10.


軽やかにセラが地を蹴り、舞うように剣を振るう。ドレスを着れば歩くことすら覚束ず、低いヒールで転びそうになるというのに。  屈強な男達を相手にしてなお怯まず、笑みすら浮かべて剣を繰る彼女と相対すれば、誰も地を這う他はない。
「……手伝おうか?」
 馬車から顔を出したティルに、ライゼスはセラへと視線を当てたままで淡々と答えた。
「貴方の戦闘を許可できません。僕たちだけで充分です」
「あっそ」
 抜きかけた刀を仕舞って、ティルが馬車の中に引っ込む。
 実際のところ、セラ一人で充分だった。現にライゼスもさっきから魔法を撃とうとしているのだが、狙いをつける端からセラが倒して行ってしまう。だが足元に矢が付き立って、ライゼスはそれが飛んできた方向を見た。
「狙撃されているようです。僕はそっちを叩く」
「わかった。気を付けろよ」
「セラも」
 必要のない忠告を置いて、ライゼスは走り出した。それと時を同じくして丘の上の茂みが動くのを見逃さない。
(逃がすものか)
 ここで逃がせば、討伐隊が出てもその間に犠牲者が出るかもしれない。もっと悪ければ、その時間で逃げおおせて他の場所でまた同じことをするかもしれない。いずれにせよ警備を強化する必要があると報告に戻らねばなるまいが――
(それにしても、最近野盗の類が蔓延りすぎだ。父上は気付いているんでしょうか……?)
 考えに耽る間にも、手は印を切る。こちらが動いたのに気が付いて狙撃手は距離を取ろうとしているが、それを追いつめる必要はない。遠距離攻撃が得意なのはライゼスとて同じだ。
「光よ! 我が前に集いて敵を撃て!」
 突き出した右手から光が伸びて、真っすぐに丘の上を目指す。悲鳴が聞こえて、ライゼスは短く息を吐いた。だが、まだ殺気は消えない。こちらに飛んでくる無数の矢を見て、ライゼスは防御の魔法を詠んだ。
 一斉に放たれた矢が、ライゼスの作った光の盾に触れて灰になる。同時に気配が散開する。ライゼスは舌打ちするとシールドを消して走り出した。だが、丘の周囲は森だ。身を顰められれば目視で全員を見つけ出すのはかなり困難になる。それでも森に入り気配を探る。確かに殺気は感じるのだが、その正確な位置までは確認できない。
 殺気が消えていない以上、向こうに逃走の意志はないだろう。いずれ攻撃に転じるならばそれを叩けばいい。だが、その時間も惜しく、ライゼスは一旦森を出た。時刻は昼。のみならず快晴。多少なら無茶もできる。
 深呼吸して集中すると、ライゼスは両手で印を切った。集められるだけの精霊を集め、範囲を森全体までに広げる。 「光よ! 我が前に集いて濁濁たるもの焼き払え!」
 光の嵐が、森の木々の間を走り抜ける。爆風が彼のマントと木々の葉を巻き上げる。全ての殺気が綺麗に消え失せるまでにそう時間はかからず、ライゼスは手を下ろした。だが、ふと思ったよりセラの気配が遠のいたことに気が付き、彼女の正確な位置を探るために再び集中する。
 頭の奥に瞬く光は、かなり東に外れている。元いた場所より自分は西に、そしてセラは東に移動している。
「まさか、誘い出された……?」
 嫌な予感に唇を噛んで、ライゼスは急ぎ踵を返した。

 目の前で短刀がぬらりと光る。馬車の戸口で、その切っ先をティルは鞘に納めたままの刀で受けていた。抜刀する余裕がなかったのである。
「殿下!」
「君はそこを動かないで」
 レミィの悲鳴に、ティルは静かに答えた。勿論それで集中を切らすことはしない。力の均衡が少しでも崩れれば短刀は容赦なく自分を貫くだろう。それ自体は別にどうとも思わないが、今ここで倒れればレミィと御者が殺されるかもしれない。それに――
(ここでやられても、どーせまた借り作るだけだろうしな……)
 溜息を飲み込んで、相手を蹴り飛ばそうとした足が空を切る。相手が飛び退って、目の前から短刀が消える。すかさずティルは馬車を飛び降りた。
 間合いの一歩外で、襲撃者が短刀を構える。そのいでたちはさきほどまでの野盗とさほど変わらないが、顔には覆面をしている。その気配だけで、セラ達が相手をしていた者とは力の差が一線を画していと知れる。今まで嫌という程相手をしてきたからこそ、わかる。
 相手は野盗ではなく、プロの暗殺者だ。それもかなり手練れの。
 油断なく刀を抜き放つ。この数年、闘いからは離れていた。セラほど真面目に稽古などしていない。どこまで闘えるかと言われれば自信などまるでないが、多少もてばそれでよかった。セラとライゼスは恐らく陽動に掛かったのだろうが、二人のことだからすぐに気が付くだろう。
(けど二人を陽動ってことは、ターゲットはまぁ、俺なんだろうな……)
 それがバレるのも面倒なことではあった。
「さっさとケリつけとくか……!」
 先手必勝、一撃必殺。ティルが奔るのと同時に、相手も地を蹴る。
(チッ、やっぱ俺より早ぇ――)
 最初の一撃に抜刀できなかったことで予想はついていた。咄嗟に刀を引いて急所を防御する。だが相手の得物はこちらの予想に反して逸れた。
「!?」
 心臓か頸動脈――そのどちらかを狙ってくるとばかり思っていたが、暗殺者の姿が右に逸れる。短刀が右の二の腕を霞め、鈍い痛みが伝わるが、とても致命傷とは言えない。これでは利き手封じにすらならない。
 考えながらも素早く態勢を整えるがその必要もなく、ドサリと相手が地面に倒れる。その口から血が流れているのを見てティルは顔をしかめた。
「ティル!」
 セラの声に振り返ると、彼女は血相を変えて駆け寄って来た。
「大丈夫です。もう終わりました」
 倒したのではなく自決ではあったが、それには触れずティルは刀を仕舞った。セラはちらりとその亡骸に視線を走らせたが、こと切れているのを知るとすぐにティルへと視線を戻す。
「腕、怪我してるじゃないか」
「かすり傷です」
「……信用できない」
 凄まじい形相で睨みつけてくるセラに、ティルは苦笑しながら腕を差し出した。実際、ごく浅い傷で、血もじきに止まるだろう。セラはしばらく傷を凝視していたが、ようやく納得したようだった。
「だが手当てした方がいい。ラスが戻るまで止血しておこう」
「待って下さい、姫様!」
 ティルの腕を掴んだセラを、レミィの鋭い声が遮る。彼女は馬車を飛び下りるとセラの袖を引いてティルから離した。
「もしかしたら、毒が塗られているかもしれません。迂闊に触らない方が――」
「毒……!?」
 セラが緊迫した声を上げた一方で、ティルはふと口元に手を当てた。成程毒を仕込んでいるなら、致命傷にこだわる必要はない。急所を狙ってもガードされると読んだなら、どこでもいい、浅くていい、傷をつければそれで済む――通常なら。
「毒ですって?」
 逆方向から姿を現したライゼスが、ティルが倒した男の得物をしげしげと見る。
「確かに……何か塗られていますね。でも毒の種類がわからないことには解毒しようにも……」
「敵は致命傷にこだわる様子がありませんでしたし、強い毒の可能性が高いです。即効性や致死性に優れたものに絞るならかなり限られてはきます」
 ライゼスとレミィが緊迫した面持ちで話すのを、当事者であるティルがつまらなそうに遮る。
「解毒の必要はない。別に何ともないから」
「……本当に?」
 ライゼスにまで疑わし気な目で見られて、ティルは嘆息した。
「疑いすぎだ。そんなことより急ごうぜ。王都に報せなきゃなんないだろ」
「そんなこととはなんだ! 皆お前の心配をしてるんだぞ。真剣に聞け!!」
 セラの怒声が耳を貫き、ティルはきょとんとした。依然としてこちらを睨みつけてくるセラの、その肩が小刻みに震えている。
「……セラの言う通りですよ。後で発覚して大事になった方が迷惑です」
「ほんっとに信用ないのな……だから、大丈夫だって。俺は毒が効かない。言ったことなかったっけ」
「聞いたことありません。適当なこと言ってませんか?」
「……昔盛られすぎて効かなくなったんだよ。ていうか、即効性がある可能性が高いんだろ? 嘘ならとっくに毒回って死んでる」
 盛られて死ぬ前に効かなくなるなどおかしな話ではあるが――それも特異魔力による生命力なら、あり得るかもしれないとライゼスは結論を出した。ありえないとしたところで、彼の言う通り、嘘をついているなら既になんらかの症状が出ているだろう。
「盛られすぎてって、お前……、それ大丈夫なのか」
「ええ、それに多少のことなら慣れてますから」
 軽く答えて、ティルは傷を押さえた。そろそろ止まってもいい筈の血がまだ流れている。圧迫して塞ごうとしたのだが、その前にライゼスが回復魔法を詠んだ。
「頼んでねーぞ……」
「貴方はよくても、本当に毒なら傷は塞がないと周りに害が及ぶでしょう。それにどうせセラに頼まれるんです。僕のこと救急箱かなんかだと思ってるんですから」
「お前こそ私のことをなんだと――」
 セラがムッとして反論しかけるが、レミィと目が合った瞬間に言葉の先は消えた。唐突に黙したセラに、ライゼスもティルも怪訝な顔をする。だが、レミィの視線に気づいてライゼスは馬車へと歩き出した。
「とにかく、王都へ書簡を出さねばなりません。それにいくら毒に強いとはいえ体力が落ちていればなんらかの症状が出ないとも限りませんし、休んだ方がいいでしょう。幸い日程にはまだ余裕がありますし、予定外ですが手近な街へ寄ります」
 ただでさえ時間を食いましたし、と呟きながら、ふとライゼスはそれを見越しての早い出立だったのかと勘繰った。だがそれの答えを欲した所でこの場ではどうにもならない。セラとティルが続いて馬車に乗り込む頃には、この気まずい旅の時間が増えたことの方が彼の頭を悩ませていた。