攫われの偽姫 3



 保護した娘達は、その後悪い夢から醒めたように落ち着きを取り戻した。ガルアラから騎士が到着するのを待つセラに、事情は説明しておくからティルを助けに行って欲しいとまで言い出した。それはセラにとって有難い申し出ではあったのだが、さすがにまだ何が起こるかわからない中ミーミアにおいていく訳にもいかなかった。一応ティルも騎士団所属だ。騎士である以上民間人より優先されるわけにはいかない。
だが、それがセラには酷くもどかしい。幸い、それから半日程度でガルアラの騎士は到着したが、ライゼスが彼に 事情を説明している間を惜しんでセラは出立の準備をした。娘達を乗せていた馬車から馬を外し、それに大して多くない荷物をくくりつけると、しかし準備はそれで終わってしまった。
「ラス。まだか?」
 セラの焦れた様子に、ライゼスが引き継ぎを急ぐ。ガルアラの騎士はまだ何か聞きたそうだったが、事態を察したのか、引き止めることはしなかった。
「では後をお願いします。――行きましょう、セラ」
「ああ」
 ライゼスと、そして顔を輝かせて返事をしたセラが、同時に手綱を取る。そのことに顔を見合わせたのも同時なら、
「私が前に乗る」
「僕が前に乗ります」
 言ったタイミングも内容も同時だった。そしてこれもまた同時に渋面になる。
「ここは譲りませんよ。主君の後ろに乗る側近がどこにいるんですか」
 囁くライゼスに、だがセラは眉間の皺を深くした。ぐっと手綱を握り締めて、小声にあらん限りの反抗と鋭さを込める。
「私はお前を臣下だと思ったことはない」
 セラに睨まれて、ライゼスは困ったように自身の頭を押さえた。困っているのはセラを怒らせたからではない。怒らせた要因となった言葉が本音でなかったのが原因だった。側近としての立場から譲れないわけではない。それを悟られたくなくて咄嗟に口実にしただけなのだが、失策だったようである。といって他に上手い言葉は浮かばないのだが、何も言わねばセラの怒りはおさまらないだろう。彼女は王女扱いされるのを酷く嫌う。だからといって、やはりライゼスにはこの場を譲ることはできなかった。
「ごめん、セラ。……でも、その。一応僕も男です。女の子の後ろに乗るのは、さすがにちょっと情けないです」  結局、正直なところを言うしかなかった。意外だったのだろう、顔を上げたセラが、きょとんとした顔で、ぱちくりと目を瞬く。途端に恥ずかしくなって、ライゼスはセラから目を逸らすと、馬の背に飛び乗った。
「い、行きますよ! 急ぐんでしょう?」
 照れ隠しに叫んだ声が上ずって、余計に恥ずかしい。そんなライゼスの心情などセラには推し量りようがなかったが、ライゼスが先に乗ってしまったので、仕方なくセラはその後ろについた。それを確認してライゼスが馬の腹を蹴る。現代では馬は希少動物であり、騎士といっても皆が馬術を嗜んでいるわけではない。だがライゼスは、セラと共に国王から馬術を習っていた。剣ではセラに敵わないが、その代わり、それ以外のことはセラに負けないよう努力してきたつもりだ。
 素晴らしいスピードで馬が走り出すと、セラが後ろから声をかけてきた。
「……なんか、ティルみたいなこと言うんだな」
「冗談じゃありません! 一緒にしないで下さい!!」
 その言葉が心外もいいところだったので、思わず必要以上にライゼスは声を荒げた。驚いたセラが、少しのけぞる。
「……ラスは、ティルが嫌いか?」
「少なくとも好きじゃありません」
「何故」
 問われてライゼスが言葉に詰まる。理由は色々あるが、思いついたものはどれもティルを嫌う決定打にはなりえなかった。軽薄なのも二枚舌なのも好かないが、ふざけているように見えて計算づくで動いているし、本性は恐ろしいほど冷静だ。そして彼がそういう生き方しかできないこともわからなくはなかった。
 だから、それでも彼と折り合いがつけられないのは、そんなことが理由ではないのだ。
「何故と言われても……そもそも向こうが僕のことを嫌っていますし」
 ライゼスは曖昧に答えたが、セラは納得しない。
「でも、いつもは何を言われようと気にしてなかったじゃないか」
 セラが知るライゼスは、礼儀正しく温厚で、人を嫌うような性格ではない。だから、彼のティルに対する態度がセラにはどうしても違和感がつきまとう。あまりこの話題を続けたくないライゼスの意志に反して、余計セラは疑問を募らせるという悪循環になってきた。
「そういうのは、言い合ってもどうしようもないことですし」
 セラが言っているのは、優秀な親を持ちながら騎士として活躍できないことへの陰口だろう。城にいれば嫌でも耳に入ってくる。そんなものに言い返しても惨めなだけである。
「私は、ラスとティルの口論の方がどうしようもない気がするけど。だいたい、ティルもなんであんなにラスに対して喧嘩腰なんだろうな。ティルだってラス以外には丁寧だしニコニコしてるのに」
「それは……」
 言いかけて、ライゼスは口を噤んだ。――ティルが喧嘩腰なのは、自分がいつもセラの傍にいるからだろう。だがそれを言ったところで、また何故と問われるのが関の山だと思った結果だった。
「それは?」
「セラは、どうしてそんなにあの人のこと気にかけるんですか?」
 はぐらかそうとして、咄嗟にライゼスは質問で返した。だがこれではまるで嫉妬しているようだ。一人焦るライゼスに構わず、セラは言葉を選ぶようにして答えた。
「……ちゃんと笑わないから、かな?」
「え?」
 その内容の意味を計りかねて、ライゼスが聞き返す。促されてセラは言葉を続けた。
「ティルは国の為にずっと自分を殺して生きてきた。なのに、恨み事も泣き事も言わずに受け入れて笑ってた。ランドエバーに来てからも、本当に楽しそうに笑ってるティルは見たことないんだ。だから気になるのかな」
「……優しいですね、セラは」
 少しの驚きと共に、そんな言葉がライゼスの口をついた。
 ティルほど特殊な境遇ではなくとも、セラもまた王家の生まれだ。それが故に、セラもまた、自分の幸せの為には生きられない。にも関わらず、彼女はどこまでも真っ直ぐに人を見るし、純粋な優しさを持っている。どれだけ 厳しい現実に突きあたろうと、けして理想から目を逸らそうとしない。ライゼスですらセラのそんなところは眩しく感じる。
 ライゼスも、上辺だけのティルを彼の全てだとは思っていないが、本心から笑っているかどうかなどはわからない。それをセラは、いとも簡単に見抜いているのだ。それだけの洞察力があるのにティルの好意に気付けないのは、まあ彼女らしいといえばらしいが。
「そんなことはないよ」
 少し遅れて、照れたようにセラが言葉を返してくる。小言には慣れているが、褒められるのは慣れていないのだ。そんな彼女の様子が背中越しに伝わり、ライゼスは笑みを零した。
 無鉄砲で男勝りでどうしようもないじゃじゃ馬だが、誰よりも女性らしい繊細さと優しさを持っていることを、誰よりもライゼスは知っているつもりだった。だから、もう一度言う。
「優しいですよ」
「……だとしたら、それはきっとラスのお蔭だ」
 するとセラはそんなことを口にした。それこそ思いもかけないことを言われて、今度はライゼスが戸惑うことになる。
「ぼ、僕は何も……」
「私をずっと見ていてくれた。ラスが傍にいてくれるから、今の私が在るんだ」
 ぎゅ――と。背に掴まるセラの手に力が篭る。そして、ありがとうと、ふとすれば蹄の音に簡単に消されそうなほどのセラの声が確かに届いて、ライゼスは顔が熱くなった。
(僕、は)
 何か答えようと思ったが、何も声にはならなかった。