13.


 扉をノックすると、部屋の主はこちらの顔を見て驚いたような顔をした。
「ライゼス様? どうかしましたか?」
「いえ。さっきは送りもせずにすみません。無事着いたかどうか気になって」
「そんな。王都とレアノルトを一人で行き来することなど珍しくありません。エルベールの名こそ返しておりませんが、とうに家は出ております。それでなくても、ライゼス様に気を遣われるような身分では……」
「別に僕はエルベールに気を遣ってるわけじゃありませんよ」
 レミィの言い様に、ライゼスは苦笑した。だがレミィの頬がうっすらとそまるのを見て、失言だったかもしれないと思う。気を持たせるなという忠告が過ぎってしまって、ライゼスは軽く頭を振った。
「あと、少し話もあって……」
 往来に視線を逸らしながら、できれば言わずに済ませたかった言葉を引きずり出す。なかなか返事がこない彼女の方を見ることはできずにいたが、やがて穏やかな声が返ってきた。
「……どうぞ、お入り下さい」
 女性の一人暮らしに立ち入るのも気が引けたが、立ち話で済ませていいものでもない気がした。少し迷ったが、部屋に上がる。レアノルト滞在中に彼女を寮まで送ったことはあるが、部屋に入ったことはなかった。
 寮とはいえ、レアノルトアカデミーの中でも上流階級の者だけが入れる場所だ。それにしてはレミィの部屋は質素なものだった。機能重視なところは彼女らしいと思ったが、その中でも手作りであろうクロスや装飾があり、女性らしさも見える。必要最低限のものしか置かないところはセラと似ているが、殺風景なセラの部屋とは全く違う趣だ。
「姫様と殿下は? 離れて大丈夫なのですか?」
「もう宿に入りましたし、彼女らも子供ではないので大丈夫でしょう」
「でも、従者もおりませんし……」
「本人が嫌うんだから仕方ありません。まぁ姫に何かできるような猛者なんてそうそういませんよ」
「……殿下は?」
 それは、ティルの身が危ないということなのか、ティルがセラに何もしないかという意味なのか、どちらかわかりかねてライゼスは口を噤んだ。どちらにせよ心配ないと言い切れはしないのだが。
「……子供ではありませんので」
 さっきと同じようなことを繰り返して曖昧に濁す。レミィもそれ以上はセラ達のことは追及してこなかった。
「今お茶を淹れますね」
「お構いなく、長居はできませんので」
「……そうですか。では、お話とは」
 ダイニングの椅子を勧められて、ライゼスは腰を下ろした。その向かいに、同様にレミィも腰を下ろす。
 だが、長居しないと口にしたばかりなのに、中々うまい言葉が出てこない。その様子を見て、レミィはクス、と笑った。
「いいですよ、無理しなくても。わかってますから」
「…………」
 情けなさに、ライゼスは顔を押さえた。
「……すみません」
「いえ、わたしが悪いんです。……区切りをつけないと前へ進めないと思ったから……わたしの我儘に巻き込んでしまってすみませんでした」
 あっさりとレミィがそう言うのには、当然こちらに気を遣ったのはあるだろう。しかし、妹といい彼女といい、女性というのは前へ進もうとする強さがあって羨ましいとライゼスには感じられた。
「あと、もう一つすみません……わたし、姫様に喧嘩を売ってしまいました」
「は……?」
 その言葉も行為も、レミィの口から出たとは一瞬信じられず、ライゼスは間の抜けた声を上げた。恥ずかしそうに俯きながら、レミィがぼそぼそと続ける。
「ライゼス様と殿下が争ってるのは、姫様のせいだって……」
「……。別に間違ってはいないですね……」
「ではやはり、姫様を取り合って?」
 そう言われると、何か違う気がしてくるのは何故だろう。ティルはそうかもしれない。しかし最近はどこか押し付けあっている気がしてきて複雑な気分になってくる。
「そういうわけでも……やっぱり姫は関係ないのかもしれません」
「違うんですか?」
「よくわかりません。強いて言えば、見てるとイラつくからでしょうか」
「ライゼス様からそんな言葉が出ると思いませんでした」
 さきほど自分が思ったのと同じようなことをレミィが口にするので、思わず笑みが零れてしまった。
「……何か似てますね、僕らは」
「そうですか? ……でも確かに、ライゼス様と話していると落ち着きます」
「僕もですよ。姫といると心が休まるときがないんですけどね」
 セラのことを口にすると、レミィは少し複雑な表情を乗せた。気付いて、ライゼスはテーブルに視線を落とす。
「……だから、すみません。放っておけないんです」
「ええ……わかっています」
 話は最初に戻って、途絶えた。多分、これ以上何を話しても同じなのだろう。
「じゃあ、こんなところに来てる場合じゃありませんよ」
「まあ、少し放っておいた方がいいのかもしれませんけどね。でもそろそろ戻ります。……頃合いでしょうし」
 小さく付け足した言葉は聞き取れなかったのだろう。レミィが不思議そうにこちらを見るが、聞こえなくていいことなのでライゼスはそのまま席を立った。
「いえ、ではこれで」
「……ライゼス様」
 その場を後にしかけて、だが呼ばれて足を止める。まだ座ったままのレミィは言葉を探すように虚空を見ていたが、やがてふと目を伏せて立ち上がった。
「……わざわざ来て下さってありがとうございました」
 頭を下げるレミィに、ライゼスも会釈をして部屋を出た。

■ □ ■ □ ■

「……どこへ行っていたんだ」
 ライゼスが宿まで戻ってくると、入り口で、待ち構えていたように呼び止められる。セラである。
「野暮用ですよ」
「ふうん……?」
 何か言いたげな目で見られたが、沈黙を貫いているとセラも諦めたようだった。レミィの様子では、セラも大体の事情は知ったような気がしたが、それについてセラと話す気はライゼスにはなかった。
「あの人は? ちゃんと話はできましたか?」
「……自分のことは話さないくせに」
 拗ねたような顔を見せられて、ライゼスは意表を突かれて一瞬黙った。
「僕は……別に貴方に心配かけたりしてないでしょう。そう言うなら、泣き顔なんて見せないで下さい」
「な……、泣いてない!!」
 途端、ライゼスが笑いだしたので、セラは憮然として彼から目を逸らした。そんなセラの様子に気が付いて、ライゼスもすぐに笑うのをやめる。
「いえ、すみません。妹の小さい頃を思い出して」
「それは、馬鹿にしてるのか?」
「違いますよ。少し……羨ましかっただけです。貴方にそんな顔をさせるあの人が」
「……? どういう」
「問われれば何も隠しはしませんよ。でも、何があっても僕は変わりはしません」
 良くも悪くも、と。それは胸の中だけにしておきながらも、それでもやはりレミィのことはあまり聞かれたくないのが本音だった。それはセラにも伝わっているのか、やや呆れたような、だがほっとしているような、そんな顔で彼女は振り向いた。
「なら……私が聞くべきことはないのかもしれないな。ただ、私のせいでお前にも無理をさせていないかと思って」
「僕はそんなに殊勝な人間ではありませんよ。自分のしたいことしかしませんから」
「はは、なら私と同じだ」
 セラが笑い、ライゼスが「一緒にしないで下さい」と苦言を呈する。夕闇が濃くなって、祭りの灯りが幻想的にそこかしこで輝いている。
「無理をしているのは、そっちでしょうに……」
 しばらく二人は無言でそれを眺めていたが、ふとライゼスが夜風に独り言を流した。それは、独り言だったが、隣にいるセラに聞こえないわけもない。
「さすがに今回は軽率だった。ティルだけでなくリュナにも迷惑を掛けたな……」
「そうですよ。下手をすればスティンまで巻き込むところだったんですからね」
「わかっている……重々気を付ける……」
 セラが頭を抱え、しおらしいことを口にする。よほど反省しているのかと思うと珍しいことではあり、ライゼスは軽くその金髪を撫でた。
「リュナもティルもわかっていますよ。貴方がそういう人だってことは」
「……いつもの長い小言はどうした。お前が叱ってくれないと、私は自分で自分を律する他ないじゃないか」
「もう子供ではないんでしょう?」
 顔を上げると、幼馴染は優しく目を細めた。優しいが、厳しい。厳しいことを言いながらも優しかった今までと、変わったようで変わらない。
「そうだな……。ラス、私は……ラディアス王子に負けたら、剣を捨てる」
「…………」
 ぽつりぽつりと、セラは言葉を往来に投げてゆく。それはけして自暴自棄になっているのではなく、ラディアスに挑んだその瞬間から決めていたことのようにライゼスには見受けられた。
「他の何もできなくて……ただ強さだけを追い求めてきたけど、それじゃ誰も守れないってクラストに会って思い知った。その上ここで勝てないならもう、何の意味もないから」
 ――否、クラストの名が出るということは、もっと前から考えていたことなのかもしれない。
 今回のことはセラの短気が招いたこととは言え、遅かれ早かれこのような局面はきっとやってきたのだろう。浅く息を吐くと、ライゼスは敢えて冗談めかした声で答えた。
「では、ラディアス王子が勝てば、あの人は国に帰り、貴方は剣を振り回さなくなるというわけですか。どっちを応援しようか迷ってしまいますね」
 セラが黙り込み、街の喧噪だけが辺りを包む。
「じゃあそうなったら、僕は王都を出ようかな」
 その喧噪に、ライゼスの呟きが吸い込まれていく。何故とセラの視線が問いかけてきて、ライゼスは困ったように笑った。
「だって僕がいる意味がなくなるじゃないですか」
 それでは答になっていないのだろう。セラの不可解な表情は変わらなかったが、それ以上は答えず――ライゼスは笑みを消した。
「大丈夫です。セラは負けません」
「ラス……」
 負ければ全てを失うことになる――それなのに、不安も恐怖も何もない。
「なら、私は勝つだろう。お前は間違ったことを言わないから」
 もう、負ける気はしなかった。