エドワードの部屋は、基本的に人が訪れることはあまりない。来たとしても弟さんくらいで、軍に関することだとか、戦況だとかを伝えたり相談にくる程度だ。……たまに、俺を襲ってくることもあるけれど。
 それ以外に他の兵士が来ることは今のところなかったので、ノックの後に彼ではない声で彼ではない名を名乗り上げるのを聞いて、けど驚いたのは俺だけではなかったようだ。いや、ライオネルはノックなんかしないから、その時点で違うことはわかるのだけど。それを聞いたエドワードも、少し怪訝な顔をしていた。
「何だ」
「ライオネル様が――、その」
 来訪した兵士の口からライオネルの名前が出て、またエドワードの表情が変わった。口を開きかけて、だけど俺にちらりと視線を投げてからそれをやめると、エドワードは席を立って扉の方へと歩いて行った。多分、入れといいかけて、俺に配慮してやめたんだろう。
 やや気まずくて小さくなりながら、部屋の扉を開けるエドワードの背を見守る。……弟さんに何かあったんだろうか。エドワードもきっと同様のことを思ったんだろう、少し心配そうだった。俺は弟さんと仲がいいわけじゃない――っていうかむしろすごい悪いから、彼が心配というよりは、そんなエドワードのことが心配になった。ライオネルには悪いけど。
「ライがどうかしたのか」
 扉を開けて問うエドワードの向こうで、兵士が敬礼の後で答えたのは。
「――お倒れになりました」

 などと言うから、さすがにエドワードじゃなく俺までも焦ったのだが。
「ただの風邪って。ほんとに貧弱だな、お前」
「う、煩い……!」
 俺の揶揄に、反論する声は弱々しい。
 本当のところ、俺もこないだ熱出したばかりだから人のことは言えないのだが。この弟さんにはいつも手を焼かされているから、ここぞとばかりに仕返ししておく。さすがに酷い病気だったらやめておくけど、言い返してくる元気はあるようだからこれくらい良いだろう。エドワードも心配そうな顔はそのままだが、さっきよりはどこかほっとしたような感がある。
「疲れが出たんだろう。後のことは私がやるから、ゆっくり休め」
「だが……」
「元々私がするべきことだ。気に病むことはないさ」
 ぜいぜいと息を切らせる弟さんから彼女の方に目を向けると、彼と話をしていたエドワードも丁度同じようなタイミングでこちらを向いた。
「済まない、咲良。ライが動けない以上、私が軍を統率せねばならん。今までのように君の傍にいてやれない」
「え? ああ……大丈夫だよ、俺は」
 そんな風に言われると情けない。だが実際、敵だらけのこの砦で一人になるのは少し怖いと思っているので、そんな風に言われなくても情けないには変わりないけれど。でもなけなしのプライドでそんな不安を隠して答えると、エドワードは少し微笑んで俺の髪を撫でた。
「なるべく早く戻る」
 しかしいくらなんでも、これじゃ初めてお留守番する子供じゃないか。恥ずかしさに何も言えないでいると、突き刺さるような視線を感じた。
「姉さんに……触るな……!」
 うん、熱で視覚までやられてるんだろうか。どう見ても触られているのであって、俺は一切触っていないんだが。それとも、俺の髪が彼女の手を触っていると不満でも言いたいのだろうか。その捉え方は一般的ではないと思うが。
 納得行かない目で叫ぶライオネルを見ていると、名残惜しそうに頭から手が離れ、では、とエドワードは声を上げた。
「行ってくる。私がいない間ライを診てやってくれ、咲良」
 しかしとんでもない要求が来て、俺とライオネルの悲鳴が重なった。
『はあ!?』
 綺麗に声がハモった後に、互いに険しい顔を見合わせた後、同時にエドワードへと向き直る。
「ま、待ってくれ姉さん。なんで僕がこいつに――」
 俺が言葉にならない不満に口をぱくぱくさせている間にライオネルがそう叫び、それに便乗してぶんぶんと首を縦に振る。だがエドワードはきょとんとしてこちらを見ただけだった。
「なんだ、私じゃないと駄目か? 寂しいのか? ライ」
「いっ、いやっ、そうじゃない!!」
「そうか。てっきりお前も添い寝して欲しいのかと思ったぞ」
「そんな訳――」
 不服そうな割に顔が真っ赤なのは、熱のせいでなければこいつのシスコン度は相当危険レベルだ。だがそんなことを冷静に考えている場合ではないことに、エドワードの言葉の一部分だけを反芻したライオネルの声で思い知る。
「――『も』?」
「わあああ! わかった! 後は任せろ! 行ってらっしゃい!!」
 ライオネルにいらない詮索をされる前に、俺は咄嗟に叫んでいた。あんなことバレたら、今度こそライオネルに殺される。エドワードはそんな俺の声に押されるように踵を返したが、その瞬間、本当に一瞬だけど――彼女がくすっと笑ったのを俺は見逃さなかった。……わざとだな。
 ばたんと部屋の扉が閉まり、俺は修羅場の空気なまま、ライオネルと二人残される。
「……貴様、まさか姉さんにいかがわしいことを」
「し・て・な・い! んなこと考えるお前がいかがわしいわ!!」
「ふざけたことを、毎日姉さんの部屋に入り浸っておいて――」
 だが激しい咳が、彼の言葉を遮る。
「言わんこっちゃない。大人しく寝とけよ」
「貴様の世話にはならん!」
「俺だってやだよ。でもエドワードに頼まれたし……」
 それに、成り行きとはいえ「任せろ」と答えてしまった以上、放り出してエドワードの部屋に戻っているわけにもいかないだろう。それじゃ嘘をついたことになってしまうし、気まずい。とはいえ、子供でもあるまいし、似たような歳の男の看病なんて積極的にする気になれない。とにかく腰をおろそうと椅子を探して周囲を見回すと、手をつけてない食事が目に入った。
「お前、飯食ってないの?」
「いらん」
「食わなきゃ治らないぞ。あ、薬もあるじゃないか」
「受け付けん」
「子供みたいなこと言うなよ。それとも愛しの姉さんに食わせて貰わなきゃ無理か?」
「――貴様、ふざけたことを!」
 だから何故そこで赤くなるんだ、危ない奴だな。だが俺の挑発は功を奏したようで、ライオネルは起き上がると食事に一瞥をくれた。……こんな面倒な奴の看病なんて、エドワードの頼みじゃなきゃさすがに気のいい俺でもお断りだ。
 開始三分程度で疲れてしまって、俺は長いため息を吐いた。
「エドワード、いつ戻ってくるんだろ」
「……訓練と軍議、それから雑務も色々ある。最近は僕だけで追い付かないこともあったからな……戻ってこれればいいが」
 俺の独り言に、ライオネルは意外にも答を返し、それから食事に手を伸ばした。そして、かなりのスローペースではあるが、少しずつ口に運び始める。
「倒れている場合じゃない。姉さんに負担をかけては、僕がいる意味がない」
 まるで自分に言い聞かせるように、ライオネルがぽつりと呟く。それからだいぶ時間はかかったが、驚いたことに彼は食事を全て食べきると、大人しく薬も飲んだ。よほど姉が心配なんだろう。
「訓練とか……、軍のことをエドワードがやるのって、なんか想像できないな……」
 この分では俺がすることはとくになさそうだ。
 言ってるそばから訓練でも始まったのか、外から声が聞こえてくる。それを聞いているだけの俺にとっては、ただの気だるい昼下がりだけれども――この指揮を執っているのはエドワードなのだろうかと思うと、どうしてか落ち着かなかった。
「……この軍の指揮官はエドワードだ。前は姉さんが全てやっていた」
「うん、知ってるし、エドワードが強いのだって見てればわかるよ。それでも……何か、似合わないというか……」
 不思議そうなライオネルに、そんな風に返す。
 似合わないっていうのもおかしな話で、彼女がヴァルグランドの英雄って聞いたときは、何の違和感もなかった。女の子っていうことを知らなかったからかもしれないけれど、凛とした表情も風貌も、そう呼ばれるに相応しいと思っていたのに。
 なんでそう思うのか自分でも分からないから、ライオネルが怪訝な顔をするのも無理はないと思う。
「信じられないなら、見てくればいい」
「――いや、いい。……なんか、見たくない。やっぱり、似合わないと思う」
 花を持って微笑んでいたエドワードが頭に過ぎった。あの笑顔なら、見ていたいと思うんだけど。
「……なら、黙れ。僕は寝る。早く復帰しなければ」
 言うなり、ライオネルが毛布を被って目を閉じる。
「だが、そうしたら姉さんがお前のところに帰るっていうのが、釈然とせんが」
 刺々しい声を残して寝息が聞こえ、俺は苦笑した。
 ほんと、とんでもないシスコンだと思っていたけど。今は、なんとなくライオネルのその気持ちがわかる気がした。



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