リュナの依頼 2



 国王との話を終えて退室すると、ティルは城門へと足を向けた。今にも外に飛び出して行きそうな様子のセラが、焦れたように声をかけてくる。
「遅かったじゃないか。すぐ出立する。ラスもティルも早く来い」
 リュナとは城下町で落ち合う予定になっている。さっさと歩き出すセラの背に、ティルは思わず聞いていた。
「え。ボーヤは謹慎じゃないの」
「ラスは私の側近だ。元老院が何を言おうが関係ない」
 当たり前のように答え、それに、と彼女は続けた。
「後で私が元老院に叱られてでもやれば済む。いつものことだ」
 それだけ言うと、セラは再び歩き出した。振り返れば、苦汁を飲み下したような顔のライゼスと視線がぶつかる。今度は、ライゼスがすぐに目を逸らした。
「セラちゃんってほんとフリーダムだよね」
「感心しないで下さい」
「後始末するのはボーヤだろ? 雰囲気的に首が飛びかねなそうだったぜ。行くの?」
 歩き出すライゼスにティルは軽い調子で問いかけた。すれ違いざまに、ライゼスがこちらを睨んでくる。
「……行きますよ。貴方に姫を任せるくらいなら、首くらい飛ばします」
「嫌われたもんだね」
「貴方こそ」
 皮肉気なティルの言葉は無視して、だがライゼスは隣で足を止めた。
「国に帰らなくていいんですか?」
 その意味を測りかねて、ティルは一瞬口を噤んだ。ランドエバーから出て行けという意味か、一応は心配してくれているのか――あるいはその両方か。彼のことだから無意味な雑談ではないだろうが、どちらにしてもティルの答えは同じだった。
「……今さら俺が帰る場所なんてない。オヤジが死んでも俺には関係ないことだ。帰ってほしいボーヤには悪いけどね」
 ライゼスは尚も何か言おうと口を開きかけていたが、ティルはそれを無視するとセラの背を追って町へと向かった。

 ■ □ ■ □ ■

 自由都市レアノルトは、ランドエバーの南に位置する自治都市群のひとつである。ラーサの森は、さらにその南に広がり、森を抜けた向こうは旧ブレイズベルク領となる。地図の上ではいずれもランドエバーの領地であるが、あまり国王の統治が及んでいない場所だ。治安を護っているのも、その街々で結成される自警団で、要請されない限りは騎士も介入しない。
 乗合馬車に揺られながら、これから向かう場所についてライゼスがそんな風に説明する。だが簡単にまとめたにも関わらず、セラの表情は明らかに欠伸を噛み殺していた。
「セラ、聞いてます?」
「まあ、いいじゃないか。行けばどんな土地かは解る」
「自国の領地のことくらい、行かずとも把握しておいて下さい」
「レアノルトだろう。名前くらいは知っている」
 得意げに言うセラにライゼスは頭を抱えた。レアノルトは港を有しているので貿易も盛んであり、行商も発達しているし、学校や病院と行った施設も充実している。人口も活気も王都に引けを取らない自由都市の中でも特に大きな街なので、名前を知っていたからといって何の自慢にもならない。むしろ子供でも知っている。
「名前など知っていて当然です」
「他にも知っている。自治都市なんだろう」
「では、自治都市群がランドエバーから独立して自治を始めたのはいつですか?」
 ライゼスの切り返しに、セラは「う」と言葉を詰まらせた。助け舟を出すように、リュナがセラの腕に縋りついて口を挟む。
「今から五百年くらい前ですよ、お姉様♪」
「おね……?」
 およそ産まれてから今までされたこともない妙な呼び方をされて、セラは複雑な顔をした。一方ライゼスは、年下の、しかもランドエバー人でもないであろうリュナでも知っていることをセラが知らなかったことについて、教育係としてのプライドが少し傷ついていた。
「他国の人でも知ってる常識ですよ……」
「正確には大陸歴二五八八年だな。ランドエバーが侵略戦争をやめると同時に自治宣言。その後三〇二四年のブレイズベルクの乱で再びランドエバーの傘下に入るが、王国の干渉は受けていないことから依然自治都市群と呼ばれてる」
 頭を抱えてライゼスが唸っていると、隣で教科書でも読んでいるような模範的な答えがすらすらと上がる。驚いてそちらに目を向けると、ティルが得意げにこちらを見返してきた。
「さすがですね」
 めったなことでは彼を誉める気にならないが、他大陸の彼がここまでランドエバーの歴史を把握していることには驚きを隠せず、思わず素直に感嘆の声が出た。しかし。
「ゆくゆくセラちゃんと結婚した時のためにランドエバーの歴史も勉強しとこうと思って」
「真顔で冗談言わないでくれます?」
 一瞬後には頭の中で前言を撤回した。相変わらず冗談と本気の区別がつかない男だが、本人は至って真剣な顔で、だがもうこちらには目もくれていない。
「ちなみにセラちゃん、今のプロポーズと取ってくれても――」
「そうか、やっぱりリュナはスティンから来たのか」
 だが勢い込んだティルの言葉は虚しく馬車の中に散り、蹄の音に掻き消されていく。すでにセラはティルの話など聞いていなかった。いつものことではあるが――落胆して肩を落とすティルを一瞥して、ふう、とライゼスが息を吐く。
「ハイ。もうスティンはすみずみまで旅したので、次はランドエバー中を見たいです!」
 笑顔を弾けさせながら、リュナが意気込みを語る。
「どうしてリュナは旅をしているんだ?」
「パパとママが、あたしが小さい頃からずっと言っていたんです。大きくなったら旅をしなさいって。美しい世界と、温かい人と、直に触れあいなさいって」
 両親を思い出したのだろう。リュナの隻眼が、温かい色を帯びて瞬いた。車輪が小石でも踏んだのか、ごとんと馬車全体が揺れる。リュナのツインテールがあわせて跳ねた。
「……美しい世界、ね」
 途絶えた会話の合間に、ティルがぽつりと呟く。小さな声だったが、どうでもいい独り言は聞きつけるようで、セラは訝しげにティルを見た。それは彼の声が厭なものでも吐き捨てるような語調だったからだった。
「ティル?」
「……で、世界は美しかった? リュナちゃん」
 セラには答えず、何事もなかったようにティルはリュナに言葉を向ける。問われたリュナはティルの方を見ると微笑んだ。
「まだ全部見てないけど、旅は楽しいです。それに、パパとママが言うんだから、間違いないってあたしは思ってます」
「リュナは父上と母上が好きなんだな」
「大好きです」
 今までで一番極上の笑顔と共にリュナが即答する。私もだと答え、セラも微笑んだ。