ルーエンに通された部屋は会議室として用いられている場所で、大きな机を椅子が囲んでおり、システィナはその一番奥に既に着席していた。
「お待たせしました、システィナ。ヴァイトとアリーシアさんをお連れしましたよ」
「ご苦労様」
システィナはルーエンを一言労うと、目を伏せた。
「あ、あの……お早うございます」
「お早う」
なんとなく気まずい空気が漂う中、よせばいいのにアリーシアが不自然な挨拶をする。システィナはやはり一言で答え、目は伏せたままだった。
ヴァイトが黙って手近な椅子に座ると、アリーシアが焦ったように周りを見、少し迷ってから隣の椅子に腰を下ろす。
それを見届けてから、その中間くらいの位置にルーエンが腰かけた。
「お集まり下さってありがとう。さて、東の神子さん? 改めて、ここに来た用件を聞かせてもらおうかしら。まさか、わたくしに文句を言うためだけに、聖地を空けてきたわけではないんでしょう?」
一拍置いて、システィナが目を開き、毅然と声を上げる。
エメラルドグリーンの瞳は、優しい色だが厳しくて、アリーシアは一度だけシスティナを見たがその後項垂れた。
「……」
「あら……文句を言うためだけだったの?」
「ち、違います!」
皮肉めいたシスティナの言葉を否定すると、アリーシアは再び項垂れた。その後訪れた沈黙は、促されるよりもアリーシアにプレッシャーをかけて、彼女がそれに堪え切れなくなるのはすぐだった。
「……システィナさんは、扉の口伝はご存知ですか?」
「知らないわね」
システィナがなんのてらいもなく即答する。
「先代の神子……母上は、わたくしを産んですぐに亡くなりましたから。神子のみに伝えられる類のものだとすれば、わたくしには一切受け継がれていません」
それはアリーシアも予想していたのだろう。そうですか、とだけ答えると、今度は迷うようにヴァイトとルーエンに交互に視線を走らせた。
「僕らは下がった方がいいですか?」
視線の意味に気付いてルーエンが申し出る。アリーシアは逡巡の後、首を横に振った。
「……いいえ。本当は神子にのみ伝わる口伝なんですが、今となっては神子だけでどうにかできる問題ではないと思いますし……だからこそ私も禁を破って聖地を離れたのだし……それに、ヴァイとルーさんなら信用できます」
「そんなに簡単に人を信用するのはどうかしら。わたくしはあまりルーエンを信用できませんけれど」
「俺も同感だ」
システィナとヴァイトの返しに、おろおろしたのは専らアリーシアのみで、当のルーエンはいつもの笑みのまま、一言だけ零した。
「貴方たち、僕を否定するときだけは協力的ですよね」
「あのぅ……」
「ああ、すみませんアリーシアさん。続けて下さい」
所在無さげな声を上げたアリーシアに、ルーエンが先を促す。アリーシアはちらりとヴァイトの方を窺ったが、彼はこちらを見ていなかった。その代わりに止めることもしなかったので、ためらいながらも再び彼女は口を開いた。
「……みなさん、創世記はご存知ですか」
暫く誰も返事をしなかった。困ったようにアリーシアがヴァイトを見上げると、今度は視線が合う。
「創世記って……滅びの魔王と封印の一族のお伽噺のことか?」
「はい。おそらくそれで合っています」
ヴァイトが口にしたのは、この世界の者ならば誰もが幼い頃聞かされたであろうお伽噺だった。
まさか、という色が多分に含まれた声をアリーシアが肯定したので、その先をルーエンが引き継ぐ。
「魔王を封印した一族は神子となり、西と東から世界を安定させた。確かそんな話でしたね」
「はい。でも厳密にはそれは少し違うんです。神子が封印の一族の末裔であることは間違いないですが、私たちは世界を安定させているだけに過ぎません。封印の一族は今も存在し、世界の裏側で滅びの力を押さえ続けています」
また、場がシンと静まり返る。今度それを破ったのは溜め息混じりのシスティナの声だった。
「突拍子もない話ね」
「そうですか?」
ヴァイト、ルーエンは大方システィナと同じ意見だったが、アリーシアだけはきょとんと首を傾げた。それを見て、ルーエンが得心した、という風に頷く。
「だからアリーシアさんは、西と東ではなく、表と裏で守っていると言ったんですね」
「え、私そんなこと言いました?」
焦ったように頬を押さえるアリーシアを見て、ヴァイトが嘆息する。どう見ても隠し事が得意なタイプではないが、同時に世界の重要人物にも見えない。
一拍置いてから、ヴァイトは重い口を開いた。
「お前の言ってることが事実だとして。なら、世界が滅びるというのは、封印の一族の力が弱まったということか?」
「そういうことになります。でも詳しいことはわかりません。ですから」
そこまで言って、アリーシアは口を噤んだ。それからまた俯き、ぼそぼそと力なく呟く。
「表と裏を閉じてる結界……扉を開けて、確かめようと……」
「わたくしに詳しいことはわかりませんが、それは禁忌ではないの?」
「……そうです」
呻くように、掠れた声でアリーシアはシスティナの言葉を肯定する。
「でも、このままではいずれ滅びの力は表に出ます」
「それを食い止めるのが神子の役目ではなくて?」
「……私には、人を守ることはできないんです……」
ぎゅっと、アリーシアが自分の手で自分を抱く。その手の爪が衣服を破りそうなほどに食いこんでいる。
それは小さな小さな声だった、恐らくシスティナやルーエンには聞こえないほど。そして、聞こえていても彼らにはわからない。だがヴァイトにはわかってしまった。
エナジードレインの術を宿しているアリーシアが戦えば、傷を負ったときに周囲の者を殺してしまう。
アリーシアにしか抗う力がないのなら、必要な犠牲だろう。だがだとしたら、アリーシアは何のために戦うのか。人々がどうなろうと平気なら、最初から戦わないだろう。守りたいなら、傷を負ったとき、その者の命から自分が食うことになる。
この小さな少女に、世界のために耐えて戦えなどはヴァイトには言えなかった。
「……その扉はどこにある」
無意識のうちにそんな言葉が口をついていた。
ぽかんとしながらも、アリーシアがそれに答える。
「わかりません。場所は西に、開く方法は東に伝わったと聞きます。それに……見つけても、扉は神子が二人揃わないと開きません」
「それは後で考えればいい。とにかく見つけないと話が進まないなら、見つけ出すまでだ。行くぞ」
「ヴァイ……?」
がたんと椅子が音を立て、アリーシアは驚いて彼を見上げた。
「ヴァイト」
「俺はもう赤の騎士じゃない。罪人として捕えるというなら話は別だが、そうでないなら好きにさせてもらう」
止めるような響きのシスティナの声に、だがヴァイトは首だけで彼女を一瞥すると、そう言い放った。
視線だけの攻防は長く続かない。ヴァイトはそのまま部屋を出て行ってしまい、アリーシアはしばしの間迷っていたが、やがて席を立つと、システィナとルーエンにぺこりと頭を下げてヴァイトを追った。