『Thank you for the relief.』
(ホワイトデー特別編)

(2011年3月掲載)



 俺が、なけなしの装備・チョコレートをエドワードにあげてしまってから、ほぼ一カ月。時計はナゼか動かなくなってしまったので正確な日本時間は分からないけど、そろそろホワイトデーな感じじゃなかろうか。もちろん、バレンタインデーにあまり縁のない俺は、ホワイトデーにも無縁である。義理チョコのお返しをするほど律儀な人間ではないので。
 ……まー、俺の意志とは関係なく、先輩には押し付けられたチロルチョコの礼として無理やりおごらされたりはしてたけど。そんな思い出も既に懐かしい……と、遠い目で俺は窓から異世界の空を眺めた。けどそうやって一人たそがれてても、声をかけてくれる人はいない。などと回りくどい言い方をしてしまったが、要するにエドワードが珍しくいない。この世界で俺に声をかけてくれる人なんて彼女くらいのものだから。
 過保護なエドワードは大抵いつも一緒にいてくれるのだが、今日は珍しく朝から部屋を空けていた。それは別にいいんだけど、手持無沙汰なのはどうしようもなく、やることがないとつい元いた世界のことを思い出してしまう。なんだか少し寂しい気分になっていると、扉の音がしてほっとした。強がってみても、結局一人だと寂しいあたり情けない。
「咲良。一人にして済まない」
 息を切らせて戻ってきたエドワードが開口一番そんなことを言い、俺はなんだかますます情けなくなった。それじゃ俺が一人は寂しいってい言ってるみたいじゃないか。でも実際ちょっと寂しくなってたあたりがどうしようもなく、そんな彼女の声を聞くと落ち着くあたりが、もっとさらにどうしようもなかったりする。
 恥ずかしさを押し殺して振り向くと、彼女はトレイを手にしていた。昼飯には、少し早い気がするんだけど。俺の不思議そうな視線を受けて、エドワードがふわりと微笑んだ。
「こないだ、チョコ……? とやらを貰っただろう。お礼に何かとずっと考えていた」
 おお……これはまさかのホワイトデー? やっぱり男女逆じゃないかって突っ込みはおいといて、素直に嬉しくて身を乗り出す。いやでも、板チョコ半分に礼なんて貰っていいんだろうかと少し申し訳なくもなる。
「あ、ありがとう! 嬉しいけど……礼を貰うほどのものじゃないよ」
「いや、それだけではなく。普段から世話になっているだろう? その礼も兼ねてだ」
 エドワードの裏のない笑顔がなければ、何の嫌味かと思うところだ。世話になってるのはどう考えても俺の方で、俺は彼女のヒモ同然に生活しているのである。そんな俺が一体彼女に何を世話したというのだろうか。ひとしきり考えてみても、答が出るわけもなく。
「……どう考えても、俺なんにもしてないよ?」
「そんなことはない。いるだけで癒される」
 俺は愛玩動物か。
 思わず頭を抱えて座り込むと、目の前にカタリとトレイが置かれる。そこに乗っていたのは、クッキーみたいな感じの焼き菓子だった。まさか、とは思うけど。
「もしかして、エドワードが作った……とか?」
「そうだが……変か? 食えぬ程不味くはないと思うが……」
 俺は余程意外そうな顔をしていたらしく、エドワードがそんなことを言う。それで、俺は慌てて首を振った。意外そうにしては失礼だ。失礼だけど、でも、エドワードが料理してるとこなんて、正直全然想像できない。戦場で勇猛果敢に剣を振り回してるとこなら、簡単に想像できるんだけどな。
「いや、変じゃないけど……、料理とかしてるイメージあんまなくて」
「そうだな。得手ではないし、やらせても貰えなかった。だがたまに、父上に隠れてライに作ってやっていたんだ」
 あいつ、昔からシスコンだったんだろうなあ。なんか喜ぶ姿が目に浮かぶ気がする。
「でもそれって、なんか姉ってよりお母さんみたいだな」
「そうか。母は早くに逝ってしまったから、良く知らないが」
「あ……そうだったんだ。ごめん」
 余計なことを言ってしまった。気まずくなって目を逸らすが、エドワードは穏やかな声のまま、いい、と言ってくれた。そんな話を聞くと、ライオネルが極度のシスコンである理由もわかる気がする。きっとあいつにとってエドワードは、姉というだけでなく、母でもあるんだろう。
「咲良の母上は、こんな風に菓子を作ってくれるのか?」
「んー、うん、まあ。たまに失敗するけど」
「そうか」
 エドワードの声はなんだか寂しげで、少し慌ててしまう。
「えっと……いつか俺んち来るといいよ。母さん客が来ると喜ぶしさ。エドワードだったら大歓迎だと思うよ。その、綺麗だし」
 かっこいいっていうのは女性に言うことじゃない気がしたのでそう言うと、エドワードが少し驚いたように俺を見た。
 ……ので、冷静に自分が言ったことを振り返ってみたら、なんか凄いことを言ってしまった気がした。これじゃまるで口説いてるみたいじゃないか。慌てて俺は別の言葉を引っ張り出そうと必死になる。
「いや、あの、っていうか、その。えっと……うん。食べてもいい?」
「勿論だ」
 結局なにも浮かんではこなくて、俺は取り繕えないまま、強引に話を終わらせた。そんな俺に、エドワードはくすくす笑いながら返事をする。照れを隠すように勢い良く菓子にかじりつくと、素朴で温かい味が口の中に広がった。
「……旨いよ」
「そうか。良かった」
 優しく微笑むエドワードの顔が、何故か恥ずかしくて直視できない。
「私も、いつか行ってみたい。咲良がいた世界へ」
 微笑みながら、エドワードが俺の髪を撫でる。……なんか相変わらずの年下扱いには不満がなくもないけれど、彼女にそうされるのは嫌じゃない。そう自覚したら、俺も笑みが零れた。
 ……帰れるなら、帰りたいけど。
 その前に、彼女に少しでもなにかしてあげられるような男になりたい。そんなことを思いながら、俺は残りの菓子を頬張るのだった。