「おはようございます、ヴァイト」
笑いを堪え切れずに声が震えている、ただしそれが物凄くわざとらしく聞こえる――そんなルーエンの声に、ヴァイトは一気に眠りから覚めた。
声の方を振り仰ぐと、その声に違わずにやにやとこちらを見るルーエンがいる。
鍵をかけておけば良かったと悔やむが、そんなことをすれば、もっとあらぬ疑いを掛けられたかもしれない。頭痛に額を押さえながら、右肩にのしかかる重みの方へ目を向けた。
「おい、アリー。起きろ」
「ふ、ふぇ?」
完全に寝ぼけているアリーシアがちゃんと目を覚ますまで、一応は待ってやる。このまま立ち上がれば間違いなく彼女はそのまま倒れて盛大に頭を打つのだろう。
「おはようございます、アリーシアさん。ヴァイトとご一緒だったんですね」
「へ……あ、ああ!?」
しかし彼女もルーエンの声に一気に覚醒したらしい。物凄い勢いで立ち上がり、あたふたとルーエンに向かって事情を説明する。
「あのですね、これはですね、昨夜色々あったというか」
「ふむ、昨夜色々……」
「妙な言い方をするな」
突っ込んだら負けだと思っていたが、言わずにはいられない。もうどちらも黙らせたかったが、ルーエンの含みに気付かないアリーシアは、まだ説明を続けている。
「ヴァイはベッド使っていいって言ってくれたんですが、ここヴァイの部屋だからいいって言ったんです。そしたらなんかヴァイが怒って、どっちが使うかでなぜか喧嘩になっちゃって」
「それで仲良く二人並んで、ベッドの下で座って寝ていたんですね」
「です。ヴァイって意地っぱりですよね!」
「ええ。僕にはそのやりとりが、まるで見ていたかのように目に浮かびますよ」
ルーエンが聖母のように温かく微笑みながらアリーシアを見下ろす。そんな二人を見ていて、ヴァイトは吐きかけた悪態をどうにか飲み込んだ。
「ヴァイ、やっぱりルーさんはとてもいい人ですよ?」
「そうか。俺はあの微笑みを見ているととてもどす黒い気持ちになるんだが、何故だろうな」
振り向いたアリーシアが無垢な瞳で言うのを聞いて、ヴァイトは棒読みで答えると剣を持って立ち上がった。ルーエンが肩を竦め、部屋を出ようとするヴァイトに道を譲る。
「酷いですね。僕はあなたに感謝してもらってもいいくらい色々影でフォローしてるのに」
「頼んでない」
「システィナが呼んでいましたよ」
にべもなく立ち去ろうとすると、背中にルーエンの声が掛かった。部屋に来た本来の目的は、恐らくそれを告げることだったのだろう。だったら、なぜ最初にそれを言わないのか。
それも、言ったところで仕方ないと悟れるくらいには、今までに同じやりとりを何度もしてきた。
「……どこに行けば?」
「輝きの間。アリーシアさん、あなたも」
声がかかるとは思っていなかったのだろう。驚いた顔をしてアリーシアがこちらを振り仰ぐ。
「わ、私も……ですか?」
少しアリーシアがびくびくして見えるのは、昨夜のことを気にしてだろうか。システィナは済んだことをいちいち蒸し返すような性格ではないと声を掛けようとして、ヴァイトは口を噤んだ。事情を知らないルーエンにあれこれ聞かれたくない。聞かれずとも、勝手に推測されるのはもっと不愉快だ。
「そんなにびくびくしなくても、シスはあなたを取って食いやしませんよ。彼女はそんなに怖く……」
言うまでもなくルーエンがそうアリーシアに声を掛け、だが途中で止めるとおもむろに眼鏡を直した。
「……すみません。まぁ、怖いですね」
「おい」
脅えるアリーシアを見て、思わずヴァイトは突っ込んだ。彼の話はどこまでが冗談かわからないため、真面目に聞いていると肩透かしを食うし、聞き流していると突然大事なことを言い出すのでほとほと疲れる。このやりとりだけでヴァイトは辟易したが、ルーエンが輝きの間へと足を向けたので仕方なく後に続いた。
「……アリーシアさんを呼んだのは、純粋に神子として話がしたいだけだと思いますよ。むしろ、ヴァイトの方が必要ないかもしれません」
「いや、二人で話をさせるのはちょっと」
足取りが重いアリーシアに、ルーエンが今度は真面目にフォローを入れた。だが、ヴァイトが危惧するのはそれだけではない。術を巧みに扱える神子。アリーシアはシスティナの神経を逆撫でするような存在なのだ。
今まではそれによってシスティナが傷つかないか心配だった。だが、事情を聞いてしまえばアリーシアが力を疎む気持ちもわからなくもない。昨夜のように酷く大人びて達観したところを見せることもあるが、強く死を望むほど脆い一面も見てしまっている。
「僕は三人でもちょっと、という感じですね。ちなみに僕は呼ばれてないんです」
先頭を歩いていたルーエンが首だけで振り返って、にっこりと笑う。
「……呼ばなくても来るから呼んでないだけだろ。システィナなりの嫌がらせだと思うが」
「ヴァイトじゃあるまいし、僕に嫌がらせをしても無駄だってまだ気付かないんですかね、システィナは」
「そうだな、お前嫌がらせされると喜ぶタイプだもんな」
「嫌ですね、人を変態のように」
嬉しそうに答える時点で説得力がない。
「ヴァイたちの力関係って、いまいちよくわかりません」
むう、と口に手を当てて呻くアリーシアに、とりあえず自分が一番下だということだけが悲しいくらいにわかってしまって、黙るしかないヴァイトだった。