攫われの偽姫 4



 一度集落を見つけて、ノルザのことやティルの行方について尋ねてみたが、目ぼしい情報は得られなかった。ということはティルはここには寄っていない可能性が高い。あれだけ目立つ容姿だ、もしティルが立ち寄ったのなら絶対に誰かが覚えているはずだ。
「ミーミアより北になると、そうそう村もありません。ここに立ち寄った可能性は高いと思ったんですが」
 二日目の日も暮れて、二人は何度目かの休憩をとっていた。そろそろ雪が地面を覆いつつある。休憩できるときにしておかないと、この先は難しいだろう。ノルザまで距離はもうそんなにないはずだったが、問題はこの先の降雪具合である。領内の地理には明るいライゼスだが、実際にノルザに行ったことがあるわけではないので、それがどの程度のものかはわからない。ただ吹雪くこともあると聞くのが心配だった。しかし天気ばかりはどうにもならない。
「……無事だといいけれど」
 天候によっては、立ち往生を強いられることもある。それくらいはセラにも想像がつく。野営のために起こした火を見つめながら呟くセラの表情には、焦燥と憔悴が見えた。
「疲れてるんじゃないですか、セラ。少し休んだ方が」
「でも、気が急いてしまって」
「気持ちはわかりますけど、休めるうちに休まないと、セラの方が先に参ってしまいますよ」
 陽が落ちると、いよいよ寒さも厳しくなる。この気温の中、夜風にさらされながら馬を飛ばすのはどのみち無理だった。ならばできるだけ体を休めておいた方がいい。セラにもそれはわかっていたが、ティルの安否を考えるとどうしても焦れる。
 とはいえ、日中も寒さが強まる中、ほとんど休憩も取らずに馬を飛ばしているのだ。ライゼスは、どうにかしてでもセラを休ませたかった。その方法を考えながら薪を火にくべる。火がなければ凍えてしまうから、番が必要だった。しかし自分が火を見ているから休めと言っても、セラはおよそ素直に聞くような性格ではない。
「ラスは心配じゃないのか?」
 あれこれ考えあぐねていると、非難めいた声に捕まった。それに、何と返そうか迷って考えを中断する。正直、あまり心配していないので気まずい。だが別に、嫌いだからどうでもいいという訳でもなかった。そこまで薄情ではない。
「……心配じゃない、というより、あの人がどうにかなるとも思えないんで」
 殺しても死にそうにないからというのが率直な意見だったが、もう少し柔らかく答える。
「だから、むしろ僕はセラの方が心配です。お願いですから、少し休んでください」
 そして、ついでにその話を切り出す。だが案の定、セラはそれを素直に聞きはしなかった。
「そんなに心配せずとも、私はまだ大丈夫だ」
「今は大丈夫かもしれませんが、そのままだと大丈夫じゃなくなります」
「――ラスだって疲れているだろう」
「セラよりは大丈夫です」
 そこまで問答を続けて、セラはいったん会話を切ると、短く息を吐いた。
「……鍛錬が足りないな、私は」
「そんなことありませんよ。でも僕だって怠けてるわけじゃないです。剣が使えないだけで」
「知っている。けど、私だって同じくらいには鍛えてる筈だ」
 悔しそうにセラが呟く。それでも差がついてしまう理由は、セラにも解っている筈だった。
 セラとライゼスとでは基礎体力が違う。
 類まれな剣才に恵まれているとはいっても、セラはまだ十六歳の少女である。ライゼスが貧弱ならともかく、逆に力や体力は一般男子以上にあるし、運動だって彼は不得手ではない。小柄だし、魔法を使ったり本を読んだりしているイメージが強いのでよく誤解されてはいるが、鍛錬を欠かしていないのは誰よりもセラが一番よく知っている。
「……寒くないですか?」
「寒くない」
 セラが憮然として口を噤んでしまったので、ライゼスは話を変えた。だが突っぱねられてしまい、苦笑する。
「拗ねないで下さいよ」
「拗ねてなどいない」
「それを拗ねてるっていうんです。……本当に寒くないですか? 意地張っていると風邪引きますよ」
「くどい。大丈夫だと言ってるだろう。いつも言っているが、お前は過保護すぎる」
「なんとでも言って下さい、セラが風邪引くよりいいですから。で、本当に寒くないんですね?」
 しつこく念を押すライゼスに、セラは今度は深く長い溜め息をついた。
「じゃあ寒かったらどうするんだ。魔法で気温でも上げれるのか?」
「できればとっくにやってますよ。マントを貸すくらいしかできません。すみませんね」
 意地の悪い冗談を言うセラに、ライゼスも半眼になって答えた。返ってきた答えに、セラが顔をしかめる。
「それじゃラスが寒いだろう」
「セラが寒いよりいいですから」
「意地張ってるのはそっちじゃないか」
 呆れた声を上げて、セラが立ち上がる。
「セラ?」
「じゃあこうする」
 そんなことを言いながら、セラはライゼスのすぐ真横に座りなおした。体が完全に密着する距離にライゼスがどぎまぎしている間に、あろうことか羽織っているマントの中にセラが潜り込んで来る。
「これでどっちも寒くないだろ?」
 信じられないような至近距離であっけらかんと言われ、ライゼスは絶句した――実際は引きつった声が出そうになり、それを全力で堪えていたのだが。火が傍にあって、心から良かったと思う。顔が赤いのは、火の所為にしてしまえばいい。
 セラは総じて男に対する警戒心がない。こと自分に対してはとくにそうだ――と、ここのところライゼスはよく思う。恐らく、ライゼスがそうであるように、セラもライゼスのことは家族同然に思っているのだろう。そう思ってくれているのはライゼスには嬉しいことだが、あまりに彼女は無防備すぎる。これがティルに対してだったらと思うと、考えるだに恐ろしい。
 ――男勝りとはいえ、セラも年頃だ。そろそろどうにかしないといけないとは思うのだが、それをどうやってどうにかすれば良いのだろうか。
「――ずるい」
 思考は、ふと零れた言葉に遮られた。ぴったりと寄り添ったセラはの表情は、近すぎて見えない。いや、見られたくないから近づいたのだと、そのときようやく解った。
「せめて、男に生まれたかった」
 か細い呟きに、何を返してやることもできずにいると、やがて規則正しい寝息が聞こえる。やはり、疲れていたのだろう。
「……ずるいのは、お互い様ですよ。セラは僕よりずっと強いじゃないですか」
 寝ていることを確認してから、ライゼスは言葉を返した。眠るセラの顔にかかった髪を後ろに流してやり、穏やかな寝顔に微笑みかける。
「他のことでくらい、心配させて下さい」
 だから、過保護だなんだと言われても、ライゼスはセラを心配することをやめない。そうでないと自分がいる意味がない気がして怖かった。名前だけの側近や騎士であることはどうでもいい。その肩書きに必要とされてなくても、セラに必要とされていればそれでいい。だがそれさえ長く続きはしないだろう。
 先代の王妃は、十七歳で王を迎えた。現王妃は十九歳で、遅すぎると言われていた。いずれにしろ遠くはない。いくら家族同然とはいえ――いや、だからこそ、このまま自分がセラの傍にい続けることは好ましくないことくらい自覚している。だからせめて今ぐらいは、傍で余計な心配をしていてもいいと、ライゼスは思うのだ。
「何にしろ、あの人は気楽でいいですね」
 思わずライゼスは、誰にともなく嫌味を吐いてしまった。あの人、とは無論ティルのことだ。
 セラに惚れるのはいいが――いや厳密にはよくないが――、わかっているのだろうか。セラはランドエバーでたった一人の王位継承権を持つ人物だ。通例からいけば、セラの伴侶は時期ランドエバー国王となる。
 それがわからないほど馬鹿ではないだろうに、ティルは率直にセラに情を向ける。苛立つ反面、だが羨ましいとも感じる――
「って、なんで羨ましいんですか、僕は!」
 とそこまで考えて、ライゼスは自分の思考に自分で突っ込んだ。それと同時に思わず立ち上がってしまい、それによって、彼にもたれて眠っていたセラが、体勢を崩して目を覚ます。
「……? 何かあったのか?」
「す、すみません――」
 だが異変に気づいたのは、何でもないです、と言いそうになったそのときだった。
 とてもセラには説明できないような事項でセラを起こしてしまったのだから、何かあって欲しいのが本音だったのだが、それで無意識に『何か』を探そうとしたのが、良かったのか悪かったのか。それでライゼスは、実際に特筆すべき事項を見つけてしまったのだった。