「さて、今日はこの街で宿を取りましょうか。この地方は魚が名産ですね。今の時期はとくに脂がのります。食事も期待していいですよ」
「わあ、お魚! お魚を食べるのは初めてです」
アリーシアが胸の前で手を組んで、はしゃいだ声を上げる。
それを微笑ましそうに眺めながら、ルーエンが宿の方へ踵を返す。
「……ちょっと、待てぃ!」
そのルーエンの肩を、ヴァイトは思わずガシリと掴んだ。
エタンセルを出て、一日が経過しようとしていた。朝早くに立った三人は、木漏れ日の森を抜け、その日の目的地であるエタンセルから一番近い街に滞りなく到着していた。幸い天候にも恵まれ、トラブルもなく、アリーシアとルーエンは終始楽しそうに他愛ない会話を交わし、ルーエンが用意していた弁当を食べ、ピクニックのような道中だった。その道中、ヴァイトはただぼんやりと同行していた。何かを突っ込まねばならない。そう思いながらも、その何かに行きあたるのに、結局一日かかってしまったことがとにかく悔しい。
「なんでお前が一緒にいるんだよ!」
「そんなに嫉妬しないで下さいよ」
「し て ね え よ!!」
声が震えてくるのを自覚しつつ、それでもヴァイトは努めて平静を保とうと努力した。二・三度深く深呼吸してから、眼鏡の奥の青い瞳を睨みつける。
「システィナはどうなるんだ」
「力を失っている以上狙われることはないと、貴方も言っていたじゃありませんか?」
前髪をいじりながら、ルーエンが冷めた声を上げる。彼の人を食ったような態度には慣れている筈だったが、ヴァイトは思わず掴んでいた肩を外し、胸倉を掴み上げようとしていた。その意図を察したルーエンが、鋭くその手を叩き落とす。
「……危険がないからといって、彼女を一人にするのか?」
「気になるなら、貴方が戻って彼女の傍にいてやればいいでしょう。僕が貴方につべこべ言われる道理はないですね」
怒気を孕んだヴァイトの声を、ルーエンはピシャリと両断した。一切の反論を封じられて黙りこむヴァイトを見て、ルーエンがため息と共に肩を竦める。
「ま、実際のところは、そのシスティナから命じられたんです。貴方達の力になれと」
俯いていたヴァイトが、顔を上げる。
「何だと……?」
「世界の危機が迫っているんです。しかし我らが主は力を失い、何もできない。ならば騎士が動くのは当然のこと」
一息に言い終えると、ルーエンは腰の剣を鞘ごと引き抜き、目の前で掲げた。
「≪青の騎士≫ルーエン・レムレス=ドゥンケルブラオとクラウ=ソラスが、神子システィナに代わり、世界の為に尽力しましょう」
「お前――」
「あと、シスはこうも言っていました」
剣を元に戻し、左手で眼鏡のスレをきっちりと直しながら、ルーエンが再びおもむろに口を開く。厳かな雰囲気に知らずヴァイトは居ずまいを正したが。
「ヴァイトが、アリーシアさんに妙な真似をしないか見張っておけと」
「す る か よ!!!」
ヴァイトの中で何かが「ぶちん」と音を立てて切れ、彼の叫び声が暮れかけた空に響き渡る。
「ヴァイ〜、ルーさ〜ん! お魚おいひいでふよー! 宿の人に焼き立てを貰っひゃいまひた〜! ……はれ、ヴァイ〜? どこでふか〜?!」
その頃、アリーシアは焼き魚の串を両手に持ちながら、小さな町の中で迷子になっていた。
そんな穏やかで優しい、世界の終末――。