攫われの偽姫 2



 セラ達がミーミアに到着する頃には、夜が明けようとしていた。街の中に入るには馬車は大きすぎたので、乗った場所と同じところで降り、二人は女達の保護を求めるべく騎士の詰め所を探していた。大抵の街には騎士が駐屯し、治安を護っている。だが女達はいずれもミーミアの出身ではなかったので、探すのに手間取る羽目になった。場所を聞こうにも、夜が明けきっていないこの時間では尋ねる相手もいない。
「……あなたたち、男の方だったのね」
 帰り道では萎縮して一言も声を上げなかった女達の表情も、街に着いてさすがに少し恐怖が薄れたようだった。 ティルの隣に座っていた女性が、セラとライゼスを見てそんなことを言う。
 女の言葉を受けてセラは苦笑したが、ライゼスは慌てた。ここまでドレスアップしながらまだ男だと思われては、あまりにセラの立場がない。
「あ、僕は確かに男ですけど彼女は――」
「いい、ラス。別にどっちでもいいし」
 だが、セラ自身に遮られてしまった。別に、セラ本人は女に見られないことを気にしてはいない。騎士として立ち回るにはむしろその方が都合がいいので、あえて自ら女性だとは明かさないほどだ。むしろティルのように女性扱いしてこられると、逆に戸惑ってしまうくらいである。
「どっちでもいいって……」
 慣れたことなので放っておくスタンスを決め込むセラに、ライゼスは呆れた声を出した。しかし彼女らも、嫉妬して喧嘩を売った相手こそが男だとは夢にも思っていないだろうと考えると、なかなかに複雑な気分だ。
 ぼそぼそと会話を交わすセラとライゼスに怪訝そうに見ながらも、再び彼女は声をあげた。
「何をしに伯爵の城に行くつもりだったの? まさか」
「貴方たちが知る必要はありません」
 その声に心配するような色が見えて、ライゼスは突っぱねた。男は伯爵の城へ行けない。そこを女装してまで入り込むなど、不穏なものを感じたのだろう。それを気にするということは、彼女らはあんな目にあってもまだ、永遠の美を諦めていないのだろうか。他の女達を見ても不安げな表情で、ライゼスは渋面になった。男だから当然だが、ライゼスには女心は理解不能だ。
 一方でセラも腑に落ちない表情をしていた。
「君たちは、まだ永遠の美が欲しいのか?」
 若干呆れが混ざった声をセラが上げると、女達は気まずそうに、それぞれ視線を逸らした。だがセラは、真っ直ぐな眼差しを彼女らから離さない。
「仮に永遠に美しく在れたとして、一生城から出られない、帰ってこられないというのに、それでいいのか? そんな美しさに何の意味がある? そもそも、人は老いるのが自然だ。永遠など、それを曲げた紛い物だ。私はそんなものを美しいとは思わない。だが、どんなに歳を取ろうが皺を刻もうが美しい人を、私は沢山知っているぞ」
 セラの言葉は、釈然としないものを抱えてはいたが、決して女達を責めたりはしなかった。ただ本当に、釈然としないその気持ちを、まっすぐな視線に乗せて口にする。だから、まっすぐに女達にも届くだろう。しゅんとした彼女たちを見ながら、ライゼスはそう思っていた。彼女らとて、おかしいとは気づいているはずだ。ただ、目の前の甘美な誘惑に、恐れを隠したい余り惑わされてしまったのだろう。
だったら、その要因を断たねばならない。それは確かなのだが――
 ライゼスは迷っていた。ティルを攫っていった男は、カルヴァート伯は女を買うと言っていた。ランドエバーは人身売買を法で固く禁じている。もし本当ならば、王国の名の下に粛清せねばならないが、それは自分たちの任務とは違った。王は噂の真偽を確かめろと言っただけだ。
 噂の真偽や伯爵にはまだ謎がつきまとうが、実際にノルザに向かう女がいて、そして襲われたり帰ってこなかったりしている。これだけでも一度報告して、国王の判断を仰ぐのが筋だとライゼスは考えていた。
 しかしティルが攫われている以上セラがそれに従うとは考えにくかった。それに、彼女には大丈夫だと言ったが、帰ってこない女がいる以上、最悪の事態は考慮のうちに入れねばならない。その上、女でないティルなどはそれがバレた時点で亡き者にされる可能性が高い。さすがにそれはライゼスも後味が悪い。
「ラス、あれ、それっぽくないか?」
 場が静まり返ってしまったので考えることに没頭していたライゼスだったが、不意に声をかけられて慌てて顔を上げた。セラの指差す先を見ると、ランドエバーの国旗を掲げた無骨な建物が見えた。
「間違いありませんね。……僕この格好で行くんですか」
「時間がないんだ、我慢しろ。恥ずかしいなら外で待ってろ」
 着替えは宿に預けたままだ。女達の身の安全を図ることを最優先にして、ライゼスは仕方なく堪えた。だが報告は彼女に任せることにする。
(それより、その後どうするか――ですね。なんでよりによって攫われますかね、あの人は)
 セラと、応対に出た騎士との会話が聞こえてくる。それを聞くともなしに聞きながら、ライゼスは嘆息した。

 セラが明かりの漏れる戸口を二回ほど叩くと、すぐに騎士が応対に出た。そして怪訝な顔でセラを見る。夜明け前にドレスを纏った女性が尋ねてくれば、不審にも思うだろう。構わずセラは名乗り出た。
「近衛騎士団のセリエス・ファーストだ。後ろの娘達の保護を頼む」
「は、はあ。何故王都の騎士がこんなところに?」
 さらに警戒を増した騎士に、セラは思案顔になった。セラは身分証を持っていない。それに相当するものはあるが、それだと王女であることを証明してしまうので、できるだけ避けたい。ちらりと後ろに視線を走らせる。ライゼスなら身分証があるだろうが、彼にしても自分とそう大差はない。レゼクトラ家はランドエバーで王家の次に身分が高い、貴族の中の貴族である。知らない者はいないだろう。素性が知れれば自分達まで一緒に保護されかねない。セラとしては、それはご免被りたい。
 セラは思慮の末、正直に事情を話すことにした。
「王命により、ノルザの調査に来ている。この姿はその調査の一環だ。その過程で後ろの娘達を保護したが、我々はノルザに向けて直ぐに発たねばならないゆえ、彼女らの身柄を預かって欲しい」
「なるほど、そういうことでしたか」
 すると、強張っていた騎士の顔が一転して緩んだ。それを見て、セラもようやくほっとする。
「どうぞお入りください。詳しく聞かせて頂きましょう」
「いや、私は先を急ぐのだが」
「しかし、調書を取らねばなりませんので」
 有無を言わせぬ口調で言われ、仕方なく中に入ると、逆に騎士は外に出て、ライゼスと女達を確認した。
「こちらで保護する娘が四人ですね。先ほど『我々』と仰いましたが、お仲間はどちらに」
「ああ……保護を頼みたいのは三人で、一人は仲間だ」
 ライゼスは知られたくないだろうが、言わねばライゼスまで保護されてしまう。やむなく告げると、騎士はさらに頬を緩めた。
「了解しました。それでは騎士はお二人ということですね」
「あ、ああ。今のところはな」
 やけに人数に拘るなと思ったが、中にいる騎士が書類とペンを取り出すのを見て、書類のためかとそれ以上は気にかけなかった。改めて詰め所の中を見回すと、簡素な机と椅子が数個あるだけの殺風景な部屋だった。騎士の数は、今のところ応対に出た騎士と中の二人しか見当たらない。それでもライゼスや娘達も中へ入ると、やや手狭である。
「あなた方は、ノルザの噂は知らなかったのか?」
 嫌そうなライゼスを苦笑して見ながら、ふと気になって、セラは聞いてみた。
「ああ。そのような法螺話は耳にしましたが、何分突拍子もないもので、気にも留めておりませんでした」
 応対に出た騎士が、笑って答える。王がそんな法螺話を気にした方が意外だと言外に含まれていて、セラは眉尻を上げた。父王を愚弄されるのは許せないが、今は一介の騎士として来ている。しかし結局黙っていることもできず、セラは穏やかな声にできる限りの棘を含めた。
「だが事実、この街から女がノルザに運ばれている。酒場の主人も一枚噛んでいたし、気に留めなかったのは少し怠慢ではないか?」
「はあ……そう言われましても。我らも王命がないと動けませんので」
 しかし、騎士の方はそれを察することはできなかったらしい。そのやりとりに、今度はライゼスが我慢の限界を越えた。
「貴方達の報告なくして、どうやって王都で僻地の情報を把握しろと? それとも毎日視察に来いとでも言うのですか? それでは貴方は何のためにここにいるんです」
 挑発的なライゼスの言葉にも、やはり相手の騎士は笑顔を崩さなかった。今までと全く同じ表情、全く同じ声のトーンで、騎士がまた口を開く。
「それを不審に思うのだったら、ここを選んだのは安直だったと思いませんか?」
 返ってきた言葉を、セラもライゼスも咄嗟には理解しかねた。だがそれよりもっと安易に理解できる膨大な殺気に、咄嗟にライゼスが手をかざす。
『――光よ!』
 ほとばしる閃光と同時に、剣がぶつかる音が駐屯所の中に響き渡る。セラが、もう一人の騎士が抜いた剣を受けたのだった。ライゼスの呪文が目の前で抜剣した騎士を弾き倒し、遅れて女達の悲鳴がこだまする。
「外へ!」
 目の前の騎士が倒れている間に、ライゼスが女達を外に誘導した。だが外にも逃げ場がないということはすぐに知れる。ならず者のいでたちをした男たちが詰め所を取り囲んでいる。それだけならまだ良かったのだが、彼らの中には騎士服を着た者もいた。つまり、ミーミアに駐屯している騎士も今回の件に一枚噛んでいるのだ。ようやく状況を理解して、ライゼスは焼けるほど体が熱くなるのを感じた。
「――貴様らに騎士の誇りが少しでも残っているなら、ならず者達を捕え、今すぐ王都へ出頭しろ! できないと言うなら……陛下への裏切り、父上に代わりこの僕が粛す!!」
 ライゼスの怒号は空しく彼らの間をすり抜けて行く。飛び出してきたセラが、状況を見て短く息を吐いた。それを見て――ライゼスは印を切った。
「痴れ者! 王家に忠誠を誓った剣を、誰に向けていると思っている!!」
 一斉に襲い掛かってくる彼らは、もう怒りと膨大な白銀の光によって見えなくなっていた。

『光よ! 穢れし者に終焉を! 濁濁なるもの焼き尽くせ!!』

 ライゼスを核に、瞼を閉じてなお目を灼かんばかりの光が爆発した。まるで焔のような光は肌を焦がしそうに熱く、危機を免れたというのに、女達は小さな悲鳴を上げた。その悲鳴も血も断末魔も、光は全てを飲み込む。
「ラス。もういい、やめろ」
 そんな光の暴走も、セラの呟き一つで瞬時に霧散した。だいぶ薄明るくなってきていたのに、光の洪水が終わると、まるで真夜中のように暗く感じる。セラは小さく溜め息をついて、ライゼスへと歩み寄った。彼はどうにか立っていたが、その両肩は激しく上下し、足元も今にも倒れそうにふらついている。
「やりすぎだ」
「――すみません。ついカッとなりました」
 半眼で告げるセラに、ライゼスも認めて詫びた。ここまで威力を強めるつもりはなかったが、いかんせん印を切り始めてからの記憶が、怒りが激しすぎて定かでなかった。
「それから……申し訳ありません、姫。こんなこと、陛下になんと言えばいいのでしょうか」
「なんでお前が謝るんだ。――ありのまま告げるしかないだろう。だが今はその時間がない。かといってここを放ってもいけないな」
 ざわめきが聞こえ出して、セラはもう一度長く息を吐いた。これだけ派手にやれば、まだ早いとて街のものも安らかに眠っていないだろう。
「とりあえず、書簡で陛下にこのことを伝えましょう。追って指示があるはずです」
「けど、それじゃ時間が――」
「ええ、ですからガルアラからも騎士を派遣してもらいます。伝書鳩を飛ばせば今日中に着くでしょう。後のことは彼に引き継ぎ、僕らはノルザへ向かいましょう」
「あ、ああ……そうだな」
 やや拍子抜けしたようなセラの様子に、ライゼスは不思議そうに首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いや。私はてっきり、指示を待てっていうのかと」
「言うつもりでしたが、セラは聞かないでしょう?」
「そうだけど……」
 それでもいつもギリギリまで止めようとするじゃないかと言うと、
「僕が落ち着いてなかったのに、姫に落ち着けとは言えないですからね」
 ライゼスは少し恥ずかしそうに付け加えた。