推論


「あぁぁ……一体なんなんだあいつは!!」
 ヴァイトの叫び声が、エタンセル城内に響き渡る。
 魔法の光を照明としているので回廊に窓はないが、外はもうすっかり暗くなっている頃だろう。だからと言って、目を閉じながら考え事をしていたアリーシアがそのまま寝息を立て始めるのは、ヴァイトにとって予想しないことだった。
 声をかけても肩を掴んで揺らしてもアリーシアが起きる気配はなく、ヴァイトが怒鳴り声を上げる一歩手前でルーエンがそれを止め、今に至る。
「色々あって疲弊しているのは貴方だけではないでしょうに。このまま寝かせておあげなさいな」
 彼の言い分は尤もであり、なるほど配慮が足りなかったというのはヴァイトも認めるところではある。だが。
「俺が信じられんのは、座って茶を飲んだ格好のまま人の部屋で爆睡できる神経だ」
 アリーシアがヴァイトの部屋で寝てしまったため、ヴァイトが別の部屋を借りる羽目になっていた。それ自体は別にどうということでもないのだが、やはりアリーシアは頭の螺子が少し緩い。それは別に生い立ちとは関係ないのではないか、そんな失礼なことをヴァイトが考えていると、部屋へと先導するルーエンがふと硬い声を上げた。
「しかし、あのお嬢さん……気になることを言っていましたね」
「……?」
 ルーエンの言葉が何を指すのかを図りかねて、ヴァイトは眉根を寄せた。そんなヴァイトを、ルーエンが呆れたように振り返る。
「相変わらず注意力が散漫ですね、ヴァイト。彼女はシスティナに会ったとき、神子は世界の『裏』と『表』を守るものと口にしていました。『西』と『東』ではなく」
 言われてヴァイトは記憶を巡らせたが、あのときはシスティナのことばかりを気にしていて、アリーシアの細かい言動にまで意識が回っていなかったのを思い出しただけだった。ルーエンはそれを見抜いた上で呆れた目をしているのだろう。彼にとも自分にともつかぬ苛立ちが一瞬ヴァイトの頭の中を支配しかけたが、彼はすぐにそれを打ち消した。それではあまりに成長がない。
「……生憎覚えがないが。彼女の言い間違いじゃないのか」
 ヴァイトがそう声を返すと、ルーエンは目を細め、それから前へと向き直る。
「その可能性もないとは言いませんが。貴方はおかしいと思ったことはないのですか? 力を失ったのは西の神子なのに、瘴気は専ら東の地を侵しています。トランティエの異常、ドラゴンズヒルの騒動……最近西で立て続けに起きている異変がアリーシアさんが聖地を離れたからだとすれば……西と東の関係性は、僕たちが考えているものと違うのでは?」
 ルーエンの言葉に、ヴァイトは足を止めた。それに気付いてルーエンも立ち止り、今度は体ごとヴァイトを振り返って正面から対峙する。
「……アリーは、世界に危機が迫っていると」
 ヴァイト自身がアリーシアの口からそれを聞いたときは、馬鹿げていると感じていた。だがルーエンは至って真剣な顔つきをしたまま、片手で眼鏡を直した。
「馬鹿げたことに聞こえますが、案外と事実なのではないですか?」
 ルーエンの言に、ヴァイトは何も言い返せなかった。ヴァイトが恐れていたことは、アリーシアがシスティナの前で力を使い、力を持たないシスティナがそれを見て傷つかないか。そして、エタンセルに戻って自分の過去の傷が開かないか。それだけだった――最初にアリーシアの口から、世界の危機という言葉を聞いておきながらだ。 
「僕らが物心ついたときから既に東は瘴気に侵されていました。だから、僕らにとってはそれが当たり前だった。僕らは今までエタンセルとシスティナを守ることしか考えてきませんでした。それは僕だって同じです」
「……慰めてんのか?」
「まさか。事実を口にしているんです。強いていえば、慰めているのではなく、忠告しているんです。これから、確実に“何か”が起きる」
「……」
「僕は何が起ころうと、エタンセルとシスティナの為に戦いますよ。でも神殿騎士を辞めた貴方に今その覚悟がありますか?」
 問いかけに、ヴァイトは答えることができなかった。ただ、答が分からないわけではない。返事をするなら確実に「否」だった。
 そして、ただルーエンの後を追っていただけのヴァイトは、このとき唐突に彼が「どこへ」向かっているのかを悟った。その瞬間、思わヴァイトは舌打ちした。
「余計なことを」
「なんとでも。取り返しのつかないことになるくらいなら、貴方とシスに恨まれて生きる方がまだ気楽ですよ」
 肩を竦めてルーエンが踵を返す。ヴァイトはしばらくその背を睨んでいたが、詰ることも引き返すこともできなかった。
 そのどちらもできないのであれば、進むしかない。そして進むのであれば、この先にあるのはシスティナの私室だった。



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