11.


 予定外の事態に一日ずれたが、一同は無事にレアノルトに辿り着いた。
「では、わたしは寮に戻りますので、これで」
 宿の前で馬車が止まると、最後に降りたレミィはそう言って会釈した。短い挨拶のみを残し、レミィの後ろ姿はあっという間に人混みに消えていく。
「……送ってやらなくていいのか?」
 同様のことを悩んでいたライゼスは、セラの言葉に彼女を振り返った。だが小さく頭を横に振る。
「レミィはこの町に住んでいるんですから、大丈夫ですよ。貴方達を残していく方が心配です」
「そういう問題ではなく……」
「じゃあ、どういう問題なんですか? 僕が戻る前にセラはフラフラ町見物に行かないと約束できるんですか?」
「……もういい」
 セラが空を仰ぎ、溜息をつく。
「なんですか」
「なんでもないって」
 両方の声に苛立ちが混じり始めて、ティルはそれを遮るように声を上げた。
「とりあえず宿に入ろうぜ。休みたい」
 その相変わらず悪い顔色を見て、セラは詮無い言い合いを止めて眉を顰めた。
「済まない。体大丈夫か?」
「大丈夫だけど、ちょっと疲れた」
 それにはライゼスも激しく同意だったので、ライゼスも追及をやめて宿へと足を踏み入れた。
「大きな宿だな」
 ライゼスが手続きをする後ろで、中を見回してセラが呟く。ロビーを行き交う人々も身なりが良く、身分が高いのが一目でわかるような者ばかりだ。また、髪や目の色もまばらで、世界中から人が集まっているのがわかる。
「本当にいろんな国から人が来ているんだな。もしかしてリュナも来てるかな」
 言うなり、セラはキョロキョロしながら宿の中を進んでいく。
 これでは、ライゼスの心配も洒落になっていない。宿の中で迷子になることもないだろうが、セラのことだからわからない。
「セラちゃん、待っ――」
「お姉さまーーー!!!」
 黄色い声に、ティルの静止は掻き消される。飛びついてきたツインテールの小柄な少女の体を受け止めながら、セラも華やいだ声を上げた。
「リュナ! 来ていたのか」
「はい! 弟が剣術大会に出るのでその付き添いですけど、お姉様も来てるんじゃないかと思ってリュナはずっと捜していました! 会えてうれしいです!!」
「私もだ。……弟がいるのか、知らなかった。大会で当たるだろうか」
「まだまだ未熟のじゅくじゅくなのでお姉様には絶対に勝てませんけどね。ていうか絶対お姉様が優勝ですよね! リュナは表彰台に昇ったお姉様を見るのが今から楽しみです」
 リュナはセラから体を離すと、うっとりとして両手を組んだ。気が早い、と言いながらもまんざらではないセラとリュナとの会話は続き、ティルはそっとその場を離れかけた――のだが。
 振り返って、ティルは凍り付いた。碧眼が黒髪の長身の青年を捉え、勘違いであって欲しいという祈りも虚しく、目が合ってしまう。言葉どころか心臓まで止まりそうになった。
「……奇遇だな」
「あ、兄上……」
 ようやく出てきた言葉はそれだけだった。挨拶せねばとわかっているのだが、なかなか声が出てこない。兄の中でもなるべく会いたくない部類に入る――第四王子、否、ディルフレッドが追放された今は第三王子となる。リルドシア騎士団長ラディアスである。彼がここにいるということは――
「まさか、兄上も剣術大会に……?」
「そのまさかだ。次兄――いや長兄殿に出ろと命じられた」
 一切表情を動かさず、ラディアスが答える。ようやく少しだけ余裕を取り戻し、ティルは宙を睨んだ。レイオスのことだから、ただの戯れではないだろう。
 リルドシアは小さな国だ。それ故に聖戦でもほとんど打撃を受けずに済んだ。逆に言えばいつでも潰されるような国でもある。だからこそ、レイオスは雑談紛いで不釣り合いな縁談を取り付けた。ランドエバーとの繋がりがあれば他国への牽制になるからだ。
 とはいえ、自国に切り札があるに越したことはない。リルドシアは大した戦力を有さないが、ラディアスだけは別格だ。名を売るにはこれ以上ない機会だろう。しかし負ければ逆効果だ――それでもラディアスを寄越したということは、それだけ彼を信じているのか、若しくは――
「兄上の戴冠も近い。それに合わせて周辺諸国がどう動くかわからない。少しでも盤石にしておきたいのだろうな」
 ――近々、国で大きな動きがあるのか。そのティルの推測を裏付けるように、ラディアスが述べる。結局のところ、両方なのだろう。
「……父上は……」
「気になるのなら帰ってくればいいものを。二年も梨の礫とは、薄情なものだ」
 ラディアスの表情に動きはない。声も淡々としたものだが、その声に軽蔑が籠っているのはわかる。激高したくなるのを堪えて、ティルは冷静になるよう努めた。
「帰れるわけがないでしょう。もし私が生きていると知れば父上が助かるとしても……それではまた国が混乱します」
「随分と安易に肉親を見捨てられるものだな。厄介者のお前でさえ私は幾度となく助けた」
「……それは父上に命じられたからではないですか。兄上だって秩序の為私を討ちたいと仰っておられた。それとどう違いが?」
「それでも助けた。そして父上に守られていたからお前は生きられた。今ランドエバーでぬくぬくと生きられるのも、父上のお蔭ではないのか」
 爪が食い込むほど、ティルは手を握りしめた。その痛みで正気を繋ぐ。
「ぬくぬくと……ですって? 兄上はランドエバーに私の居場所があるとでもお思いなのか。レイオス兄上は単にランドエバーとの国交のために私を送り込んだに過ぎません。体よく利用した上に厄介払いしておいて、薄情なのはどちらです」
「つまり父上より自分を気にしろと、そう言わんばかりだな。まるで子供の我儘だ」
 呆れ交じりの声が降ってくる。ぬるりと拳から血が流れる感触がした。気が付けば、叫び声が喉を通っていた。
「俺は帰らない。リルドシアになど二度と帰るものか……!」
「もういい。今のお前が帰っても、益はなさそうだ」
 興味を失ったように、ラディアスは目を伏せた。だが、気配を感じてその瞳をそちらへ伸ばす。俯く弟を通り越し、その向こうへと。
「久しぶりだな、セリエラ王女」
 唐突にラディアスが口にした名に、ティルは肩を震わせた。――見られたくないところを見られた。だが、
「ダメです、お姉様!」
 リュナの悲鳴じみた声にどうにか重い頭を動かせば、セラは剣に手をかけていた。それを必死にリュナが止めていて、慌ててティルはリュナと共に彼女の腕を押さえた。だがその二人ともを振り払って、セラが口を開く。
「自分のことばかりだと……? 今まで一度だってティルが我儘を言ったことがあるものか!」
「そのようなことは王家の人間として当然だ」
「私も王家の人間だがな。生憎そこまで物分かりがよくない」
 セラの剣が僅かに鞘から浮く。
「大国だからこそ許される驕りか――」
 それに合わせ、ラディアスもまた剣に手をかける。ティルが間に入りかけるが、それより少し前にセラの動きは止まった。
「姫」
 ライゼスが、抜きかけたセラの剣を鞘に押し戻す。
「公務で来ているのをお忘れですか。軽率な行動は慎んで下さい」
「だが!!」
 唇を噛むセラから、ライゼスはラディアスへと視線を移した。その漆黒の瞳を真っすぐに見返しながら、ライゼスが淡々と続ける。
「わざわざ今戦わなくとも決勝で会えるでしょう。彼はよほど益のある人間のようですからね?」
「……ラス」
 驚いたように、セラは幼馴染を振り仰いだ。その表情はラディアスと同じく、何の感情も浮かばない。それは、本当に怒っているときのライゼスの顔だと知っているから、セラは大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせた。
「……わかった。この勝負は決勝でつける」
 吸った息と共に、闘志を叩きつける。それを受けてラディアスは口元だけで笑った。
「フッ、まさか勝つつもりでいるか?」
「無論だ。貴殿は負けるつもりで戦うことがあるのか」
「――愚問だな。しかしそこまで言うなら、私が勝てば愚弟は国に帰してもらおう」
 思わぬ言葉に、セラは不可解な顔をした。
「今更何を――」
「貴女が帰さないと言うからだ、王女」
 挑発とわかっていて、セラは正面からラディアスの黒い瞳を見返した。
「……上等だ。ならば私が勝ったら、二度とティルには関わるな!」
 アイスグリーンと漆黒の間に火花が散る。そのまま同時に二人は踵を返した。
「……えぇ……?」
 二人の殺気がその場から消えたあと、ティルの戸惑いの声と、ライゼスの溜息と、興奮した様子で頬を染めるリュナがその場には残された。