13.誰が為の想い
俺は中学のとき剣道部に入っていて、律華先輩はそのとき女子部の主将だった。
姉ちゃんの友達ということもあり、先輩はよく俺を構ってくれたから、一時期は噂になった。けど先輩はそれを「咲ちゃんは妹みたいなもの」の一言で突っぱね、周囲もそれで一発で納得した。それによって俺が相当凹んだのは言うまでもないが、ここだけの話である。
それでも先輩への憧れは消せなかった。ただ、好きになるのは、先輩に勝ってからだって思っていた。今考えれば随分変な考え方だけど、そんときは真剣だった。一度も先輩に勝てないのに好きだなんて、情けなくて自分で許せなかった。でも結局勝てなくて、俺は剣道をやめた。
だから告白する気もなかったのに、先輩が県外の大学への進学が決まり、俺は悪乗りした友達に「もう会えなくなるぞ」と脅されて、半ばヤケクソで告ってしまった。どこまでも中途半端で、流されやすくて、どうしようもない馬鹿だ。案の定あっさり振られた。
それから異世界に召喚されたりしていた俺にとっては、もうずっと昔のことみたいだ。でも実際には一週間も経っていないんだろう。それを思うととても気まずい。
と、気まずさで何も言えない俺をよそに、先輩はいつもと全く変わらない調子で声を上げる。
「楓、いる? ケータイ繋がらなくて。貸してた参考書返してもらいたいんだけど」
でもその内容は少し妙なものだった。だって、姉ちゃんは律華先輩と会うって言ってたのに、会うならわざわざ取りに来る必要はない。それでさっきの推測は確信に変わった。
それでも一応、携帯を取り出して姉ちゃんにかけてみる。……電源が入っていませんのアナウンスが流れた。
「姉ちゃんなら、律華先輩んちに泊まるって言ってでかけて行きましたが」
「え? あ……えーと」
事実をそのまま告げると、律華先輩はきょとんとした後、焦ったように取り繕った。
「あ、あはは……、そういえばそうだった。ごめんね」
今更取り繕うのは無理だろう。乾いた笑い声をあげる先輩を見ていたら、いくら俺でもわかる。姉ちゃんが律華先輩と会うって言ってたのは嘘だ。やっぱり男だな。春休みだし、旅行でも行くんだろう。
母さんは何事においても鷹揚な人だけど、さすがにそれは許可しないだろう。だから律華先輩の名前を借りたんだろうけど、だったら俺はともかく先輩にくらい言っておけばいいのに。
ため息をついていると、誤魔化すように先輩がはしゃいだ声を上げる。
「あー……、気付いちゃったよね。そうだ、何かオゴるよ。お昼まだでしょ?」
「いえ、食べましたから。別に口止め料貰わなくても言わないですし」
「じゃあお茶でもしようよ。この前のお詫びってことで」
お詫び、の言葉に引っ掛かりを覚える。それって振ってごめんってことだろうか。他に詫びられる覚えがないからそうなんだろうけど。なんかそれってどうなんだろう。
俺だって、ヤケクソの告白じゃ誠意に欠けたかもしれないけど、それでも振ってごめん、オゴるから許してーじゃいくらなんでも軽すぎやしないか。
「……詫びられるようなことされてないですし」
「でも、振っちゃったし」
ストレートな返事が返ってきて、恥ずかしさに今すぐこの場から消え去りたくなった。
「すみません。それ、もう忘れて下さい。それじゃ用事があるので失礼します」
「あ、咲ちゃん……」
先輩はまだ何か言いかけてたけど、俺は一方的に会話を切ると玄関を閉めた。
失礼な応対だったかもしれないけど、これ以上話している余裕がなかった。
俺ってほんとに男として見られてないんだなーっていうことを痛感してしまった。告白しても、先輩の態度は今までと全く変わらない。
エドワードも同じなんじゃないだろうか。俺に対して好意的に見えても、それは弟とか犬とか可愛がるのの延長線上にあるんじゃないだろうか。そう考え出すと、実にそうなんじゃないかと思えてきて虚しくなってきた。
「咲良」
「……ん」
玄関にしゃがみこんでうだうだと考えていると、頭上からエドワードの声が掛かった。それでもなかなか顔を上げられずにいたのだけれど。
「あの人が、咲良の想い人?」
「ッ、ななッ、なんで!?」
思わぬ言葉に跳ね上がる。エドワードは心でも読めるのだろうか。エスパーなのか。と思ったところで、だが俺は頭を振った。
「っていうか、違うよ! 俺の……、俺が好きなのは」
エドワードなのに。
そういえば、エドワードに先輩の話をしたことはあった。振られたってことも言ったことあったっけ。だけど、それはもういいんだって話もした。その後に、エドワードがいなきゃ駄目なんだってことも……言ったと思うんだけど。
なんだか自信がなくなってしまって、肝心なところは尻すぼみに消えてしまった。立ちつくす俺をエドワードは真っ直ぐに見つめてきたけど、俺は目を合わせられない。
「……咲良、話がある」
小さいため息のあと、エドワードがそんなことを言う。
その声はいつもより少し固くて、あまりいい話ではないっていうのを暗示してた。気が重かったけど、無視することもできなくて、返事をする。
「……何」
「朝から気になっていたんだが。君はもしかして、私の為に無理をしていないか?」
はっとして、俺は自分の口に手を当てた。
エドワードは、それなりにこっちの言葉を理解できるようになってきている。通じないと思って配慮するのを忘れていたかもしれない。そう思って朝からの会話を思い出してみるが、彼女がこんなこと言いだした時点で、きっともう遅い。
「言っておくが、私の為に君の生活を変える必要はない。私は君にそんなことを望んでいるわけじゃない」
そんな言い方をされて、ついむっとしてしまった。別に感謝して欲しかったわけじゃない。でも、エドワードが心細くないようにと思ってのことだったのに、迷惑みたいに言われたら辛い。
「でも……、エドワードだって、ずっと俺の傍に居てくれたじゃないか」
「私と君とでは立場が違う。……言っただろう。私は戦に疲れていた。君を守るということを自分への免罪符にして、軍から逃げていただけだ。だから君の為じゃなかった」
エドワードの声はどこか自嘲的だった。だけど、俺にはそれを気に掛ける余裕がなかった。
彼女が何を思って、どうしてそんなことを言うのか、考えることもできなかった。
「こっちの世界のこと……、何も知らない癖に。一人で大丈夫って言うのかよ?」
「確かに知らぬことの方が多い。だが迂闊に出歩けば殺されるわけでもあるまい。君は私に知らぬ世界で不自由を強いていると思いこんではいないか」
俺がずっと気にしていたことを言われて、一瞬返事に詰まる。そんな俺を見て、エドワードは苦笑した。
「だとしたら、それは君が不自由な生活とはどんなものかをを知らぬだけだ」
苦笑というより、どちらかといえば嘲笑に近い笑い方に、かっと頭に血が上った。
怒り……ではない。どちらかといえば、惨めさとか、恥ずかしさの方が強かった。
何も知らない子供だと馬鹿にされた気分だった。
今の状態では、エドワードは教育を受けられないし、病院で治療を受けようと思ったら高い金額が必要だ。ちゃんとした職も中々見つからないだろう。でもそれを可哀想だと思うのは、この豊かな日本で生きているからこそで。
エドワードは、一瞬先が分からない戦場で生きてきた。
あの国で一番権力を持った家に生まれたろうに、母さんを殺されて、病気で兄さんを失って、彼女自身が傷だらけになって戦ってきた。その報酬が望まない結婚を強いられることだった。彼女自身がそう思っていなくても、まるで道具みたいに、エドワードは今まで生きてきたんだ。そんな過酷な人生を生き抜いてきた彼女に、今更俺が何をしてやれるって言うんだろう。
握り締めた拳が震える。惨めで、辛くて、悔しかった。
なんど強くなろうと思っても、その度に俺は自分の弱さを知るだけだ。……彼女に俺なんか必要ないんだって、思い知るだけだ。
「……そうだな。あんたに俺なんか必要ないよな。いらないよな、俺なんか!」
ぐちゃぐちゃになった思考が、全部まとまって真っ黒になってぶつん、と切れる。
呼びとめるエドワードの声が聞こえたけど、俺は聞こえない振りをして家を飛び出していた。