1.


 決勝戦開始から三十分が経過しようとしていた。
 試合に制限時間は設けられていない。依然激しい打ち合いは続いており、その剣技において決してセラは引けをとってはいなかったが、時間の経過と共に勝負はだいぶ一方的になりつつあった。ずば抜けた戦闘センスと並みならぬ才能があるとはいえ、片や二十前の女性、片やしっかりと体が出来上がっており体力の絶頂期とも言える大人の男性である。
 まだ息の乱れのないラディアスに対して、セラは遠目でもわかるほどに激しく肩が上下している。
「……これ以上は、もう無理だ」
 見ていられないというようにティルが呻く。今にも二人の闘いに割って入りそうな様相を見せる彼を見て、ライゼスは辺りに立てかけてある競技用の剣を二本取ると、一つをティルに向けて放った。俯いていたティルは、それでもその剣がぶつかる前には片手で受け止める。
「……?」
 なんのつもりかとティルが顔を上げたときには、もう剣先が眼前に迫っている。咄嗟にそれを打ち払って、ティルはライゼスを睨みつけた。
「なんだよ?」
 その質問には答えずに、再びライゼスが剣を振り被る。意味がわからずに不満げな顔をしていたティルが追い込まれるのはすぐだった。だがそれは突然斬りかかられたからでもなければ、純粋な力量の差によるものでもないことにも、すぐに気が付く。同時に、ライゼスが何を言いたいのかにも気付いて、ティルは合点が行ったとばかりに声を上げた。
「……成程? 使い慣れてる武器とは形状もリーチも違う。けどそれは兄上も」
「もちろん百も承知でしょう。けれど戦況が有利になれば油断が生まれるかもしれません」
「まさか。兎を狩るのにも手を抜かない人だぜ」
「そうですね。可能性としては1パーセントにも満たないかもしれません。でも1パーセントの可能性でもセラはきっと諦めない」
 ギィンと一際重い音に、ライゼスは剣を置くと闘技場の方を見た。セラが受け止めた剣を気力だけで弾き返す。荒い呼吸が聞こえそうなほどに肩が動き、足はふらついている。構わずラディアスは剣を振り下ろしたが、セラは紙一重でそれを避けた。金髪が一房、地面に落ちる。いくら競技用の剣とはいえまともに食らえば軽症では済まないだろう。
 思わずティルが二人に向かって一歩踏み出す。しかしライゼスはその腕を掴んで止めた。
「言ったでしょう。セラはまだ諦めてません。なら僕も諦めません。邪魔をすると言うなら僕が相手です」
「――お前の」
 振り払おうとした手はびくともせず、ティルは舌打ちした。
「お前のその、セラのことならなんでもわかってるようなとこ、虫唾が走るほど嫌いだよ」
 ありったけの敵意のこもった、視線と声と言葉と。それを受けても、何故か驚くほどに苛立ちも嫌悪もなく、それどころか。
「……ふ、ははっ、あはははは!」
「馬鹿にしてんのかよ?」
 突然笑い出したライゼスを見て、ティルが吐き捨てるように問う。自身の笑い声と、その声に、初めてライゼスは自分が笑っているのだと自覚して我に返った。そして改めてティルへと視線を伸ばす。そのころには笑みはなく、いつも通り天敵を睨みつけて、いつも通りの買い言葉を放つ。
「僕も……貴方のそのセラのためならなりふり構わないところ、心の底から大嫌いです」
 闘技場の片隅で静かにぶつかり合う闘志を、大歓声が割いた。二人がそちらを見ると、態勢を崩したセラが地面に剣をつくことでどうにか倒れるのを堪えたところだった。その足はガクガクと震え、無防備になったセラに、ラディアスが大きく剣を振りかぶる。
「終わりだ」
 短くラディアスが呟き、ライゼスとティルが息を呑む。実際には一秒にも満たないその剣が振り下ろされるのが、二人の目に――セラの目に、やけにゆっくりと軌跡を描いた。
 勝負が決まった――その場にいる誰もが、ラディアスもが、そう思っていた。
 ただ一人を除いて。
「ああ、終わった」
 勝敗を告げようと息を吸った審判の声より先に、セラのよく通る声が走り抜ける。
 右腕で、振り下ろされた剣を止めて。震える足を食いしばって、引き抜いた剣をラディアスの喉元に突きつけて。
「……戦場なら、この剣でなければ、その右手を落として心臓まで刃は届いた筈だ」
「ここは戦場でないし、この剣だからこそやった。戦略とはそういうものではないのか」
 静まり返った闘技場を、二人の会話が打つ。ラディアスは短く息を吐くと、判断を迷う審判に顔を向けた。
「私の負けだ」
 わっと闘技場が沸く。審判が高らかにセラの名前を呼びあげ、それと同時に気を失って倒れる。
「セラ!」
 その体をラディアスが受け止めるのを見るや否や、ライゼスは駆け出していた。ラディアスがどのくらいの力で振り抜いたのかはわからないが、止めに手を抜くような人物にも見えない。下手をしたら骨や筋を損傷している可能性もある。
 セラに駆け寄るライゼスの背を眺めながら、だがティルはその場から動けないでいた。
「……本当に、勝つんだもんなぁ……」
 どこかで、セラが負けて帰らざるを得なくなる方が踏ん切りがつきそうだと思っていただけに、複雑な気分ではあったが――セラは約束を守ったのだ。
 ならば自分も守らなければならないだろう。
「俺……そんな性格だったかな……」
 ざわつく心とは真逆に、笑みを刻んだ彼の背後に近づく影に、沸き返る会場は誰一人気が付く術を持たなかった。