意志


 アリーシアとの約束通り、ヴァイト達は朝食の後、町の仕立て屋を訪れていた。
「世界の終末が迫っているかもしれないってときに、こんな調子でいいのかね」
「大事の前の小事ですよ。だいたい、目的地がはっきりしているわけでもないんです。焦っても無意味でしょう」
 ぼやくヴァイトに、ルーエンはいつものように飄々と答える。彼はそう言うが、焦りというのは意味のあるなしで起こる感情でもあるまいに、とヴァイトは思う。世界が終わると聞かされて焦らないのなら、この先もルーエンが焦ることはないのだろう。
(とはいえ、俺も言うほど焦っちゃいないがな――)
 アリーシアを疑うわけではないが、唐突に世界が終わると言われても、未だヴァイトにはピンと来ていないのだ。
 彼にとっての問題は、世界の終わりよりもむしろ――
「うわぁ! 服がたくさん! ねえ、ヴァイ、どれがいいでしょうか!?」
 この、大きな瞳に満面の笑みを湛えて駆け寄ってくる少女の方が、世界の終わりより余程厄介だ。
「俺に聞かれてもなぁ……」
 また下手なことを言ってルーエンに小突かれるのは癪なので、言葉を慎重に選ぶ。しかし、考えたところで女の服などヴァイトにとってはどれも同じに見えるのだ。剣を選んでくれと言われたのなら、もう少し親身にもなれただろうが。

 ――物ではない。あなたがくれたこと≠ノ意味と価値があるんです。
 ――物はいつかなくなるけど、その事実は永遠になくならないわ。

 唐突に、脳裏にある女性の言葉が閃いた。
 だが、かぶりを振ってその記憶を遠ざける。
 なくならないことが、今となっては残酷だ。忘れても遠ざけても残る。あんなことを言っていた彼女の方が、あっさりと過去をなかったことにしていることは皮肉だ。
「ヴァイ、見て下さい、これはどうです?」
 いつの間にか、アリーシアは黒いマントを羽織っていた。いつの間にか考えこんでいたことに気が付いて、ヴァイトは意識を目の前の少女に向けた。
「うーん……似合わんな……」
「やっぱりです?」
 うっかり思ったことをそのまま口にしてしまい、さてアリーシアやルーエンからなんと非難されるかとヴァイトは身構えた。しかし、二人の反応は彼の想像といずれも違うものだった。
 口をとがらせるかと思ったアリーシャはあっさりとマントを脱ぎ、椅子にかけて二人を見物していたルーエンは意外そうな声を上げた。
「てっきり、なんでもいいとか、どれでも一緒とか言うのかと思ったんですけどねえ」
「いや、思うことがなければそう言うかもしれんが、思ったことくらいは言うぞ」
「では、あなたが何かを心に留めること自体が、珍しいことなんでしょうね」
「はぁ?」
 にこにこと呟く、知人の言葉の真意がわからず、ヴァイトは顔を顰めた。
「ヴァイ、これはどうですか!?」
 だが、フィッティングルームから響く声に、そちらを振り向く。アリーシアは、今度は青の衣服に紺のケープをつけていた。
「なんていうか……なんでそんな暗い色ばっかり選ぶんだ?」
「だって、ヴァイが白は旅向きじゃないって」
 ああ、とヴァイトは前髪をかきあげた。
「それで……いや、全身白じゃなければ別にいいと思うぞ。ていうか、青はやめよう。嫌な奴を思い出す」
「そうですか? 僕は好きですけどね、青」
 張本人のしらばっくれた突っ込みは、おそらく、いや絶対にわざとだろう。
 アリーシアにもそれがわかったようで、くすっと笑うと、いいことを思いついたように片手を上げた。
「じゃあ、赤にします!!」
「お、おう。そうしろよ」
 深く考えずに返事をすると、アリーシアは嬉しそうに微笑んで、赤いマントを手に取った。そのときになって、ようやく彼女が「赤にする」と言った意味に気が付くが、赤いマントが恐ろしいほど彼女に似合ったために、やめろという理由を見失ってしまう。
「悔しいですが、アリーシアさんには赤がピッタリですね」
「わたし、これにします!」
 どっちにしろ、アリーシアはもう決めているようだった。ヴァイトが店員を呼ぶと、アリーシアは慌てたようにヴァイトの手を引いた。
「自分で買います!」
「別にルーエンに脅されたからってわけじゃない。一緒に旅をしてるんだから、誰の懐から出たって同じだろ」
「そうですけど……ちょっと違います」
 アリーシアがこめかみに指をあて、少し難しい顔をする。
「えっと……金銭事情は変わらないかもしれませんが、わたしの認識が、『自分で買った』から『ヴァイに貰った』に変わります」
「お前がそれで問題なければ、いいだろ」
「ヴァイが迷惑じゃないなら、いいです」
 アリーシアの口からは、ヴァイの予想しない言葉ばかりが飛び出してくる。
「……迷惑?」
「いえ、なんでもありません。じゃあ、お言葉に甘えますね!」
 首を傾げながら会計に向かうヴァイを見送りながら、アリーシアはぽつりとつぶやいた。
「だって、あなたは人にまつわる些細な事実で自分を苛む人だから……」
「なら、苛まないようにしてあげて下さいね」
 ルーエンの穏やかな声に、アリーシアは戸惑いを浮かべた。
「わたしに、できるでしょうか?」
「簡単ですよ。あなたが幸せであればいいんです」
「……むずかしい、です。だから、心配なんです。わたしは―― ――だから」
 ルーエンは目を細めると、小さく息を吐いた。  


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