4.
一行は無事レアノルトに着くと、予定していた宿に入った。予め手配されていたので王女一行が宿泊することは宿にも知らされており、レアノルトの中でも一番格式高い宿で手厚いもてなしを受けることになった。が、セラに言わせれば迷惑なことこの上ない。
「あぁー……しぬかと思った」
リーゼアと共に部屋に入り、ようやくドレスから解放されたセラは、下着一枚でベッドに倒れこんだ。
「姫様、はしたないですよ!」
「部屋でくらい好きにさせてくれ」
ドレスを着込んでいると暑い。肌に直接当たる冷えたシーツの感触が気持ちよく、リーゼアの小言は無視してセラは手足を伸ばした。
「しかしティルはさすがだな。食事前にリズにコルセットを緩めてもらわなかったら吐いてたよ」
「さすがではありません! 他にも歩き方や立ち居振る舞いなどちょこちょこ口を挟んでいましたが、何なんですかあの人は……女性の事情を知りすぎです! ふしだらです!」
「いや、そういうわけでは……あるかもしれないけど……まあ、色々事情のある奴だ。あまり悪し様に言うな」
ティルが女好きなのは事実であるものの、女性の事情に詳しいのには別の理由がある。しかし気軽に口にできる事情でもないので、セラはそうリーゼアを諭した。しかし、彼女は納得しない。
「姫様は少しあの人に甘すぎる――いえ、失礼しました。今はあの人も姫様の婚約者でしたね」
どうにもリーゼアには受け入れがたい事実で、忘れそうになるのだが――ティルはセラの臣下でも従者でもない。甘いからといって微笑ましくあっても、悪い事実もない。
「あ……うん。そう言えばそうだったな……」
「なんですかその、忘れてたみたいな言い方は?」
自分が忘れていたことは棚に上げ、リーゼアは思わず突っ込んでしまった。
「姫様、やはり結婚する気などないのでは? お兄様はともかく、どうしてあの人まで……」
「リズはティルが嫌いか?」
何気ない問いかけに――リーゼアは耳まで熱くなるのを感じていた。
「す、好きではありません!!」
「……そうか。悪いやつじゃないんだがな」
「姫様は好きなんですか?」
「うん……というか、さすがに嫌いなヤツを婚約者にするほど酔狂じゃないぞ」
即答したセラに、リーゼアは逆にうさん臭さを感じてしまう。
「でもそれ、友達としてとかそういう好きですよね」
「どうしてそう思う?」
即答するからだと答えて、果たしてセラは納得するかとリーゼアは考えあぐねた。しかし、セラの他意のない問いかけにすら動揺するようなこちらの気持ちなど、決してセラに知られてはいけない。
「……なら聞きますけど、姫様はあのふざけた男のどこが好きなんですか」
うーん、とセラは頬を掻いた。
「確かにあいつはいつもふざけてるけど、多分本気じゃない。いい人ぶらないけど、自分を捨てて人を気に掛けるような優しい奴だよ。だから放っとけないというか……もう少し心を開いてくれないかなと思う。……リズの問いの答えにはならないか」
リーゼアは我知らず唇を噛んでいた。ティルが絶対に隠したいであろう本質を、セラは簡単に看破している。それを知っているのは自分だけだという自惚れを砕かれた気分だった。
「……姫様は、わかってらっしゃるのですね。あの人のこと……」
「そうか? 何考えてるのか全然わかんないけどな」
セラは起き上がると、リーゼアを見た。目が合って、リーゼアは俯いた。真っすぐにセラと向き合うには、少しわだかまりがあるのだ。
「それにしても、リズが結婚を考えてるなんて知らなかった。すごいな」
「すごいって……普通のことですよ。年頃の女性には」
「そういうものか。私は女としてどこか欠けてるのかな」
「二人も婚約者がいるのに、ですか? 大体、お兄様のことはどう思っているんです」
ベッドの上に胡坐をかいて、セラは「何を今更」と口にした。
「勿論好きだよ。リズに言わせるとそれも違うのかもしれないけど……、ラスとはずっと一緒だったから、離れるのは考えられない。それに比べたら、ティルは一緒にいてもらう理由はないかもしれないな。でも……二人がいる第九部隊は私にとって居心地が良かったんだ。だから……」
「だから、今まで通りでいたいから二人を婚約者にしたと? 結婚する気もないのにですか?」
思わずリーゼアはそう口にしてしまっていた。
「……やはり、不誠実だろうか」
リーゼアの声に責めるような色が含まれているのに気が付き、セラが自嘲気味な笑みを見せる。
はっとしてリーゼアは再び目を逸らした。
「いえ、出過ぎたことを。お兄様とティルが納得しているのです。わたしが口を挟むべきことではありませんでした」
場に静寂が訪れる。長い時間馬車を支配していた気まずい沈黙と同じ空気。
それはきっと、リーゼアがいなければ起こることのなかった事態だ。自覚していて、リーゼアは軽く頭を下げた。
「……明日も早いです。お休みなさい、姫様」
「ここにいてくれ、リズ」
退室しようとするリーゼアを、しかしセラは引き止めた。
「自分が馬鹿なのはわかっているんだ。遠慮なく叱ってくれていい」
「叱るなど。わたしはそんなつもりでは……」
「リズのはっきり言ってくれるところ、私は好きだ」
「姫様……」
改めて、リーゼアはセラを見た。まだわだかまりなくその目を見ることはできないが、少なくともリーゼアはセラのことが嫌いではなかった。いっそ嫌いになれれば、ただの主従関係だと割り切れれば楽だったのかもしれない。
「姫様はわたしのことなんて必要としてないと思ってました」
「距離を置いてるのはリズの方じゃないか」
「そうかも……しれません」
何もわかっていないようで、セラは全てを見透かしている。
(ううん、見透かしているんじゃない……見ているんだ。この方は)
だから、セラの前で張る虚勢には意味がない。兄もティルも、そして自分も――セラのそういうところに惹かれるのだろう。