20.


 レアノルト祭最終日。そのメインイベントが剣術大会決勝戦である。その決着と同時に祭もフィナーレを迎える。同時開催の催しもなく、出店も既にそのほとんどが畳まれて会場に詰め掛けている。故に、賑わいもひとしおだ。
 その決勝戦開始時刻まで既に三十分を切っている。
 ライゼスとティルを伴って闘技場の直通出口に現れたセラを、それを待ち構えていたようにラディアスが出迎えた。
「来たな」
「逃げるとでも思っていたか?」
「まさか。貴女に限ってそれはあるまいよ」
 ふっと、ラディアスが口の端を僅かに上げる。それだけでも、表情の薄いこの男にしては珍しいことだ。
 短い黒髪と漆黒の瞳、それに漆黒の軍服を纏ったラディアス。対するセラは、金髪に涼やかなアイスグリーンの瞳、白い軍服と、並んだ二人は酷く対照的であった。
「少し早いが――行くか」
「ああ。では、行ってくる」
 歩き出す黒い背を見て、セラも返事を返す。勝手に時間を早めては周囲が困るだろうとライゼスは眉間に皺を寄せたが聞くような二人でもないだろう。なので開いた口から出るのは引き止めの言葉ではない。かといって、こんなことを口にする日が来ようとも思わなかった言葉だ。
「ご武運を」
「ありがとう」
 それに対して礼を述べてから、セラは少し待った。それを見て、ライゼスがティルを小突く。
「何かないんですか、貴方は」
「え?」
 セラとライゼスの二人からの注視を受けて、今それに気が付いたかのようにティルが顔を上げる。そして困ったように自分の髪を弄りながら、口を開いた。
「……怪我しないでね」
 結局出たのはそんな当たり障りない言葉だったが、セラは微笑んだ。
「気を付けるよ」
 短く答えて、踵を返す。ややあって、どっと歓声が聞こえてきた。二人が闘技場に現れたのに観衆が気が付いたのだろう。間もなく慌てた司会の声が拡声器を通して会場に響き渡るが、賑わいが凄すぎてあまり聞き取れない。
「もう少し気が利いたこと言えないんですか?」
「お前に言われたくねーが……知ってるだろ。俺に言えるのは適当な嘘だけなんだよ」
 顔を背けるティルを見て、ライゼスは溜息をついた。再び開いた口から滑り出た言葉は、だが大歓声にかき消される。激しく剣のぶつかる音が微かにそれに混じっている。
「――始まりましたね」
 険しい表情で、ライゼスはティルから闘技場へと視線を移した。
 剣は、刃を潰した競技用のものしか使用を認められない。セラやラディアスも当然それに則って戦っている。剣が手から離れる、あるいは膝が地面につけばその時点で負けとなるルールも今までと同じだ。あくまでこれは競技であって殺し合いなどでは当然ない。なのに、二人からはまるで戦場の真っただ中にいるような錯覚を覚える。
 ティルもまた、激しく剣を打ち合うセラとラディアスへ目を向けた。ほとんど表情の動かない兄だが、その黒い目が楽しそうなのが身内だからわかる。
「遊んでるな、兄上……」
「セラもまだ遊んでますよ」
 ティルの呟きに、ライゼスがそう返す。
「あんな楽しそうなセラはなかなか見られませんよ。もっとちゃんと見たらどうですか」
 俯き加減のティルに、ライゼスは彼を見ないままため息交じりにそう付け加えた。実際、セラは酷く楽しそうだった。騎士服に袖を通したときよりも、野盗と遭遇したときよりも一等いきいきと顔を輝かせ、この状況にあって緩む口元を隠そうともしていない。ライゼスにはおよそ理解し難い感情ではあるが、剣士は常に強者との戦いを求めるものという。恐らくはセラもその口だろう。
「というか、貴方はちゃんと見るべきだと思いますけど」
「……。わかってる……」
 重そうに頭を上げるティルが視界の端に引っかかり、ライゼスは再び溜息をついた。
(……僕は別に……『仲良く』セラを守っていこうなんて一言も言ってないんですけどね)
 本人は取り繕っているつもりかもしれないが、とても「らしく」なったなどとは思えない。それでもこの戦いさえ終われば――セラが勝ちさえすれば。
仮初だとしても、日常のようなものはきっと返ってくるはずだ。
(勝って下さいよ……セラ)
 祈りにも似た願いを胸の中だけで繰り返す。
 それは結局誰の為でもない。自分の為の願いだ。

 ■ □ ■ □ ■

 激しく打ち込まれる剣を全て正確に弾き返し――セラは微笑んでいた。漆黒の瞳と視線がぶつかる。その感情の読めない瞳が笑っているのが、なんとなくわかる。
「期待以上だな」
「まだ本気には程遠いだろう。それで御せると思っていたとは、大して期待されてなかったと見える」
 やや大振りの一撃を紙一重で避けると、セラは攻勢に打って出た。あっさり流されるが予想通りの動きである。隙を与えず追随するがいずれも空振りに終わる。連撃の最後を真っ向から受けられてぎしりと剣が鳴った。
「まさか。本気など久しく出していないからな。ここまで力を出したのも久々だ」
「そうか。私は本気を出しても勝てない者がまだまだいる。恵まれているな」
 ラディアスの剣に力が籠る。力比べで勝てる気はしない。押し切られる前にセラは剣を引き、間合いを取った。
「……約束は覚えているか?」
「約束? ……ああ、弟のことか」
 さして気にもしていなかった、という風なラディアスの様子に、一瞬だけ波立ちそうになった心を深呼吸で鎮める。だが相手はそれを敏感に見抜いていた。
「不思議だな。何をそんなに拘る。ランドエバーほどの大国ならば、我が国との繋がりなどそう大したものではないだろう」
「……私は国益が欲しいわけではない。だが、レイオス王子は我が国との繋がりが欲しかったのではないのか? 随分と安易にそれを反故にしかねないことを口にするものだな」
「私は武人だ。戦い斬るだけが務め。国交のことはわからんが、気になったから問うたまでだ」
「……」
 セラは剣を構え直した。何故か溜息をつくライゼスの顔が頭を過る。妙な親近感と若干の嫌悪感が頭を過る。
 誰かに似ていると感じて笑いが漏れそうになった。
「何だ?」
「いや……、そうだな。国にとってどうかというのは正直私も興味のないことだ。ただ私にとって必要だ」
「つまり単なる貴女の我儘ということか」
「否定はしないが」
 ラディアスが重心を落とす。セラもそれに合わせて腰を落とし、剣を握り直す。ラディアスが踏み込むと同時にセラも踏み込んでいた。じんと手が震える。
「大国の王女ともなると、随分傲慢だ」
 ただの挑発だ。わかっていて、今まではそれがもろに剣に出ていた。それを自然に受け流せるのは――
(隊長のお蔭か……)
 こうなってはわざとだったのかとすら思う。セラは感情が諸に剣に出る。それが強みでもあるが、心を乱せば途端に弱点にもなる。だが、ヒューバートに比べれば、動揺を誘うにはまだラディアスは甘い。それでは挑発にすらならない。
「そうさ、私は我儘で傲慢だ。だから自分の望みの為なら持ちうる力は全て使う。武力でも権力でも」
「ならばその望みとは?」
「貴殿はティルが笑ったのを見たことがあるか?」
「……あいつは大体いつも笑っていた」
 剣を引くと、セラはせせら笑った。それを見て、切り込もうとしたラディアスが足を止める。
「あんなものを笑顔と呼ぶなら貴殿の目は節穴だぞ。実際はもっと綺麗だ。私は別に美しさに興味などないが、それでも目を奪われるほどあいつは綺麗だ。世に謳われるよりずっと美しい」
 すぅっと、セラが纏う空気が変わる。じり、とラディアスの足が地面の砂を抉る。
「だから、私はあの笑顔を守りたい。そのために……私の力全てを懸ける!」
 チリ、と肌が焼けるような錯覚をラディアスは覚えていた。同時に自分の闘志を高まるのも感じていた。持て余すほどの力を持ちながらも、ラディアスはこれまでそれをぶつける相手にも機会にも恵まれて来なかった――
「……おかしな王女だ。だが、不足はない」
 叩きつけられた殺気を叩き返すと、ラディアスは剣を構えた。もうその瞳は笑っていなかった。