リュナの依頼 5



「多いな」
 まだ敵は姿を見せていない。だが木々の影からこちらに突き刺さってくる殺気の数で見当をつけ、零したティルの言葉にセラも頷いた。
「蹴散らしますか」
 言いつつ、ライゼスが印を切ろうと手をあげた。今は真昼、光の魔法が最も強化される時間帯だ。例え何人いても、ならず者如き一瞬で吹き飛ばせる。だがセラは首を横に振った。
「いい。全員吹っ飛ばされたら、アジトを聞き出せなくなるだろう。……それに」
 ひゅ、と一度空を切ってから、セラは剣を構えた。森に潜む気配との対峙、その緊張は頂点に達しつつある。その糸が切れるのは間もなくだ。察して、セラは息を吸い込んだ。
「たまには暴れさせろ。腕がなまる」
 セラが物騒な台詞を吐いたのと、気配が一斉に動いたのはほぼ同時だった。少年から青年まで歳の頃はまちまちだが、それぞれに武器をかかげ、狂気じみた笑顔を浮かべて襲いかかってくる。その波に向けて、セラも駆け出す。結わえたアッシュブロンドが踊る。彼女の表情もまた笑みだった。敗北など知らない不敵な笑みと共に、手足のように剣を繰るセラの動きは、まるで舞でも舞っているように美しくすらある。状況も忘れて、リュナは両頬に手を当てると黄色い歓声を上げた。逆に、ライゼスは手を降ろすと、溜め息を吐いた。
「神が人を作ったっていうのが本当なら、どうして神は姫君に並みならぬ剣才とか、男に女性のような美貌とか、要らないものを与えるんでしょうねぇ」
「嫌味のつもりだろうが、そして物凄く不本意だが、同感だ」
 セラの剣をかいくぐって襲いかかってきた男を無造作に刀で払いながら、ティルが渋々ライゼスの言葉を肯定する。 「俺に言わせれば……世界は理不尽だよ」
 ふと落ちてきた言葉に、リュナはセラからそちらへと顔を向けた。ただの独り言だったのだろう。彼はこちらは見ていない。その視線を追うと、リュナの視線も元に戻ることになった。そのまま、活き活きと駆け回るセラを見つめる。あれよあれよという間にならず者は地に伏していき、まだ動いている者は、必死に戦線離脱を試みていた。
「吐かせるより、追いかけた方が早いかな」
 振り向きざま、逃げていこうとするならず者の背に蹴りを叩きこんで昏倒させながら、セラはそんな風に思い直していた。その頃には、残った者たち――もう、そう多くはなかったが――の顔に笑みも戦意もなく、逃げることに必死で、ばらばらと森の奥へと走って行く。
「追おう。その方が早い」
「待って下さい、セラ!」
 すれ違いざまそれだけ告げて、ライゼスの静止も聞かずセラは剣を仕舞いながら逃げて行く野盗を追いかけた。足の早さには自信があった。森の中で足元は悪いし、前を走る男を見失わずに追いかけるのは決して容易なことではない。自分はできても、残りの面子がついてこられる保証はなかったが、最悪はぐれてもライゼスは魔力でこちらの居場所を探知できる。だから、迷わず走ることに集中する。
「セラちゃん足早いねー」
 不意に隣から声をかけられて、セラは少し驚いた。かなりのスピードで走っているのに難なく並走してくる隣の人物の声には、余裕すらあった。
「ティルも早いな」
「でもボーヤとリュナちゃんがついて来られないよ」
「ラスは魔力で私の居場所がわかるそうだ。はぐれることはないだろう」
 そんな問答をしながら追跡を続けていると、突然野盗達はバラバラに散った。追われていることに気付いたのだろう。
「こちらも二手に分かれよう」
「やだ」
 提案を短く切られ、セラは絶句した。ここで言い争っている暇はないので、咄嗟に一人に絞って追いかける。否定は冗談ではなかったようで、結局ティルはこちらに着いてくる。
「何故!?」
「だって俺が追ってるのはセラちゃんだもん」
「心配せずとも、あの程度の奴らなら何人いようが一人でなんとかなる!」
「そういう問題じゃなくてさ。相変わらずセラちゃんて鈍いよねえ」
 走りながら、ティルは苦笑した。意味が解らなかったのだろう。セラはもう会話をあきらめて、追跡に専念している。ティルも口を噤むと、笑みを消した。表情には苦味だけが残る。
 ――婉曲に言っているつもりはない。行動に出たこともある。それでもセラが気付いてくれないのは、だがその理由も解ってはいた。真剣さが足りないのだろう。からかっているつもりはないが、そう思われも仕方ないという自覚はある。
(……怖いのか、俺は)
 走るセラの横顔を盗み見ながら、認める。だが、認めたところでどうしようもなかった。
 欲しいものなど、一度も手に入ったことはない。きっとこれからもそれは同じだ。
「――撒こうとしている。一度撒かれた振りをして追うぞ」
 横から聞こえてくる鋭い声に、思考を止められ状況を思い出す。忘れていたわけではないが、ここのところ――いや前の任務からそうだ。集中力がまるでなくなっていた。それでもどうにか返事をすると、ティルはそちらへ意識を切り替えた。
 セラの言う通り、うまく撒かれた振りをして、追跡を続ける。ほどなくして、追っていた野盗の一人は洞窟まで辿り着くと、もう一度辺りを確認しながらその中へ消えた。
「あそこがアジトのようだな」
「うん。で、どーするの? ボーヤとリュナちゃんを待つ? さすがに二人でアジトに乗り込むのは、キツイと思うけど」
 追っていた男や、洞窟の周囲に見える見張りらしき者達に悟られぬよう、気配を消しながら小声で会話を交わす。その途中で、声は唐突に闖入してきた。
「じゃ、手伝ってあげようか?」
 歌うような声は、高めのテノール。驚愕と共に、セラとティルは弾かれたように声の方を振り仰いだ。隙など作っていないし、油断もしていない。それでも、共に全く気配に気づけずにいた。木の上からこちらを見下ろす男がひとり。木漏れ日の光を受けて、蜂蜜を溶かしたようなブロンドが煌めく。顔は影になって見えないが、辛うじて見えた口元が弧を描いた。  枝が揺れ、葉が擦れあってさわさわと奏でる。それ以外はとくに音を立てることはなく、青年は木の上から飛び降りた。セラは油断なく、そちらとアジトの両方に注意を向けていたが、アジトにいる野盗共がこちらに気付いた様子はなく、とりあえずその点には安堵する。とはいえそう危惧することもなかったのだろう。セラもティルも突然のことに焦りはしたが、それで声を上げたり音を立てたりするようなことはしていないし、青年も依然綺麗に気配は消していた。枝が揺れたのに気付いた者がいたところで、風がそうしたとしか思えない筈だ。現に今も風は木々を撫でていき、さわさわと音を立てている。ただその周囲より少し多くの葉が散って、青年の周りを彩っていた。
「キミ達も、依頼を受けて来たの?」
 先に口を開いたのは青年の方だった。さっきと同じ、歌うように問いかける彼にセラが頷いて見せる。
「そうだ。『も』ということは、君もそうか」
「……アッシュブロンドに、アイスグリーンの瞳……」
 セラの問いかけに、青年はすぐには答えなかった。否、何事か口の中で呟いたが、セラには聞こえなかった。訝しげに見返してくるセラに、くす、と青年が笑う。
「ああ、ごめん。そうだよ。ボクも朝依頼を受けて来たんだ」
 気配の闖入があったのは、丁度そのときだった。木々の間から、遅れて追ってきていたライゼスとリュナが姿を現す。
「セラ――」
 こちらを見つけて、ライゼスが呼ぶ。だがすぐに青年に気付いて、怪訝な顔をする。
「その人は?」
「依頼を受けて来たそうだ」
 会話を交わすセラとライゼスに、青年もライゼス達の方を見る。彼は僅かに目を細めたが、一瞥をくれただけで直ぐにセラへと視線を戻した。
「ボクが手伝う必要はなくなったみたいだね」
 薄く笑ったまま、あっさりと青年は前言を翻すと受けた依頼を放棄した。だがその言葉が示すこととは逆に、セラの方へと足を踏み出す。彼がセラに手を伸ばすのを見て、ティルがそれを遮った。
「俺の女に勝手に触んじゃねーよ」
「いつから貴方のになったんですか。ふざけないでくれます?」
 ティルに対して抗議しながらも、ライゼスの警戒もまた青年の方に向いていた。そんな二人を歯牙にもかけず、青年はしばらく何かを考えるような目つきをしていたが、やがておもむろに口を開く。
「……あぁ。もしかして君、男なの?」
 心底可笑しそうな顔をする青年を、ティルは苛立ちをそのまま顔にのせた。
「喧嘩売ってんの?」
 右手が刀の束にかかる。それと同時に青年の手がスッっと伸びて彼の手を掴んだ。それを目にして、セラが顔色を変える。
「……ッ、俺に触るな!」
「――ティル」
 噛みつかんばかりに吠えるティルをやんわりと制し、改めてセラは青年を見上げた。
「離してやってくれ」
 穏やかだが有無を言わさぬセラの声に、青年が大人しく従う。
「君は何者だ」
 セラの短い問いに、彼は答えを返さなかった。ただ目を細めて慈しむようにセラを眺め、その視線にセラがたじろぐ。その隙に青年はセラの手を取ると、手の甲に口づけた。
「お会いできて光栄ですよ、セリエラ姫」
「!」
 耳元でふいに囁かれた言葉に、反射的に手を振り払う。青年の手は思いの他簡単に離れた。というよりは、向こうにも拘束する意図はなかったのだろう。邪険に振り払われても、その後突き刺さるような二対の睨みを感じても、青年は怯まなかった。
「この依頼はキミ達に任せることにするね。じゃあまたどこかで」
「ま、待て!」
 踵を返した青年の背に、セラが叫ぶ。首だけで振り返り、彼はまたにこりと笑った。
「野盗たち、気付いたみたいだよ? 気をつけてね」
 言葉通り、背後で動きが起こる。喧噪と殺気が届いて、セラは舌打ちした。そちらを振り返ると、野盗たちが武器を手にこちらへと襲いかかってくる。
「――くッ」
 仕方なくセラは剣を抜いた。もう一度だけ青年を振り返ったが、その間に彼はすっかり姿を消してしまっていた。

 ――周囲から人の気配が消えても、青年の表情から笑みは消えなかった。木漏れ日の差し込む森を一人で歩きながら、実際に笑いだしたい衝動に駆られる。それを堪える必要もなく、フッと彼は息を漏らした。それは、次第に笑い声となって、森の中に響き渡る。
「ふふふ……」
 ひとしきり笑ってから、彼は口元に手を当てた。そろそろやめないと、いつまでも笑い続けてしまいそうだった。森を抜けて、街に入っても。夜が来て、朝日が昇っても。ずっと。
 ずっと待っていた好機が、最高の形で、ずらずらと向こうからやってきて並んでいる。
「ランドエバーの王女に、レゼクトラ家の御曹司、スティンの姫……死んだ筈のリルドシア王女、か。豪華なメンバーだ」
 うそぶいて、口に当てた手をそのまま上にずらし、木々の間から太陽を見上げる。それを掴むように、青年は手を伸ばした。太陽は手に隠れるが、指の間からこぼれてくる光の眩しさに目を細める。それを受けて水色の眼が輝く。
「さて、どうやって利用しようかな……?」
 愉しそうに、青年は太陽に語りかけた。