7.


 練兵場では、朝からひっきりなしに剣のぶつかり合う音が聞こえていた。もうすぐ時刻は昼を回るが、その音は止む気配を知らない。
「姫〜、もう止めましょうよ〜」
「隊長が固辞したから私に話が回ってたのでしょう。稽古に付き合う義務があるのでは?」
 両者激しく肩で息をつきながら、会話を交わす。その間にも隙を作るようなことは互いにしない。
「剣を振り回すのは何時間でも飽きないんだから、姫は。そろそろ剣より恋でもしたら?」
「放っておいて下さい。恋より剣の方が性に合っているのです」
 ヒューバートの剣が奔る。それを紙一重で避けて懐に飛び込むが、それに合わせて彼が後退する。読まれている。間合いができて、セラは息を整えた。
「強ければ勝つ。弱ければ負ける。届かぬならば強くなればいい。剣の方がわかりやすくて良い」
「成程、つまり……姫は今恋をしているんだ」
「な……ッ!?」
 動揺したセラの目が、泳ぐ。
「おりゃ、隙あり!」
 彼女の剣をヒューバートが下段からかち上げる。至極あっさりと、剣は彼女の手を離れて弧を描いて飛んでいく。
「卑怯です隊長!」
「負けるってことは弱いってことだ。自分で言ったんじゃん?」
「わけのわからないことを言って、私の混乱を誘った!」
「図星突かれて焦っただけでしょ〜。言葉は正しく使おうね」
「もう一度です!」
 剣を拾い上げ、それをヒューバートに突きつける。彼は「うげ」とまともに嫌な顔をした。
「ちょっと〜、息子でも殿下でもいいから助けてよ〜」
 練兵場の隅で見物していた二人が、声をかけられて同じタイミングで目を逸らす。
「今までサボってたツケですよ。精々頑張って下さい」
「すみません、俺はまだ怪我が完治してないので」
 実にあっさりと拒否される。ひとでなし〜と呻くヒューバートに、セラは剣を振りかぶった。
「隊長! かかってこないならこっちから!」
「せめて休憩させて〜!」
 朝から動き続けているのに、セラの動きはまったく鈍らない。気を抜いていなせる相手ではなく、しぶしぶとヒューバートが構えを取る。
「それにしても、隊長ってほんとに強かったんだな」
「そりゃ、伊達で隊長はやれませんよ……言いたいことはわかりますが……」
 息子であるライゼス自身、父が隊長をやっているのは何かの間違いではないかと思う。軽薄、不真面目、だらしないと短所を言い出せば枚挙に暇がないし、もちろん元老院からも昔から嫌われている。だがそれでも隊長を務めているのはその圧倒的強さと指揮力によるものだ。
 ライゼスが生まれたときにはもう戦争が終わっていたため、ライゼスは戦場に立った父を知らない。父とは折り合いが悪くぶつかりあったことも少なくないが、その度母から聞かされるのは父がいかに優秀な騎士だったかということである。あの母や元老院が認めているくらいであるから相当なものだったのだろうと、それはわかるのだが、やはりにわかには信じられない。ライゼスですらそうだから周囲は尚のことだろう。
「……隊長のことは、未だによくわかんないな」
「僕だってわからないですが、貴方に言われたくないでしょうね、父も」
「なんでだよ。俺はわかりやすいだろ」
 また、セラの剣が弾かれて飛んで行く。その間に這う這うの体で逃げ出そうとするヒューバートの襟首をセラが掴む。振り返りざまヒューバートはセラを投げ飛ばそうとするが、すんでのところでセラがそれをかわす。もはや剣の稽古ではなくなりつつあるのを半眼で見ながら、ライゼスは再び口を開いた。
「……物凄い二重人格なのはわかりますが」
「隊長と違って、陛下の前でふざけられる度胸はさすがにねーよ」
「王女の前ではえらくふざけてるようですが」
「今更だよ。俺もちょっと後悔してる」
 セラとヒューバートの稽古は、既に取っ組み合いの喧嘩と化している。あの二人を見ているとたまに自分より親子らしいとすら思う。逆に、ライゼスは若い頃のアルフェスに似ていると言われるが。
 ともあれ、意外な言葉が聞こえてきて、ライゼスは隣の人物に視線を移した。彼はセラ達の方に視線を移したまま、独白のように呟く。
「こんな長く付き合うつもりなかったんだ」
 ふいに辺りが静かになり、見遣ると二人は練兵場の真ん中で大の字で伸びていた。
「礼は言う。だけどもう助けるな」
「だったら僕の前で死にかけないで下さい」
「じゃー次は誰もいないとこで死ぬよ」
 至って真面目な声で即答されて、ライゼスは舌打ちした。――ごく珍しいことではある。苛立ちのまま、ライゼスはティルの胸倉を掴み上げた。
「貴方って人は!」
 無造作にライゼスの手を払い、ティルが襟首を直す。睨み合ったまま、ライゼスが手を翳し、ティルの手が刀に掛かる。一触即発――
「おい、そこ。元気ならチビ姫の相手してくれよ〜」
 復活したらしいセラに引っ張り起こされているヒューバートが声を掛け、二人は共に手を下ろし、そちらを向いた。
『遠慮しておきます』
 綺麗にハモった声に、セラは肩を竦めた。
「あいつらしょっちゅう喧嘩してるくせに、私の相手はしてくれないんですよ」
 拗ねたように不平を言うセラを見て、ヒューバートは膝を払いながら立ち上がった。
「おいおい〜お前ら婚約者だろ!? 剣の相手くらいしてやれよ!」
 怒鳴りつけられて、溜息を吐き出すのもこれもまた同時だった。
「別の相手なら喜ん、でッ」
 条件反射でティルに裏拳を叩きこみ――僅かな違和感を感じてライゼスは首を捻った。このやりとりも久々と言えばそうだが、違和感の正体はそこではない。
「息子〜。顔しか取柄のない奴の顔を殴っちゃ駄目でしょ〜?」
 顔を押さえてうずくまるティルを後目に、ライゼスはじろりとヒューバートを見た。違和感の理由がわかった。
「……変ですね。貴方達、いつの間に仲良くなったんですか?」
 ピクリとティルが肩を動かすのが視界に入り、今度はそちらを見下ろす。
「貴方が僕以外の前でそんなふざけた冗談を言うのも、父上がこの人の取柄が顔くらいなのを知ってるのも変です」
「お前めっちゃ失礼なこと言うな……一応王族だぜそいつ」
 ひくわーと身とヒューバートが身を捩じらす。ライゼスはそちらも見ずに、父に向けて光球を放った。ノーモーションでの攻撃にも関わらず、ヒューバートはひょいとそれをかわす。
「殿下とオレ、前から仲いいぜー。たまにコンパの数合わせに付き合ってもらってるし」
「ほう……?」
 それまで黙っていたセラが、肩に剣をかついで相槌を打つ。
「に、二年前に一度だけのことだよ!」
「たまに親衛隊の着替え覗くの付き合ってもらってるし」
「それも一回だけ――」
 思わず口を滑らせてしまって――慌ててティルは口を押えた。だが遅い。
「……一回やったんだな?」
「うっ――いてて、傷が痛い」
 チラリとセラはライゼスを見た。それを受けて、ライゼスが頷く。
「傷周辺以外なら許可します。父上はお好きなようにどうぞ」
「承知した」

 その後ティルは三発ほどビンタを食らい、ヒューバートは日が暮れるまで剣の稽古に付き合わされた。