31.泡沫の逢瀬



 道場を後にした俺達は、ただ黙って家への道を辿った。
 爺ちゃんと何を話したのかエドワードは聞かなかったし、俺も自分から話すことはなかったので、結局家につくまで沈黙が破られることはなかった。重い空気をまといながら帰ってきた俺とエドワードを、シホウが首を傾げて出迎える。なんとなく、その頭をわしゃわしゃと撫でていると、いつもなら目を細めるシホウが、何か言いたげに俺を見上げた。それから、立ち上がって、くるりと車庫の方に足を向ける。目の前で左右に揺れるシッポから頭の方に視線を移すと、その先には俺のチャリが止めてあった。
「……そうだな」
 呟くと、シホウは俺の方に向き直ってお座りをする。俺はその横を通り過ぎ、自転車のスタンドを外してエドワードのところまで転がしていく。
「これは?」
「そっちの世界で言う、馬的なもの」
 かなり適当に答えて、俺は自転車に跨った。そして、自転車をためつすがめつしているエドワードを荷台に誘う。
「ここ、乗ってよ」
「あ、ああ……」
 俺の勢いに負けて、戸惑いながらもエドワードは荷台をまたごうとし――スカートをはいていることに気付いた為か、途中でやめて荷台に腰掛けた。それを確認して、ペダルを踏む。
「わぁ……!」
 加速する自転車の上で、エドワードが歓声を上げる。突然動き出したら驚くかなと思ったけど、スピードが乗ってもエドワードには驚くでも怖がるそぶりもなかった。まぁ平気な顔して馬を飛ばしていたし、当然か。
 ……馬と言えば、俺がエドワードに馬に乗せてもらったときは、怖くて必死にしがみついていたっけ。
「ふふ、咲良を馬に乗せたときを思い出すな。震えながら必死に私の背を掴んでいて、可愛かった」
「だ、だってあのときは……女の子だって知らなかったし、馬にも乗ったことなかったし……!」
 どうやらエドワードも同じことを考えていたようだった。でも俺にとってはあまり思い出して欲しい記憶ではない。ぼそぼそと言い訳していると、不意に腹のあたりをぎゅっと何かが掴んだ。
「こんな風に」
「――――ッ!?」
 耳元で囁かれる声、首にかかる吐息、背中に当たる柔らかな感触のトリプルコンボに、あえなく思考壊滅に追い込まれた俺は、自転車のハンドルを盛大に斬り損ねた。
「咲良!?」
 派手な音を立ててチャリが倒れる。それはもう見事なコケっぷりだった。バランスを崩した時点で飛び降りていたらしい無傷のエドワードが、下じきになっている俺を助け出すべく自転車を起こす。
「咲良、大丈夫か!?」
 心配そうに問いかけられるが、恥ずかしくて声も出ない。それでも必死に頷きながら、俺はどうにか起き上がった。派手にこけた割には、小さな擦り傷だけで済んだみたいだ。
「ごめん……、エドワードは大丈夫?」
 やっとそれだけ絞りだすと、エドワードは俯いた。その肩が震え出して、一瞬泣いているのかと思って心臓がびくりと跳ねる。でも、よくよく見れば、それは勘違いで。
「……ぶっ、あはは、あははははは!!」
 こらえきれなくなったように、エドワードが大声で笑い出す。そんな風に大爆笑するエドワードはあまり見たことがなくて、俺はぽかんと彼女を見つめた。
「ほ、本当に、君という人は……、き、期待を裏切らない可愛さだな……!」
「う……」
 エドワードが叫んだ理由があまりにあんまりで、顔が引きつる。恥ずかしさで死にそうになりながらも、でも笑うエドワードにほっとしながら俺は自転車を起こした。
「いいよ、もう」
「怒るな。怒っても可愛いだけだぞ」
「言ってろよ」
「……もう言わないから、もう一度乗せてくれないか?」
 振り返ると、エドワードはもう笑っていなかった。黙って自転車に跨ると、エドワードがまた荷台に座る。
「つかまってもいい?」
「――ッ、ど、どうぞ!」
 笑いを含んだ問いかけに、半ば自棄になりながら、がむしゃらにペダルをこぐ。遠慮がちにエドワードが肩をつかんで、俺は必死に早くなる鼓動を鎮めながら慎重にハンドルを操った。
「どこ、行きたい?」
「そうだな。……花が、見たいかな」
「なら公園かな」
「うん」
「コンビニ寄って、何か買って行こう。もう昼だし、ついでに公園で何か食べよう」
「うん」
「その後は……ゲーセンでも行かない?」
「げーせん?」
「ゲーセン行ってプリクラとか撮ろうよ」
「……ぷりくら?」
「つまりだ……ええと」
 耳元で不思議そうに知らない言葉を反芻するエドワードに、俺はそれには答えず違う言葉を絞り出す。
「お、俺と……その、デートして下さい」
 デートって言ってもわかんないかもしれないけど。でもエドワードはそれを反芻することはなく、肩の手をおろす。
「……私でよければ、喜んで」
 ぎゅっと後ろから抱きつかれても、今度はなんとかハンドル操作に集中し、俺は自転車を走らせた。

 それからしばらく彼女を乗せて町内を適当に走った後、コンビニで昼食を買って公園へ行き、公園の花を見て喜ぶエドワードを眺めながらそれを食べ、その後はゲーセンに寄ってゲームをしたり、プリクラ撮ってみたり、俺達は何気ない一日を過ごした。