確執


 真夜中のエタンセル城を、アリーシアはおぼつかない足取りで進んでいた。
 いつの間にかヴァイトの部屋で眠りこけてしまい、気が付けば誰もいなくなっていたのだ。焦って部屋を飛び出したのはいいものの、ヴァイトたちを捜すうち、案の定アリーシアは道に迷ってしまっていた。
「うぅ……、どうしよう」
 既にどこから来たのかもわからなくなっていて、ヴァイトの部屋に戻ることもできない。途方に暮れて薄暗い城内を彷徨っていたのだが、ふと話し声が聞こえてきてアリーシアは足を止めた。耳を澄ますと、その声に聞き覚えがあるということにすぐに気付く。
「ヴァイ!」
 パッと顔を輝かせて、アリーシアは声のする方に爪先を向けた。

 時は、それより少し前へと遡る。
 ルーエンと別れてから、ヴァイトは回廊の途中で一人佇んでいた。この先あるのはシスティナの部屋だ。彼女の身辺警護は神殿騎士の勤めであり、同時に神子に近づくことのできるのは神殿騎士のみである。したがってルーエンが去った今、周辺に人の気配はなく、何の弊害もなくシスティナと会うことができそうだった。
 少し不用心なのではないか、などと考えかけてヴァイトは苦笑した。今、自分がここにいるのであればそうでもないのだろう――ルーエンの話によれば、ヴァイトはまだ<赤の騎士>であるらしいのだから。
「眠れないのかしら?」
 そうやってつらつらと考え事をしていると、急に声をかけられた。
 ヴァイトは嘆息すると、重い頭を上げた。こちらに歩みよってくるシスティナは、こんな時間であるのに、結った髪もおろさず、ドレスも昼間のままだ。
「……お前こそ」
「それはそうよ。あなたが帰ってくるなんて思っていなかったもの」
 やっとの思いで吐き出した言葉に、彼女はあっさりとそう返してくる。その様は、苦労して間合いを取ったのにあっさりと斬り込んでくる歴戦の剣士のようだった。しかしヴァイトにとっては後者と戦う方が気が楽だと言わざるを得ない。
「帰ってくるつもりはなかった」
「そう。随分あの子が大事なのね」
「ちょっと待て。なんでそういう解釈になる?」
 言い訳だと揶揄されることを覚悟していたが、システィナから返ってきたのは予想外の返答で、ヴァイトは思わず渋面になった。からかわれているのかと思ったが彼女はにこりともしておらず、冷めた緑の瞳でまっすぐにこちらを見返してくる。まるで責められているように感じてヴァイトは言葉を見失った。まだ言い訳だと言われた方が良かった。
「これからどうするの?」
 先刻ルーエンからされたのと同じ問いをシスティナも口にする。それはまだ答の出ていない問いだった。だが。
「……もう神殿騎士には戻らないの?」
「そんなこと、できるわけがない」
 その問いには即答できた。何を言われてもその決意だけは覆されないはずだったのに、今度もシスティナは思わぬ言葉を返してくる。
「できるわ。あなたが望めば」
「馬鹿な。俺は大罪人だぞ」
「いつ罪を犯したというの?」
 涼しい声とは裏腹に、ヴァイトはかっと頭が熱くなるのを感じていた。
「全部なかったことにして、再び俺に<赤の騎士>になれとでも?」
「再びも何もない。あなたはずっと<赤の騎士>よ。これは、恩赦でも償いでもないわ。なかったことにではなく、本当に何もなかったのだもの」
「……話にならない」
 澱みなく告げるシスティナに、ヴァイトは喉元までこみあげた熱い奔流を――辛うじて――飲み込んだ。そして一言だけ残して踵を返す。だがそのとき、ふとあることに気付いてヴァイトは動かしかけた足を止めた。小さく溜め息をつく彼の背に、システィナの声は続く。
「またそうやって逃げるのね。いつだってそう」
「違う!」
 飲みこんだはずの言葉が回廊にこだまして、ヴァイトは片手で頭を押さえた。回廊の向こう、柱の陰からアリーシアが飛び出してくる。さっきヴァイトが溜め息をついたのは気配に気づいたからだったが、まさか彼女の方から飛び出してくるとは思わなかった。
 システィナがアリーシアにいい感情を持っていないことは想像できる。ただでさえ機嫌を損ねたところに、最悪の展開と言って差し支えなかった。
「立ち聞き? 東の神子は随分悪趣味なのね」
「ちっ、違います! 私いつの間にか寝ちゃったみたいで、気が付いたら誰もいなくなってて、捜してたら迷っちゃって、そしたらヴァイの声がして、お話が終わるまで待ってようと思っただけで!」
 容赦のないシスティナの突っ込みに、アリーシアが慌てて弁解する。慌てるあまり要領を得なかったが、システィナがそれを指摘する前にアリーシアは勢い良く頭を下げた。
「ごめんなさい、でも立ち聞きには変わりないですよね。謝ります」
 潔く認めたアリーシアに、今度はシスティナが溜め息をついた。
「もういいわ」
 そう小さく呟いて、システィナが部屋へと引き返していく。ヴァイトは内心ほっとしたが、アリーシアはそうではないらしかった。
「待って、システィナさん!」
 目の前を、アリーシアの白い影が通りすぎて行く。思いがけないことにヴァイトが反応できない間に、アリーシアはシスティナの前に回り込んでいた。
「ヴァイがここにきたのは私のためじゃありません、システィナさんのためです!」
 何を言うのかと思えばそんなことで、ヴァイトは思わず舌打ちしてしまうのを止められなかった。
「……どうしてあなたにそんなことが分かるのかしら?」
「だって――」
「余計なことをするな」
 尚も言い募ろうとするアリーシアの腕を掴み、ヴァイトが強い口調で告げる。脅えさせることを承知の上でのことだったが、意外にも彼女は怯まなかった。
「システィナさんだって、本当はヴァイに戻ってきて欲しいんですよね!? だったら――」
「アリー、もうやめろ、行くぞ!!」
「離してください、ヴァイ! “盟約の元、アリーシアが――”むぐぅ」
 無理やり引きずっていこうとすると、こともあろうにアリーシアは魔法の詠唱を始めた。面喰いながらも慌ててその口を塞ぐ。
「悪い、システィナ。話はまた改めて」
 返事は返ってこなかったが、暴れるアリーシアを担ぎあげると、ヴァイトはその場を後にした。  



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