3.



「私もそっちがいい」
 リーゼアに伴われて現れたセラは、ライゼスとティルの装いを見るなり、ぼそりとそんな不満を零した。
 そう言うセラのいでたちはもちろん騎士服ではなく、王女としての正装――ランドエバーを象徴する色でもある、純白のドレスである。決して華美ではなく、どちらかといえば質素であると言えるが、着用しているセラはたいそう動きにくそうに、ぎこちない歩みで用意された馬車へと近づいた。
 父王であるアルフェスと瓜二つの彼女は、確かに騎士服の方が似合うのかもしれない。リーゼアなどは内心そう思うが、ティルはさきほどまでの複雑な表情はどこへやら、一転して満面の笑みへと変わっている。
「よく似合ってるよ、セラちゃん」
「そうか? 交換した方が互いに似合うと思うが」
 しかし、セラの一言でぴしりとティルが凍りつく。確かに、という言葉を飲み込んでリーゼアは溜め息をつくと、兄であるライゼスの方を振り仰いだ。彼はといえば、一連のやりとりなど聞こえていないかのように、不安そうな目でセラを見ている。
「立ち居振る舞いに気をつけて下さいよ、セラ。ああ、そんな大股で歩いては……」
 ライゼスの小言を無視し、ドレスをたくしあげてズカズカと馬車に乗り込んで行くセラの後に続きながら、リーゼアは妙な安堵をしていた。おおよそ、いつも通りである。
 一番大きな違いはと言えば。
(わたしがいること、ね)
 それもまた飲み込んで、リーゼアはセラの隣に腰を下ろした。
 それに向かい合う形で――実に嫌そうに――ライゼスとティルが隣り合って腰掛ける。
 ゴトリと、馬車が動き出した。

 旧ブレイズベルク領は、大陸の南方になる。中央よりやや北に位置する王都より南下し、自由都市レアノルトを越えて、さらに南だ。順調に旅路が進んでも2日かかる。しかし、1日目が終わる前に既にセラは限界を感じ始めていた。
「……つらい。しぬ」
「大丈夫ですか、姫様。馬車に酔われましたか?」
「そんなにヤワじゃない。ただドレスが苦しい」
 どんなに鍛えようと乗り物に酔う冒険者はいるだろうが、ドレスが苦しいと音を上げる姫君はいるのだろうか。それはヤワではないのだろうか。
 などという突っ込みを飲み込んで、ライゼスは溜息をついた。
「いや、ボーヤにはわかんないだろうけどさ。割と苦しいんだぜ、あれ」
「貴様に何がわかる!」
 ライゼスの言いたいことを的確に察したらしいティルが思わずボソッと漏らす。生い立ち上、ティルはセラよりドレスで過ごした期間が長かったりするのだが、それを知らないリーゼアが正面から牙を向く。
 ――ライゼスにとって非常に不本意なことではあったが。見過ごすこともできずに、ライゼスは声を上げた。
「あの、リズ。一応この人王族なので……」
「す――すみません。非礼を詫びます」
 ライゼス以上に不本意そうな表情をしながらも、リーゼアは自分の失態を詫びた。
 ティルはもともとリルドシアの王族ではあるが、長期間それを隠した上でランドエバー騎士団第九部隊に所属していた。その頃から面識があるリーゼアとしては、急に彼が王族だと言われてもすぐに切り替えられないのだろう。
「別にいいよ。人目があるわけでもなし」
「……人目がないなら服を変えたいんだが。正装するのは到着してからでよくないか?」
 ここぞとばかりに便乗してくるセラと、未だ憮然とする妹の二人を、ライゼスは厳しい表情で見た。
「そういう問題ではありません。日ごろから自分の行いを正しておかないと、公に出たとき素が出ます。セラ、貴方はその場だけ正装してドレスを踏まずに歩けるんですか?」
「今から着てたって無理だ」
 即答されて、ライゼスはたっぷり5秒は溜息を吐き続けた。そしてしばらくうなだれてから、顔を上げる。
「引き返しましょう。妃殿下には申し訳ないですが、行っても事態を悪くするだけでしょう」
「まあまあ、ボーヤ。それをフォローしてどうにか上手くやるのがお前の仕事でしょー」
「僕だけに全部押し付けないでくれますか!?」
「俺が介入すると怒るくせに……」
 ティルが目を背けて肩を竦める。
「悪いが二人とも喧嘩はよそでやってくれるか? 今気分が悪いんだ。ギャーギャーやられては堪らない」
「……」
「……」
 元凶である人物に不快そうに言われて、ライゼスとティルは色々釈然としないものを感じながらも口を噤んだ。
 どのみち、今から引き返すことなどできないのはライゼスにもわかっている。王都に戻り、王に事情を話して欠席の書状を送っても間に合わない。予告もなく欠席するのは先方にとって失礼であるし、ミルディンは自分を責めるだろう。それはこの場の誰にとっても避けたい事項ではあった。
「……とりあえずコルセット緩めたら少しマシなんじゃないの」
 ティルにとっては最大限のフォローのつもりだったのだが、リーゼアは狭い馬車の中で立ち上がると、真っ赤になって剣の束に手をかけた。
「なぜ貴様が下着のことを熟知している! やはり変態か!!」
「し、失言でした。お許し下さい」
 この場で抜かれては困るので、ティルは両手を挙げて降参のポーズを取った。それで許せるような気はリーゼアには起こらなかったが、兄に睨まれたので仕方なく元の位置に座る。ライゼスは頭を抱えた。これでは立場が逆である。
「そーいえばリズちゃん、結婚して親衛やめるって言ってなかったっけ? まだいると思わなかったからちょっとびっくりしたんだけど」
 リーゼアに斬りかかられるのもライゼスの小言を聞くのもご免被りたいティルが、話を変える。他愛無い雑談に過ぎなかったのだが、リーゼアはギクリとした顔をした。
「? リズ、そんな話私は聞いていないぞ」
「い、いえ。いずれはという話です。私は家督を継がねばなりませんので」
 本来ならば長男であるライゼスが継ぐべきものだが、ライゼスがセラの婚約者となった今、レゼクトラ家を継ぐのはリーゼアしかいない。しかし、リーゼアはもっと前からそうするつもりだった。それにはちょっとした事情があったのだが、セラや兄には触れられたくないものだ。
「そ、それよりもですね。私の態度が悪いと言うなら、貴方もその呼び方、改めてくれますか?」
「悪かった。リーゼア」
 あっさりとティルが従う。ティルは日ごろどれほどふざけていようが、王の前など控えるべき場面では作法も言葉遣いも完璧なのだ。それを思い出し、リーゼアは悔しさに唇を噛んだ。大人しく引き下がるしかなかった。
 リーゼアの心情など知る由もなく、セラはリーゼアの言に便乗する。
「ついでに、いい加減私のことも普通に呼べよ」
「わかった。セラちゃん」
「……」
 大真面目な顔でティルが答える。承諾しておきながら一切変わりない呼称に、セラは半眼になった。しかし、そのことについて文句を言う余裕が今のセラにはない。
 それから中継地点のレアノルトに着くまで、馬車の中は静寂に包まれたのだった。  ライゼスはただ、この旅の平穏をひたすらに祈った。