道程


 地鳴りは収まったのに、足はまだ震えている。
 轟音も消えたのに、耳の奥がごうごうと唸っている。
 ヴァイトに支えられたまま、アリーシアは彼の服をギュッと掴んだ。
 辺りに満ちている魔力の質がほんの少し変わっている。それは恐らくアリーシアにしか感じとれない些細な異変だった。そして、アリーシア自身初めての経験であるのに、頭が確信している。
(『扉』が、開いた……?)
 どうしてそう感じるのかはわからないが、直感でそう悟っていた。しかし、何の根拠もないそれをヴァイト達に告げるか否か、アリーシアは躊躇していた。
「……アリー? 顔色が悪いぞ」
「え……えっ? そうですか?」
 心配をかけぬように、アリーシアは努めて明るい声を出した。だが震える手がヴァイトの服を掴んだまま離せない。これでは虚勢であるとバレてしまうだろう。
 それでも躊躇ったのは――
(本の街、行ってみたかったな……)
 扉を探すためのペイ・リーヴル行きだったのだが、自分の勘が正しければもうその必要はなくなる。しかし、異質な魔力の流れがこちらに向かうのを感じて、アリーシアは唇を引き結んだ。我儘を言っているような場合ではないかもしれない。一度目を閉じ、それからアリーシアは手を離すと、真っすぐにヴァイトを見上げた。
「ヴァイ。多分、なんですけど。今、扉が開きました」
「……なんだって?」
 アリーシアを見下ろして、ヴァイトが驚きと疑いの両方を含んだ声を上げる。
「あと、裏世界から誰かがこちらに向かってます。これも多分ですけど、その人達が扉を開けたんだと」
「『人達』ということは、一人ではないんですね」
 冷静に問うてくるルーエンに、アリーシアが頷いて見せる。
「多分二人。裏のことはよく知りませんが、扉を開いたということは巫女である可能性が高いです。それに……」
 真っすぐにこちらに突き進んでくる気配に、アリーシアは嫌な予感がした。迷いなく進んでくるということは、こちらの気配を感じてそれに向かっていると考えるのが妥当だ。
「……恐らく私に気が付いています。こちらの巫女に会いに来る目的が、私達と同じならいいのですが……」
 アリーシアが言い淀み、ヴァイトはフラガラックに手をかけた。
 もう、ヴァイトやルーエンにも感じられる。それは、魔力の流れなどという感じ方ではなかったが。
「それにしちゃ、穏やかじゃないよな。ルーエン」
「ええ。うららかな昼下がりには似合わない無粋な殺気ですね」
 険しい表情のヴァイトに対して、ルーエンはいつも通りの笑顔ではあったが、その手は既に剣を手にしている。
二人の様子に穏やかでないものを感じたアリーシアは、いつでも魔法を撃てるように身構えた。
 だが攻撃は、姿が見える前に始まった。
 乾いた音が空にこだますると同時に、嫌な予感が二人の騎士の間を駆け抜ける。
「……!」
 ほぼ勘だけで、ヴァイトはアリーシアの腕を思い切り引いていた。
「ひゃあ!?」
 敵だけに備えていたアリーシアは、簡単にバランスを崩してヴァイトの方に倒れこむ。その一瞬後に、今まで彼女が立っていた位置を何かが貫いた。
「ルーエン、見えたか?」
「はっきりとは。でも遠隔攻撃ならこちらにもできますよ」
 ルーエンが半身を引き、突きの姿勢でクラウ・ソラスを翳す。その先端に光が生まれて、真っすぐに森へと吸い込まれていった。ややあって、また乾いた音が辺りに響く。
「この音が攻撃音でしょうか」
 クラウ・ソラスの攻撃は、かわしても追尾される。アリーシアもエタンセルを訪れた際に見ていたことだ。だから、向こうも攻撃をぶつけて相殺したと考えられる。
「……来ますよ」
 眼鏡の奥のルーエンの碧眼が細まった。連続で音が響き、その音と同じだけの光をルーエンが生み出す。そしてヴァイトもまたフラガラックを抜き放った。
『……ほう、これはまた懐かしい力だ……』
 頭の中で、そんなフラガラックの声を聞きながら――ヴァイトは大上段から剣を振り下ろした。キィン、と澄んだ音がして、足元に割られた瓢が落ちる。
「あははははは! これは、向こうの騎士よりは楽しめそーだね☆」
 頭上から声がして、ヴァイトは咄嗟にアリーシアを突き飛ばした。そして、片手で剣を掲げる。上空から、クラウソラスの光に追われながら少女が降ってくる。ガキン、と固い感触が手に伝わった。
(なんだ、これは――)
 相手の得物は剣ではなかった。小さく無機質な鉄の塊から筒状のものが伸びている。およそ殺傷能力などないようなそれは、見たこともない武器だった。
「あれっその顔なーに? こっちには銃がないのかな?」
 フラガラックを跳ねのけてその勢いで後ろに飛ぶと、片手間にクラウソラスのホーミングに武器を向ける。音と共に銃口から『何か』が飛び出し、ホーミングとぶつかって両方消える。彼女はそのままくるっと綺麗に一回転して地面に降り立った。アリーシアの神衣よりもさらに旅や戦闘に向いているとは思えない、フリルだらけの真っ赤なミニワンピース。銀色の長い髪をツインで結い上げたその少女は、漆黒の瞳でヴァイトを射抜いた。そして、さっきフラガラックを受けた武器を真横に向ける。少女の指が動くと共に、パンッと軽い音がして木の枝が弾け飛んだ。
「銃っていうの。今は力を弱めたけど、その気になれば木なんて五・六本は粉砕しちゃうよぉ」
「俺は木みたいに突っ立ってるだけじゃないからな。どんな武器でも当たらなきゃ意味ねぇよ」
「あははははは! 生意気ー! でもそういう男嫌いじゃないよ」
 けたたましく笑う彼女の斜め後ろで、もう一つ人影が揺れる。少女の溢れんばかりの敵意と殺意に比べて、こちらはかろうじて気配がある程度だった。その手には、ヴァイトが叩き落としたのと同じ瓢が見える。
 しかし、気配の薄さに引き換え、少女にも増して派手ないでたちをしていた。ピンクのロングドレスに、ピンクの髪を結いあげている。しかし、女性の服を纏ってはいるがかなりの長身で、顔立ちも中性的ではあるものの男性のそれである。
「はじめまして。アタシはエミリアーナ・クレアツィオーネ。アンタ達から見た裏世界の巫女よ。この子は騎士のイザイア・ローゼオ」
 銃口をこちらに向けながら、少女が名乗る。そのまま動かないのは、こちらが名乗るのを待っているのだろう――そう察して、ルーエンは口を開いた。
「声も色もうるさい方ですね。頭がくらくらしそうです」
「存在感あるでしょ〜?」
「恰好で存在感を出すとなると、中身はさぞ薄いのでしょうね」
 にこにこと笑いながら名ではなく毒を口にしたルーエンに、少女――エミリアーナの周りの空気がピシリと凍った。そんな気がヴァイトにはしていた。そんな空気を裂いて、アリーシアが前に進み出る。
「私はこちらの世界の巫女、アリーシア。エミリアーナさん、それにイザイアさん。貴女たちの目的を聞かせてもらえませんか?」
 アリーシアの穏やかな声が凍った場を再び動かす。しかしそれは平和的な流れに向かうことはなかった。エミリアーナが、銃を持った手でガシガシと頭を掻く。
「……そっちの失礼眼鏡男も嫌いだけど。アンタみたいなイイ子ちゃんタイプの女は一等嫌いなんだよね」
 あからさまに悪意と殺意の籠った声に、ぐっとアリーシアが言葉に詰まる。うなだれる彼女を見て、笑い声を上げたのはルーエンだった。
「アリーシアさんは純真ですねぇ。僕なんて嫌いって言われると嬉しくなっちゃいますよ。さてどうやって泣かせてやろうって考えるの、楽しいじゃないですか」
 笑顔でそうのたまいながら、ルーエンがアリーシアの前に進み出る。ヴァイトも油断なくフラガラックを構え、ルーエンの横に並んだ。
「……ま、好きでも嫌いでも関係ないけどね。だってアタシの目的はぁ」
 再び、エミリアーナが銃を構える。それに応じて、後ろに黙って控えていたイザイアも瓢を構えた。

「表も裏も、この世界の巫女と騎士をぜぇぇぇ〜〜〜んぶブッ殺すことだから☆」  


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