凝視され、リュナが不思議そうな声をあげる。圧倒されて皆が言葉を失う中、それでもようやく言葉を紡いだのはセラだった。
「いや……それ、全部リュナが食べるのか?」
「ええ、そうですけど……お姉様も食べたいですか?」
「いや、いい……」
 慌てて首を横に振り、セラは呻いた。
「想像するだけで気持ち悪い」
「僕もです……」
 ティルと、ライゼスまでもが、げんなりと呻く。考えただけでも気持ち悪くなりそうな甘いもののオンパレードだ。だが当のリュナはけろっとした顔で、やはり不思議そうに隻眼を見開きながらこちらを見返してくる。だがほどなくして、あ、と声をあげた。
「そうそう、例のおにーさんについて、ギルドで話聞きましたよ。なんと、Sクラスのライセンスを持つ、凄腕の賞金稼ぎでした。名前はクラスト・ヴィレットだそうです」
「クラスト……」
 セラがその名前を反復する。心当たりを探るが、どこにも行きつかなかった。ライゼスに視線を当ててみるが、彼も無言で首を横に振る。だが。
「……あれ、俺、どっかで……」
 意外な人物が意外な声を上げ、残りの三人の視線を集める。注視されていることにも気付かないくらい、ティルは黙って宙を睨んでいた。どこかで聞いたような気がする。だが、どうもはっきりとしない。
「知っているのか」
「――お待たせしました。オレンジジュースとカフェオレとメロンソーダとチョコバナナパフェとストロベリーパフェとプリンアラモードとパンケーキになります」
 セラが身を乗り出した丁度そのとき、ウエイトレスがトレイを手に現れた。話の腰を折られてセラは顔をしかめたが、リュナは目を輝かせてそれらをうっとりと眺めた。
 机の上に並べられた甘そうな品々に、セラが理解不能な表情をする。ライゼスとティルも、話を忘れてそれにつられた。
「ほんとにそれ全部食べるの?」
 呆れたティルの声に、リュナがツインテールが跳ねるほど大きく頷いてみせる。何を当然のことを聞くのかとでもいいたげな顔で凄い勢いでそれを平らげていくリュナに、三人はただただ驚くしかなかった。おかげで、何を話していたのか本当に忘れかけた。
「ああ、それでだ。知ってるのか、ティル?」
「え? ああ……うーん、やっぱ解んない。でも言われてみれば聞き覚えのあるような、見覚えのあるような……でも気のせいな気がする。女の子だったら忘れないんだけどなあ。男なんて深く記憶に留めないもんなあ」
 腕を組んで唸りながら、至って真剣にふざけたことを言うティルに、ライゼスはわざとらしく溜息をついた。だが聞こえなかったらしい、ティルはとくに何も言い返してこない。下らない喧嘩をしている場合でもないので、ライゼスもそれ以上は何も言わなかった。
「やはり直接会って色々聞きたい。リュナ、ギルドに行けば彼に会えるか?」
 問われ、リュナは口いっぱいに詰めこんでいたパンケーキを、オレンジジュースで慌てて飲み下した。
「ごっくん、えっと、長期の依頼を受けてるみたいですし、次いつギルドに来るかはわからないです。もしかしたら当分来ないかも」
 期待を裏切る返事に、セラは肩を落とした。それを見て、リュナが慌てて補足する。
「あ、でも大丈夫です。クラストさんが受けてる依頼、聞いてきましたから。そこに行けば会えますよ」
 パフェにスプーンを差しながら、リュナはにっこりと微笑んだ。