「ヴァイ、待って下さいってば、ヴァイ!!」
何度もそう繰り返しながら、早足で歩いていくヴァイトの後を、アリーシアは必死に追いかけていた。けれどいくら呼んでも振り向く気配のないヴァイトに業を煮やし、アリーシアは走ってヴァイトを追い抜くと、立ちふさがるようにヴァイトを振り仰いだ。城の入り口はもうすぐそこに見えており、風が肌を撫でてくる。止めなければ、ヴァイトはそのまま城を出て行くだろう。
「ねえ、どこに行くんですか?」
「……お前がさっき自分で言ったんじゃないか。世界を救うには、『扉』を探さなければいけないって」
「言いましたけど、ヴァイについてきて欲しいとは言ってません」
ふるふるとアリーシアがかぶりを振る。
「私がヴァイに頼んだのは、エタンセルまでの護衛です。もう、それは果たされたはずです。ヴァイはここに居て下さい」
「なぜだ?」
「ヴァイが赤の騎士だからです。西の神子には……システィナさんには、ヴァイが必要なはずです」
「言っただろう。俺はもう赤の騎士じゃない。フラガラックも置いてきたし、もう呼ばない」
そう言われてアリーシアがヴァイトの腰に目を当てると、いつの間にか彼が携えている剣は別のものになっていた。会議室を出てから取り替える暇はなかった筈だから、遅くとも朝の時点では、ヴァイトは城を出ていくつもりだったのだろう。そう知って、アリーシアは思わず声を大きくした。
「……じゃあ、システィナさんはどうなるんですか……!?」
「なんでお前があいつの心配をするんだ? ……今のところ西にはまだ加護が及んでいるし、ルーエンもいる。こんな言い方はあれだが、力を失っている限りシスティナが狙われるようなことはないだろう」
「そういう意味で言ってるんじゃ……」
尚も言い募るアリーシアの額を、ヴァイトが軽く叩く。ぺちん、と軽い音と衝撃に、アリーシアは目をぱちくりと瞬いて口を噤んだ。
「お前お節介なんだよ。人のことより、ちょっと自分のこと考えてみろ。地図も読めない、方向もわからない、魔法は強力かもしれんが使い過ぎればぶっ倒れる、怪我すれば周りを巻きこむ、そんなお前が一人でどうするって言うんだ。世界が掛かってるんだ、少し冷静になれ」
「あう……」
何一つ言い返せず、一瞬アリーシアは口ごもった。だがすぐにまた、頭を横に振ってヴァイトの手を払う。
「でも私、世界のために誰かを犠牲にしていいとは思いません。……システィナさんには、ヴァイが必要です。ヴァイだって、本当は」
「お前は――」
アリーシアの声を、ヴァイトの声が遮る。その切羽詰まったような響きに、アリーシアは口を噤んで首を傾げた。
「お前は、俺が必要じゃないのか?」
「……え」
アリーシアが押し黙るのを見て、ヴァイトは慌てて口元を押さえた。自分でも何を言ったのかわからなかった。しかし時間が立つに連れ、自分の発言が頭に何度もこだまして、顔が熱くなっていく。言いたかったのはこんなことではなかった。そうヴァイトが言い訳をする前に、アリーシアは掠れた声を上げていた。
「……ずるい、です」
「は?」
「必要に決まってます……そんなの」
「……」
声は小さかったが、目は真っ直ぐにヴァイトを向いていた。ヴァイトが言葉を失い、風の音だけが残る――
「忘れ物ですよ、ヴァイト」
唐突に、風の音に別の声が混じった。
反射的にヴァイトが振り向くと、すぐ後ろに、フラガラックを抱えたルーエンがにこにこしながら立っていて、ヴァイトは喉元まで出てきた叫び声をどうにか喉の奥に押し返した。
「いッ、いつから……いや、いい。用だけ聞く」
「最初から興味深く見物させて頂きましたが、忘れ物を持ってきました」
いい、と言ったのが聞こえなかったわけはないだろうに、ルーエンは丁寧に答えてくる。そのことにため息をついた後で、彼の手にあるものを見て、ヴァイトは二度目のため息をついた。
「忘れたわけじゃない。それは俺が持つべきものじゃないはずだ」
「それはそうですが、どのみちこれは貴方にしか使えないわけですし。何かある度にエタンセルからフラガラックが飛んでいっては、システィナも心が休まらないでしょう」
受け取ろうとしないヴァイトの胸に、ルーエンは無理やりフラガラックを押し付けた。「もう呼ばない」と言いかけたヴァイトだが、一度その禁を破っておいて、大きな声でそれを言うのはためらわれた。
「力を持たないシスティナに変わり、貴方が東の神子と、神子の役目を果たそうとしているのです。フラガラックを振るうに相応しいと僕は思いますけれど」
「別に、赤の騎士としてやるわけじゃない。単に俺が……」
「聞きましたか、アリーシアさん。ヴァイトは、『個人的に』貴方の力になりたいんだそうですよ。何も遠慮することはありません」
「また、余計な――!」
やむなくフラガラックを抱え、逆の手でヴァイトはルーエンの胸倉を掴んだ。だがルーエンはひるまず、胸倉を掴まれたまま片手で眼鏡を直した。
「少しはマシになったと思いましたが、結局相手に必要だと言わせてるようじゃまだまだですね」
「違、俺は!」
青い瞳が冷ややかに細まり、苛立ったようにヴァイトが手に力をこめる。そんな二人に、アリーシアは慌てて駆け寄った。
「あの、いいんです、私、嬉しいです」
突然そんなことを言い出したアリーシアに、思わずヴァイトが手を離し、ルーエンも彼女を見下ろしながら襟首を正した。
「ヴァイの言う通りです。一人じゃ何もできませんし、普通の人には私の護衛とかできないと思います。世界の命運が掛かっているのに、私の意地とかで決めちゃいけない問題でした。ちゃんと言ってもらえて嬉しいです」
「……アリー」
「多分、一緒に来てもらったら、今よりもっと迷惑かけてしまうけど……」
そこでアリーシアの笑顔が少し曇り、ヴァイトは小さく息を吐いた。それから、彼女の頭に乗った帽子をポンポンと叩く。
「迷惑だったら行かない。俺はそんなに人が良くないぞ」
「……そんなことないですよ」
「いや、ある」
ふふっとアリーシアが笑い声を上げる。そんな二人のやりとりをルーエンはしばらく微笑ましそうに眺めていたが、やがてパンと手を叩いた。
「さ、では行きますよ」
「ああ」
「はい!」
ルーエンに促され、二人は揃って返事をした。だが、ふと違和感を覚えて二人ともが立ち止まる。
「……は?」
ややあって、ヴァイトの素っ頓狂な声が、城の中にこだました。