「……何の真似だ?」
 刺々しい声を頭上に聞きながら、俺は床に頭をこすりつけんばかりに土下座をしていた。
「だから、お前を見込んで頼みがあるんだ、ライオネル」
 顔を上げると、険しい表情が俺を見下ろしていた。けどその険しさには、戸惑いも少し混じっている。
 まあ戸惑うのも無理はないだろう。俺も異世界で土下座が通用するとは思っていない。それでも、いけすかない相手に思わず土下座でお願いしちゃうくらい、俺は切羽詰まっていたのであった。
 何故、と問われれば、それは――
「ライ! 咲良を見なかった――」
 戸惑うライオネルに事情を説明しようとした矢先、突然部屋の扉が開く。ノックもせずに飛び込んできたのは、まさに今俺を切羽詰まらせている当人だった。そちらを向いた俺と目があうや否や、彼女は言葉半ばで口を閉ざす。そして、多分俺を探していたんだろうにも関わらず、唐突に回れ右をして退室していった。
 扉の閉まる音に隠れてため息を吐きだした俺を見て、ライオネルがさっきより幾分納得いったように俺を見る。
「頼みとは、姉さんの機嫌を直せとかそういうことか?」
 見透かされた問いに、俺は首を縦にふりまくった。
「もう何日も口をきいてくれないんだよ。いい加減きまずい」
「そんなもの自分で謝れよ。僕が姉さんをどうこうできるわけないだろ」
「謝って済むなら俺だってお前を頼らないよ! お前にどうこうできないもの、俺はもっとどうしようもないじゃんか!」
 そっけなく踵を返そうとするライオネルの襟首をつかみ、俺は力任せにがくがくと揺すった。
「や、やめろ! 僕は機嫌の悪い姉さんに近づきたくない!!」
 悲鳴のように叫ぶライオネルの声を聞き、俺は彼を揺する手を止めた。その顔色が青ざめているのは、多分激しく揺さぶられたからというわけではないだろう――、彼の言は俺にも理解できることであり、俺だって逆の立場だったら絶対関わりたくない。
「謝ったのに機嫌が直らないなら、誠意が足りないんだろう」
 襟元を直しながら、ライオネルにも見放され、俺はいよいよ追い詰められた。
 まだこれが俺がいた世界で、姉ちゃんとか先輩なら、ケーキでも買って頭を下げればなんとかならなくもないのだが……、物で釣るなとか言うなかれ、俺なりの誠意だ。だが、この砦にケーキ屋さんとかはきっとないだろうなぁ。そもそも、エドワードに何をあげれば喜ぶのかなんて見当もつかない。
「……なあ、ライオネル。エドワードって、何が好きかな」
「もしかして物で釣ろうとか考えてるのか?」
 うう、いちいち痛い突っ込みをしてくる奴だ。気まずくて俺は目を逸らした。まあ、それを聞けたところで、俺にあげられるものなんてないんだけどさ……。諦めて、許してもらえるまで謝るしかないな。そう思いなおしてライオネルに目を戻すと、彼もまた違うところを見ていた。
「ライオネル?」
「……花」
 どこか遠くを見るような彼の目がなんだか寂しげに見えて、名前を呼ぶ。すると彼は俺を見てそう呟いた後、今度は下に視線を落とした。
「え?」
「花が好きだったよ。……白い花。裏の森でも探せば咲いてるんじゃないか」
 こちらを見ないまま呟いた彼は、俺の問いに答えてくれたんだということにやっと気付く。
 花、か。それなら、確かに探せばなんとかなりそうだ。とても良いことを教えて貰って、俺は目を輝かせつつライオネルの両手を掴ってぶんぶん振った。
「!?」
「サンキュー、ライオネル!」
 驚いたように目を白黒させるライオネルに感謝の言葉を述べ、俺は彼の部屋を飛び出した。

■ □ ■

 その後俺はその足で森に入って、花を探していた。だがすぐに見つかると思ったのはさすがに楽観しすぎていたらしく、木と草ばかりで花らしきものは見当たらない。それもそのはずだろう――外は寒い。花なんか咲くような気候じゃない気がする。
 あまり部屋を空けたら、エドワードはきっとまた心配するだろう。ここ数日、口は聞いてくれないけど、それでもエドワードは俺の傍にいてくれるし、さっきだって俺を探してくれていたんだと思う。彼女は少し過保護すぎると思うけど、でも心配はかけたくない。
 急ぎ足で俺は草の間や木の根元にも目を凝らす。……それにしても。
「花、かぁ……」
 なんだか意外だった。
 姉ちゃんや先輩とかでさえ、花より団子な人達だった。花なんて贈ったって、「こんな食べられないもの貰っても」って言われるのが関の山だと思う。けどあのエドワードが花が好きだなんて。
 いや、似合わないっていうわけじゃないけど。
 彼女を知る度に、不思議に思う。俺を可愛がってくれたり、恋愛小説に興味があったり、花が好きだったり。知れば知る程、彼女は英雄って呼ばれるような人物には見えなくなってくる。勿論、彼女が強いのは知っているんだけど――
「……あ」
 ふと木々の切れ目が見えて、俺はそんな声を漏らした。少し遠くに川のせせらぎが聞こえる。そこまで歩いていくと崖があって、覗きこむと下は川だった。だけど俺の興味を引いたのは崖でも川でもなく。
 その崖の途中に咲く、白い花だった。
「あった!」
 ようやく探しものを見つけて、盛大に独り言を叫ぶ。
 だが見つけたはいいものの、手を伸ばしても届きそうにない。けど、目も眩むような高さというわけじゃないし、下は川だ。見た感じ、流れもそう急じゃない。足場もありそうだし、フレンシアの砦を抜け出したことを思えば、あれと大差ない難易度だ。
 よし、と気合を入れ直して、慎重に崖を下る。そして、目的の花に手を伸ばしたその瞬間だった――蹄の音が聞こえてきたのは。
 もしかして、と思う間もなく、聞き慣れた声が俺の名前を呼ぶ。
「――エドワード?」
 咄嗟に答えると、蹄の音は止んで。それからすぐに、崖の上から顔を出したエドワードが、群青の瞳で俺を見下ろす。そして、
「何をしているんだ!」
「ごッ、ごめんなさい!!」
 くわっと凄い形相で睨まれて怒鳴りつけられたので、俺は反射的に頭を抱えて謝った。途端、ぐらりと体が大きく傾ぐ。馬鹿、と叫ぶエドワードの声を遠くで聞きながら、俺は谷底の川に吸い込まれたのであった。

「咲良!!」

 一瞬気が遠くなりかけたけど、激しい衝撃と水しぶき、そして名を呼ぶ声に目を開ける。
 起き上がろうとしたらあちこちに鈍い痛みが走ったけど、それでも腕も足もちゃんと動いた。川はそれほどの深さもなく流れも穏やかで、俺は川の中に座ったまま、あっという間に崖をおりてこちらに駆けよってくるエドワードに目を向けた。
「咲良、怪我は!?」
 濡れるのも構わず俺の傍に膝をついて、エドワードが勢い込んで尋ねてくる。そんな彼女を見て、大丈夫、と答える前に何故か笑ってしまった。だけど怪訝そうな目を向けられて、慌ててそれを引っ込める。心配してくれたのが嬉かったなんて、恥ずかしくてとても言えない。
「ごめん。大丈夫だよ」
「本当に?」
 疑わしげな顔で聞いてくる彼女に、俺は自分の手に視線を落とした。自分の体より先に咄嗟に庇っていた白い花は、どうにか無事だった。いやこれ一本だったわけじゃなく、崖にはまだ他にも咲いているわけで、ちゃんと自分の体を守っていれば打ち身も減ったかもしれないんだけど。でも無意識にそうしてしまったんだ。
 だけど、また心配かけてしまって、こんなところまで探しに来させてしまって、花一本だなんて、余計に墓穴を掘った気がする。
 心配そうな彼女にそれを差し出しながらも、情けないやら恥ずかしいやらでとても目は合わせられなかった。
「ええと、その……ごめん。怒らせたり、心配かけたりばっかりで」
 目を逸らしているので、彼女がどんな顔をしているのかはわからない。だけどなかなか返ってこない返事に恐る恐る顔を上げると、彼女はぽかんとした顔で花を見つめていた。
「……エドワード?」
 呼ぶと、彼女はそこで初めて気がついたかのように俺に問いかけてきた。
「私、に?」
 それに頷くのは、俺にとってはあまりにも当然のことだったんだけど。エドワードは驚いたように目を見開き、何度も双眸を瞬かせる。
「……出ていったのでは、ないのか」
「え? あ……」
 ふと彼女が漏らした言葉に、彼女が心配してたのは俺の安否だけではないことを知ることになった。
 もしかしたら、いつも俺を一人にしないのも、少しの用でも、慌てて帰ってくるのも――
「私に愛想を尽かして出て行ったのか、それとも元いたところに戻ってしまったのかと思った」
「な、なんで――」
 とても彼女を直視できなくなって、その長い髪が川の流れに攫われて揺れているのをぼんやり眺めながら、だけど聞こえてきた言葉はおかしなもので。
 愛想を尽かされたのは俺の方だと思っていたのに。
「俺、怒らせてばっかりなのに」
 うまく言葉にならなくて、だけどそう呻くと、ふと花を持つ手に体温を感じた。
「……私は、怒ったり笑ったり、そんなことずっと忘れていたんだ。黒太子と呼ばれるようになってから、ずっと」
 そっと俺の手から花を取り、そして、エドワードは顔を上げて笑った。
 ――その笑顔があんまり眩しくて、あんまり白い花が似合うから。
 思わず目を細めてしまった。
 彼女はいつも黒い軍服を着ていて、凛々しい風貌にそれがとてもよく似合っているんだけれど。こんな風に笑っているのを見ると、黒い軍服より白いドレスの方が似合うんじゃないかって、思う。
 黒太子と呼ばれる、戦場で剣を振るう彼女を、俺は見たことがない。
 だから、俺は彼女が英雄に見えないなんて思うんだけど。だけど、普通に笑って怒って、普通の女の子のように見える彼女の一面は、もしかしたら俺しか見てない一面なのかもしれない。
「……もう、黙っていなくならないでくれ。怒ったりしないから」
 そんなことを思った瞬間、聞こえてきた声に顔が熱くなった。
 大事そうに花を抱きながら、呟いた声は力無くて、笑った顔はなんだか儚くて。……守ってあげたいと、思ってしまうくらい。そんな自分の思いに戸惑いながらも、俺はほぼ反射的に叫んでた。
「い、いいよ。俺、無神経だし、嫌なときは怒ってくれないとわかんないから! ……だけど、俺他に行くところないから、その……」
 けど、何か気恥かしくて、言葉は尻すぼみになる。言いたかった言葉は、結局川の音に消されそうなくらい小さくなった。
「……帰ってもいい?」
 だけどちゃんとそれは届いたようで、泣き笑いのような顔をしたエドワードが、立ちあがって俺に手を差し伸べてくる。
 ……本当は、それは俺がやらなくちゃいけなかったことであり。守りたいなんて、彼女に言わせれば百年早いのかもしれないと苦笑しつつ、俺はその手を取って、だけどなるべく頼らないように立ち上がった。

 ちなみにその帰り道、エドワードが跨る馬の後ろで振り落とされないよう必死で彼女にしがみつく羽目になった俺は、やっぱり百年以上早かったと痛感していたのであった。 



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