14.


 じり、と対峙する相手が砂を踏みしめる。その音を聞きながら、セラは片手に剣を携えて、風で乾いた唇を舐めた。一応軽く構えてはいるが、爪先は焦れたようにトントンと地面を叩いている。相手が攻めあぐねているのを見て敢えて隙を作っているのだが、まだ相手は動かない。
「お姉様、頑張ってくださーーーい!!」
 そのセラに向けて、リュナは両手を口に添え、声を張り上げた。隣にいたライゼスが呆れたような目をリュナに向ける。
「いや、さすがに弟さんを応援しては?」
「いいんです! どうせ負けます!!」
 即答され、解せない顔をしながらもライゼスはそれ以上何も言わなかった。負けると思ってるなら余計に声援くらい送ればいいのにとは思わなくないが、どうせリュナは聞かないだろう。
 剣術大会が開始されて三日目。ここまで快進撃を続けてきたセラは、今日リュナの弟と当たることになっていた。
「も〜、シュナ! 勝てるわけないんだから、さっさとかかっていきなさいよ〜!!」
 なかなか動かない試合に野次が飛び始めた頃、リュナもその野次に交じり始める。
「ま、末っ子の扱いってそんなものだよな」
 不憫そうな視線を向けているライゼスに、横でティルが肩を竦めた。その声には含みがあって、ライゼスは横目で彼を見た。
「僕はここまで辛辣じゃないですよ」
「そーだな、お前はもう少し関心持ってやれば?」
 揶揄するように言われ、ライゼスは口を開きかけた。だが、わっと会場が沸き立ち、言葉は飲まれてしまう。会場に目を向けると、リュナの弟――シュナが、ついにセラに打ち込んだところだった。セラは呆気なくそれをかわすと、相手の胴ががら空きなのにも関わらず間合いを取る。シュナは一瞬だけ戸惑ったように足を止めたが、すぐにキッと唇を引き結ぶと、再びセラに追随した。
 剣は競技用のもので刃は潰れており、剣が手から離れるか、相手が膝をつく、あるいは負けを認めればそこで終了となる。制限時間はとくにない。それが大会の大まかなルールだ。すぐに勝負をつけることが可能な試合でも、セラはすぐに決着をつけない。まるで遊戯を楽しむ子供のように相手を翻弄している。今回は相手がリュナの弟ということで稽古をつけてやる意図もあるのだろうが、他だと明らかな挑発紛いのことまでするために客席は大いに盛り上がったりもする。
 しばらくセラは打ち合いを続けていたが、やがてシュナが激しく肩で息を突き出すと、あっさりと彼の剣を跳ね飛ばした。歓声があがり、高らかに勝者の名が告げられる。
「ああー、やっぱりお姉様は最高にかっこいいです!!」
 感極まったようにリュナが叫び、ぴょんと席を降りる。
「あたし、シュナのとこに行ってきますね。弟は負けちゃいましたが、決勝まではレアノルトに滞在しますので、また!」
 軽く手を振り、リュナが客席の間を縫って駆けていく。ライゼスがその背を見るともなしに見ていると、会場の喧騒に紛れてティルが呟いた。
「やっぱつえーな、セラちゃんは」
「決勝までは何の不安もないでしょうね」
 剣術大会開始のセレモニーで発表されたトーナメント表を思い出し、ライゼスが声を上げる。
 リルステル大陸で有名な剣豪と言えば『ランドエバーの守護神』アルフェスとスティンの騎士団長、王弟ルオフォンデルスの二人であるが、いずれも出場していない。そのため最も注目されているのは、守護神の娘であるセラだ。近年では『太陽の騎士姫』などという通り名もついている。
 しかしセラのほかにもう一人、この大会が始まってにわかに注目された者がいる。『リルドシアの鬼神』ラディアスだ。セラが相手を翻弄して試合を盛り上げているのに対し、ラディアスはすべて開始から一瞬で勝負を決める形で会場を沸かせている。早くも優勝候補はこの二人に絞られていた。
「けど……ラディアスは強い。リルドシアは聖戦に関わってないから、あんま知られてないけどな……」
「試合を何度か見ましたし、セラも充分理解しています」
「それで物怖じしないところがすげーなぁ」
「他人事みたいに言わないで欲しいですね」
 自分より相手が強いことを承知で、セラは剣を棄てる覚悟で挑んでいるのだ。それが誰のためかと考えれば気楽に言わないで欲しいところではある。
「いいじゃねーか、ボーヤはセラちゃんが負けた方がいいだろ」
「負けませんよ、セラは」
 キッとライゼスはティルを睨みつけた。
「負けるとは言ってねえよ」
「……負けて欲しいとも思っていません」
 睨み返されて、ライゼスは渋々と補足した。こちらを睨む視線が、やや怪訝なそれへと変わる。
「貴方はセラが負けて帰国して、それでいいんですか?」
 問われてティルは押し黙った。次の試合が始まり、また会場が熱気に包まれる。今日セラの試合はこれで終わりの筈だが、彼女はまだ戻って来ない。リュナと話し込んででもいるのだろうか――などとティルの思考が逸れたとき、ライゼスが溜息をついた。
「以前の貴方なら即答していたはずです。……いつからそんなに弱くなったんですか。前はもう少し強かだった」
「うるせーな……お前にはわかんねーよ」
「ええ、わかりませんし貴方のことを知る気もない。ただの貴方を嫌いな人間からの客観的評価です」
「ったく、適当なことは言えねーくせに正論だと饒舌になりやがる……」
 ライゼスのペースに乗せられかけていることに気が付いて、ティルはふと声色を変えた。こちらのペースに変えるためには、それに相応しい話題はある。
「そーいやあの子、どうしたよ。ちゃんと断った?」
「……劣勢になったからって、わざわざ僕の不得手な話題に変えないでもらえますかね」
 見透かされていることに苦笑しつつも、すかさずティルは切り込んだ。
「やだね。この手のネタでお前を弄れる機会なんてそうそうねーもん」
「へえ。そっちがその気なら、僕も今まで触れずにいてあげた妹との関係を問い詰めますけれど。いいんですね?」
「うぐ……」
 掴みかけたペースを簡単に奪い取られ、ティルが唸る。
 一方ライゼスもライゼスで、問い詰めると言ったところで問う内容に困っていた。しかしこうなると、聞かれて困るようなことがあるのかと突っ込みたくもなる。それを遮るように、ティルは開き直ったように肩を竦めた。
「この際だから言うけど、リズちゃんちょっと男見る目なさすぎ。どうにかしてあげてよ。見てらんねーよ」
「貴方に惚れてる時点でそんなことは解っていますが。僕にはどうにもできませんよ。大体自分のことですら……」
 勝負がついて、また会場が沸く。アナウンスが知らない名を読み上げるのを聞くともなしに聞きながら、ティルはぼんやりと握手をする出場者に焦点を当てていた。結局振った話題は天敵を弱らせるのに効果覿面ではあったらしい。であれば弱った顔を見て笑ってやりたいところではあるが、生憎とそんな気にはなれなかった。彼が言う、昔の強かな自分であればきっとそうしたのだろう。
「わかってんだろーけど、有耶無耶にはすんなよ」
「してませんよ。けど気を遣わせてしまいました。本来僕が遣うべきところだった。さすがに今だけは貴方の口の上手さが羨ましいです」
「……口先だけ上手くなっても変わりゃしねーさ……」
「けど、前回の公務でも、馬車でも、その口先に助けられたのは事実です」
「勤勉だねぇボーヤは。……なんだっけ、あれ。『雪の降る街』?」
 唐突に出た名詞に、ライゼスは首を捻った。だがすぐに思い出す。レミィが口にしていた演劇の題名だ。確か十年ほど前に出た長編小説で、名作と謳われたものである。
「あれ、俺大っ嫌いだったんだよね」
「…………」
 裏の無い笑顔で、淀みない声で、名作だと讃え、何度も読んだと言っていたのが耳に残っている。ライゼスがそれを思い出しているのを察して、ティルは話を打ち切るように声のトーンを変えた。
「そもそも綺麗な別れ話なんかこの世にねーよ」
「じゃあ参考までに聞きますが。リズにはなんて?」
「それは聞かねーって言っただろ……さっき」
「よく思い出して下さい。そんなことは一言も言ってません」
 ここに来て、ようやくティルはライゼスの方を見た。こちらを見る紫の瞳はいつもと同じ、射抜くような光がある。最初はどうか知らないが、今は単に色恋話をしているわけではないのだろう。ヒューバートと会っていたあの日、その足でリーゼアにも会いに行ったことがバレているのか。ヒューバートがそれを話すことはないだろうが、リーゼアは話したかもしれない。
「……別になんとも。だから手を出してもいーならそーするけど」
「……は?」
「俺がリズちゃんと結婚してもいいなら、そうしてもいいって言ってんの。お兄様」
「ふざけた冗談はやめて下さい」
「別に全くの冗談ってわけでもねーよ」
「セラのことは諦めると?」
 一瞬ティルは口を噤んだ。その方が都合がいいだろうに、とは口にしない。どのみち無理な相談だ。
「諦められるなら、とっくに自分でこの国を出てる。けどどうせ叶わないなら、レゼクトラ家にいればセラの傍にいる理由ができるだろ?」
「…………」
 ライゼスから凄まじい形相で睨まれて、ふとティルは興覚めしたように、うすら笑いを消して真顔になった。
「冗談だ。リズちゃんを利用する気はないよ……その程度には好きだから、リーゼアのことは」
 それだけ言うと、彼は席を立った。
「今日はもうセラちゃんの試合ないだろ? 先に宿に帰る。お前とこんな話しててもつまんないしな」
「待って下さい。……貴方、僕に何か隠していませんか?」
 勘繰っていることを察したのだろう。話を強引に終わらせるティルに、ライゼスは率直に尋ねた。ティル相手に搦め手から入るなど、最初から無謀なことだと解ってはいだ。だからといって、普通に聞いても彼は絶対に答えはしないだろう。だが、はぐらかすとばかり思っていたライゼスの予想に反して、ティルは真っすぐにライゼスを見据えると口を開いた。
「俺の問いに答えられるなら、答える。……俺がセラにできることは何だ?」
 返ってきた答えは、考えていたどれとも違った。そのことにたじろいでいる間に、ふいとティルは踵を返し、あっという間にその後ろ姿は人込みの中に消えていく。その方向をぼんやりと見つめながら、ライゼスは得体の知れない不安感に襲われていた。