道程


 アリーシアの上機嫌な鼻歌を聞きながら、一行は旅路を急いでいた。彼女の鼻歌のせいで緊張感はまるでないが、ペースは旅慣れた冒険者にしても早めである。
「鼻歌なんて歌ってると消耗するぞ」
「あっ、はい! すみません。でも、嬉しくて」
 ヴァイより少し先を歩いていたアリーシアが、くるりとターンして頭を下げる。一連の動作はまるで踊っているようで、ますます緊張感が薄れていく。
「全く……こんなに呑気な世界の終焉があってたまるかってんだ」
「まあまあ。こんなに喜んでもらえてるんです。いいじゃありませんか」
 眼鏡の奥の穏やかに笑う瞳にも緊張感はない……が、経験上、彼の笑顔はヴァイトに警戒をもたらしたりする。
 また余計な一言か、さもなくば容赦のない攻撃が来るのではないかとヴァイトが身構える前に、アリーシアの心底嬉しそうな声が二人の間を割いた。
「はい、私嬉しいです! 神衣以外の服を着たのは初めてです! 新しい服ってこんなに気分がウキウキするものなんですね!」
 子供のようなことを言ってはしゃぐアリーシアを見て、ヴァイトは苦言――静かにしていろだとか、緊張感を持てという類のものだ――を飲み込んだ。ヴァイト自身、幼い頃から神殿騎士としての訓練を積み、一般人とは違う生き方をしてきたが、アリーシアのものは程度を越えている気がした。何より、そこに彼女の意志がない。
「あっ……すみません。世界に危機が迫っているのに、ウキウキしてちゃダメですよね」
 ヴァイトとルーエンが押し黙るのを見て、それを別のことと勘違いしたらしいアリーシアがしゅんとする。「いや」、とだけ言い、ヴァイトは止めていた足を動かした。気にするな、くらいのことを言えるほど彼は器用ではなかったし、それでアリーシアが調子に乗って消耗されても困る。陽が落ちる前には目的地に着きたかった。
「……ところで、私達ってどこに向かってるんです?」
 しかし、アリーシアがおずおずとそんなことを問いかけるので、思わずつまずきそうになった。
「知らなかったのかよ!?」
 アリーシアを怯えさせるかもしれない、そうしたらルーエンに余計な説教を食らうかもしれない……とは思いつつ、ヴァイトは目を吊り上げながら激しく突っ込むのを禁じ得なかった。しかし、これについてはルーエンにとやかく言われる筋合いはない、と一方で思っていた。何故なら、ヴァイトに目的地を提唱したのは彼であり、かつアリーシアにも話しておくと聞いていたからだ。
「……ルーエン」
「いやあ、すっかり忘れていました。しかし、いつ彼女が気にするかなというのを興味深く観察したかったもので」
「それは、すっかり忘れていたとは、言わない」
 言葉の最初と最後で矛盾しているのは、わざとだろう。わかっているものの、突っ込まずにはいられないヴァイトである。
「冗談ですよ。アリーシアさん、今向かっているのは『ペイ・リーヴル』という街です。一応、西側地区に属しますが、実質世界の中央にある知識の泉と言われる場所ですよ」
「知識の泉……そこに行けば、扉の場所が?」
「門外不出の巫女の口伝が残っている可能性は低いですが……そもそもあてのない旅ですしねえ。僕は聖地を出たことがないので、ペイ・リーヴルがどれほどの知識を要しているかわからないですが、そんな僕でも聞き及んだことがあるほどの街です。行ってみるのも一興でしょう」
「ヴァイも行ったことないんですか?」
「ないな。あまり出入りのない街だから、護衛を頼まれることもなかったし、興味もなかったし」
「脳味噌まで筋肉で出来てるヴァイトと知識なんて、無縁ですもんね」
「……釈然としないが、まあ、否定はできんな……」
 ルーエンの方を睨みながらも、ヴァイトは認めて腕を組んだ。
「建物も本でできてるとか揶揄されるほどの本の都だろ。想像するだけで眠くなりそうだ」
「本の都!」
 実際に欠伸をかみ殺しているヴァイトとは対照的に、アリーシアはパッと顔を輝かせた。
「私、本好きです! 早く行きましょう!」
「だから、ペース配分考えろよ。中央なんだから加護がギリギリだ。魔物が出るかもしれないんだぞ」
 ヴァイトの忠告に、ピタッとアリーシアは動きを止めた。
「加護といえば、アリーシアさん。なぜ加護は西側だけに及んでいるのでしょう? 力を失ったのは、西の巫女なのに」
「それは……」
 アリーシアが顔を上げ、ヴァイトは息を呑んだ。先ほどまではしゃいでいた少女とはまるで別人のような、憂いを帯びた顔。彼女が時折見せる顔だ。初めてではないはずなのに、何度見ても慣れないのだ。
「私の力だけでも、表世界すべてに加護を届けることはできます」
「でも、東には魔物が溢れている」
「はい。それはおそらく……」
 答えるアリーシアがあまりに辛そうで、ヴァイトは口を挟みかけた。
 それは、今問わねばいけないことなのかと。
 しかし、実際に彼女の言葉を止めたのは、耳をつんざくような衝撃音と地響きだった。
「!?」
 ヴァイトがバランスを崩しかけたアリーシアを支える。轟音と地鳴りは一瞬のことだったが、ただごとではない雰囲気に、三人は目を見合わせた。
 


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