8.


 翌早朝、ライゼス、ティル、そしてレミィの3人はレアノルトに向けて発つために、ランドエバーの正門に集まり、セラを待っていた。大会当日までまだ日はあったが、事前に予選があるため少し早めの出立となったのである。ちなみに、結局リーゼアは熱が下がらず、同行は諦めることになった。
 セラを待つ時間で、ライゼスは――半ば仕方なく――初対面であるティルとレミィにそれぞれの紹介をした。そういえばティルにレミィが同道することを話すのをすっかり忘れていた。
「ええと……彼女はレミィ・エルベール。話し忘れましたが、彼女は普段レアノルトに住んでいまして、同道することになりました」
 何か言いたげなティルが、何を言いたいのかはなんとなくわかるがそれについて何も言えるわけもなく――対面するのは初めてだろうが、彼は一度レミィを見ている。彼のことだから、一通りのことは察しているだろう。それがまた余計に面倒であった。
「で、レミィ。彼は――」
「ティル・アーシェント=リルドシアです。宜しく、ミス・エルベール」
 ライゼスの言葉を遮って、ティルはそう挨拶すると片手を差し出した。ためらいがちにレミィがその手を握り返す。
「お初にお目に掛かります、王子殿下。お噂はかねがね」
 なんとも言えない空気に、ライゼスは既に気疲れした。もしかしたら、ティルがいることによって気まずい空気も少しはマシになるかもしれない――などと淡い期待を抱いていたのだが、考えてみれば公務に同道する以上ティルが身分を隠すのは無理だ。身元を明かす以上ティルはふざけた態度は取らない。初対面の印象が最悪すぎて忘れそうになるのだが、彼がその線引きを必要以上にしっかりとしているのはこれもわかっていたことである。  やはり、レミィにどう思われようが同行は遠慮してもらうべきだった。というか、そもそもティルに何か期待をした自分が悔しい。別に彼は責められるようなことは何もしてない――むしろ王家の人間としてはセラに見習わせたいほど模範的である――が、それはそれとして悔しい。
 紹介が済んだら重苦しい沈黙が続き、ライゼスは溜息と眉間の皺を堪えるのに必死だった。これがレアノルトに着くまで続くのかと思うと果てしなく帰りたい。
「待たせて済まないな」
 静寂を割いたのはセラの声だった。親衛隊を伴い、騎士服を身にまとったセラが姿を現す。
 ランドエバーの騎士服は白が基調だが、一部に隊ごとのカラーが入る。部隊に属していないライゼスとティルの騎士服は使われていない紫が入っているが、彼女の色は瞳と同じアイスグリーンだ。それに、真紅のマントを金の鎖細工で止めている。歴戦の英雄のように威風堂々と佇む姿は神々しくすらあって、その場の誰もが気まずさを忘れて見入った。
「とてもよくお似合いですよ」
「ありがとう。ドレスのときに言われたなら嫌味かと思うが、今は素直に受け取っておくよ」
 ライゼスの賛辞に、セラが微笑む。
 幼い頃から騎士になるのが夢だったセラが、こうして騎士服に袖を通すことができたのだ。その喜びは想像に難くないが――その笑顔があまりにも幸せそうなのには苦笑するしかない。
(……その方がセラらしいですけどね)
 婚礼衣装を着て微笑むセラというのは想像がつかないが、騎士服を着て剣術大会で強者を薙ぎ倒して行くセラなら容易に想像できる。きっとその方が彼女は幸せそうな顔をするのだろう。
「どうだ、ティル。似合うか?」
 よほど嬉しいのか、セラはティルに対しても子供のようにはしゃいだ声を上げる。それを受けて、ティルはニコ、と微笑を貼り付ける。
「ええ、とても」
 逆に、セラは笑みを消した。だが一瞬のことで、すぐにまた元通り勝気な笑みを浮かべる。
「では行こうか」
 言って、セラは誰の手も借りずにさっさと馬車に乗り込んだ。残りの一同が顔を見合わせる。ライゼスもティルも動かないので、身分的にその中では一番下になるレミィは動けない。
「……どうぞ、殿下」
「……いえ、そちらがお先にどうぞ、レゼクトラ卿」
「王族を差し置いて乗れませんので」
「といいましても、私はこの国の人間ではありませんので」
 座席は対面式だ。いつもなら――ティルは嬉々としてセラの隣に座っただろう。だが、今はレミィがいる。彼女の手前ライゼスを差し置いてセラの隣に座るのは憚られるし、だからといって隣を避ければ余計にセラと気まずくなりそうだ。結局あれ以来セラとちゃんと話していない。
 ライゼスはライゼスで、セラの隣に座ればレミィを避けたようになるし、かといってセラの隣を避けるのも不自然な気がする。他人の目がある今ティルはふざけたことはしないだろうから、さっさとセラの隣を埋めて欲しかった。それをしないところを見ると、まだセラとわだかまりがあるのだろうか。そういえば最近、二人が話しているところをほとんど見ない。
「…………」
 互いに睨み合っていると、馬車の中からセラが顔を出した。
「……レミィ、先に乗れ」
「え、でも……」
「その二人は私の隣に座りたくないそうだ」
 レミィとセラの注視を受けて、ライゼスは目を逸らした。
「……そういうわけでは」
「というのは冗談だが。レアノルトまでは丸一日かかる。そう気を遣うな、誘った手前気が引ける」
 ふっとセラが相好を崩し、レミィはそれでもしばらく迷った様子を見せていたが、やがて「では」と馬車に乗り込んだ。同時にティルが堪えていた溜息を吐き出す。
「……なんでこーいうことになったのかと思ったら、セラちゃんが誘ったんだ」
「ええ、そうですよ。ですから文句ならセラに言って下さい」
「別に文句はねーけど。あんま気を持たせんなよ。あの子お前に気があるぜ」
 横目で見ながら指摘され、ライゼスがカッっとして言い返す。
「だから、セラが誘ったんだって言ってるでしょう! 大体、貴方には関係ないことです」
「なら俺を巻き込むなよ。入院してた方がまだ気楽だった……」
「……」
 小声で吐き捨て、馬車に乗り込もうとするティルの背に、ライゼスは思わず問いかけていた。
「貴方、何のためにランドエバーにいるんですか?」
「……そんなの、」
 セラの傍にいるためだ。そんなわかりきったことを聞くのは、それとさっきの言葉が矛盾しているからだ。気付いてティルは舌打ちした。
「お前もセラも……俺にどーしろって言うんだよ」
「子供じゃあるまいし、そんなの自分で考えろ!」
 衝撃に、言い返そうとした言葉は消える。遅れてやってくる痛みに殴られたことを理解して、ティルは拳を固めた。

「ひ、姫様……何か、殴り合いになってますけど!?」
 二人が一向に現れないために外を伺ったレミィが悲鳴のような声を上げる。セラは腕組みして座ったまま、そちらも見ずに一言答えた。
「ほっとけ」
「で、でも……」
「いつものことだ」
「いつも……? わたし、あんなライゼス様初めて見ました……」
「そうだろうな」
 セラだって最初は驚いたのだから、レミィが驚くのも無理はないだろう。
「なんでそんな冷静なんですか? ライゼス様があんなに怒ってるの見て平気なんですか?」
「だってあの二人会ったときからああだし……」
「姫様のせいじゃないんですか?」
 責めるような口調を向けられて、セラは顔を上げた。
「私の所為? なぜ?」
「わたしは、殿下のことはよく存じませんが……二人とも、姫様の婚約者なのでしょう? だったら姫様のことで争うのは当然じゃないですか」
「……レミィ?」
 レミィの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。だが何故泣くのかわからず、セラは困惑した声を上げた。
「わたし……」
 セラの視線を感じ、レミィは顔を押さえた。
 初めから叶わぬ想いだとわかっている。祝福できると言った言葉に嘘はないはずなのに、言葉が止められない。自分の中にこんな激情があったことにレミィは戸惑っていた。しかし、駄目だと止める自らの理性に抗いきることができずに彼女は言葉を継ぐ。――決して口に出してはいけなかった言葉(おもい)を。
「わたし、ライゼス様が好きなんです……」
 零れた言葉に、セラは双眸を見開いた。