21.律華VSエドワード



 ――なんでこんなことになってるんだろう。
 突如始まった先輩とエドワードの一騎打ちに、道場で稽古をしていた門下生達が何ごとかと打ち合いをやめる。なんだか大事になってきて、俺は狼狽しつつも中央の方へ歩いていく先輩の肩を掴んだ。
「やっぱやめませんか先輩。なんなら俺が相手になりますから」
「駄目、咲ちゃん弱いもん」
 俺の手を払いのけながら、先輩がきっつい一言を叩きこんでくる。言い返したくても事実だからどうしようもなく、俺は先輩の説得を諦めると、今度はエドワードの方を振り返った。
「あのさ、エドワード――」
「何か?」
 しかし鋭い瞳でじろっと見られれば、反射的に「なんでもありません」と言うしかなかった。こちらも一撃だった……なんて弱いんだ、俺……。
 もはや成す術のない俺を蚊帳の外に、先輩がエドワードに竹刀を渡し、エドワードがそれを受け取りためつすがめつする。
「防具の付け方、わかる?」
「要らぬ」
 問いかける先輩に、やはり一言で応えると、エドワードはひゅっと竹刀を振って不敵に微笑んだ。
 そんな彼女を見ていると、初めて会った日の夜を思い出す。
 彼女が剣を抜いて口上を述べるだけで、敵は戦意を失い、味方の士気はどこまでも上がる。俺を助けてくれたときも、エドワードは名乗りを上げただけだった。それで敵は逃げていったのだ。
 エドワードは、ヴァルグランドでは『黒太子ブラックプリンス』と呼ばれ、その名を知らぬ者はいない英雄だった。俺は、どちらかといえばそうじゃない面ばかり見てきたから忘れそうになるけど、彼女のこういう顔を見ると嫌が応にも思い出す。
 でもそれを知る由もない先輩は、エドワードの挑発をまともに受けてしまって、面の奥で顔をゆがませる。
 ……二人ともおかしい。どちらも事を荒立てるタイプではないのに、どうしてこんなに険悪なんだ。
 なんとかやめさせたいのはどうやら俺だけのようで、その上悪いことには師範が席を外していて、周囲までが悪ノリを始めた。俺の制止などどこ吹く風で、もう既に審判の準備まで整っている。
「もし私が勝ったら――……」
 盛り上がる観衆の合間を縫って、エドワードに話しかける先輩の声が聞こえてきた。でもその先は急に先輩が小声になったので喧騒に消されて聞き取れない。
「……わかった」
 次に聞こえてきたのは、エドワードの返事。そしてその後一拍置いて、審判が始まりを告げた。
 二人が立ち上がり、剣先を合わせる。だが、どちらもなかなか動かない。
 それもそうだろう。俺もエドワードに剣を向けられたことがあるから分かるのだが、彼女には、ただ剣を持ってそこに立っているだけで逃げ出したくなるような威圧感がある。無防備に見えても、エドワードには常に一瞬の隙もないのだ。
 踏み込みかけてはやめる。先輩がそれを繰り返している間も、エドワードは微動だにしなかった。ざわ、と観衆からざわめきが起こる。この道場で、先輩は間違いなくトップクラスの実力を持つ。その先輩が全く手を出せないのだ。無理もない。
 ――どれくらい、それが続いただろうか。均衡を破るような先輩の鋭い気合が道場を揺るがし、それと同時に大きく踏み込んだ。
 理想的なモーションで、先輩の竹刀がエドワードの面を捕えた――ように、見えた。それと同時に、パンっと心地よい音が響き渡る。
 何が起こったのかわからなかった人もいただろう。
 現に、まだ誰も声も上げないし動き出さない。けれど先輩もエドワードも、再び剣を交えることはなかった。
 遅れて審判達が全員旗を上げ、それを見て先輩がその場に崩れ落ちる。
 そこで初めて、歓声が上がった。
 俺は興奮さめやらぬ観衆を掻きわけて二人に駆け寄ったが、エドワードに片手で止められて、その手前で立ち止まる。
 先輩は呆然としながらも面を外したが、まだ座りこんだままだ。今起こったことを受け入れられない、そんな感じで愕然とする先輩に、エドワードは手を差し伸べた。
「……すまない」
 その手を取ろうとしない先輩に、エドワードが何故か謝罪の言葉を唇に乗せる。
「あなたが羨ましくて、つい意地悪をしてしまった。許して欲しい」
「え……?」
 ようやく、先輩がエドワードを見上げる。
 エドワードは微笑むと、自分から先輩の手を取って立ち上がらせた。そして竹刀を返すと軽く会釈をし、すたすたと剣道場を去っていくので慌ててその後を追う。だが先輩に手を掴まれ、強制的にそれを止められる。
「待って、咲ちゃん」
 焦っていた俺は咄嗟に先輩の手を振り払ってしまった。そうしてしまってから、自分のしたことに気付いて先輩を振り返る。
「あ……すみません」
 先輩は、驚いたような――傷ついたような顔をしていた。
 胸がどきりとする。乱暴に振り払ったことを後悔したけど、もうどうにもならない。それに正直なところ、やっぱり頭の中は出て行ってしまったエドワードのことでいっぱいだった。そんな俺に先輩が一言問いかける。

「あの子のこと、好きなの?」

 戸惑いがちだけど、はっきりとした声。先輩の目を真っ直ぐに見て、俺もすぐに、はっきりと答えた。

「はい」

 そう、とだけ呟いた先輩に背を向けて、俺も剣道場を後にした。