遺恨


 その日も、アリーシアはいつものように、祈りの間で世界を支えていた。
 かといって、アリーシア自身はとくにすることはなく、ただそこに存在さえしていれば、敷かれた陣によって魔力は世界に循環される。それによって彼女自身も強大すぎる力に器を食いつぶされることもなく、この場に存在できる。同時に世界は救われる。
 一見、それは合理的なシステムだった。ただ、そこに少女の意志が介在しないだけで。
 物心つく前から、ずっと祈りの間に監禁されることとなった少女が、外の世界に憧れるなど神官たちは考えなかったに違いない。そんなことをアリーシアが考えるようになったのはずっと後のことだが、魔力を世界に循環させた者など自分の他にいないから、それも仕方ないと同時に諦めた。
 自分の力が世界に流れるということは、すなわち世界と一体になるということだ。アリーシアは一歩も祈りの間から出ることなくして、世界が視えていたし、世界に生きる者を見ていた。その中で、恐らく自分と一番近いであろう「人」という生き物は、だがおよそ自分とはかけ離れた生き方をしていた。
 それによって、自分は人ではないのだと思えたら楽だっただろう。
 だがアリーシアは、その中に在りたいと願うようになった。
 そして彼女がその気持ちを打ち明けることができたのは、双子の弟であるエリオーシュだけだった。
 アリーシアが人ならざる力を持つのにひきかえ、エリオーシュは神子としてだけでなく、一介の神官ほどの力も持たなかった。それはクラフトキングダムにおいて、アリーシアと同じくらい異端だった。
 それをもっと早くにアリーシアが知っていれば、今違う未来がここにあったのかもしれない。考えるだけ詮無いことではあるが、その考えがアリーシアの頭を離れたことはない。
 世界が視えても、大事なことは何も視えていなかった。所詮、力を通して視えるものなどそれくらいのものなのだと痛感した。

「私は、力があることを不幸だとしか思っていませんでした」
 衣服を直しながら、こちらに背を向けたままでアリーシアがぽつりと呟く。
 アリーシアの言動を、いやアリーシアという少女を見ていれば、その言葉はなるほど無理もないと思えるものだが、ヴァイトにとってそれは全く新しい言い分だった。なぜなら、かつて彼が愛した女性は、その全く逆の言葉を吐いていたから。
 そして、自分も自身の無力を呪い続けた身であるからだ。
 システィナも、ルーエンも、自分も、いつも力を渇望していた。
「私は力なんていらなかった。世界なんて救いたくなかった。私を救ってほしかった……エリオーシュの気持ちも考えないで、私はその気持ちを……エリオに押し付けていた。受け止めてくれると思っていたんです。とんでもなく、私は馬鹿だった。自分を不幸だと思うあまり、力を持たないエリオは幸せだと思いこんでいたんです。そんな私の浅はかな考えが――彼を追い詰めた」
 アリーシアの肩が震えている。ヴァイトはその背に手を伸ばしかけて、やめた。
 どちらかといえば、ヴァイトには力を持たなかったという、アリーシアの弟の気持ちが分かる。
 持たない者にとって、「持つ者」は羨望と嫉妬の対象である。システィナがああまでアリーシアを罵ったのもきっとそれが故だろう。
 力を持ち、神子として、いやそれ以上に世界を守り、必要とされる姉。きっと彼女の弟はコンプレックスの塊だっただろう。絶望して命を絶ったとしても仕方がないと、ヴァイトは内心そう思っていた。そして、きっとアリーシアは、それに責任を感じて殺したなどと述べるのだと。だが、アリーシアが告げた真実は、それよりももう少し凄惨なものだった。
「エリオは、私を殺そうとしたんです」
 抑揚のない声でアリーシアが告げ、ヴァイトは驚きを隠しきれずに顔を上げた。
「あの夜私に会いに来てくれたエリオは、血の匂いがしました。祈りの間には、誰であろうと容易に立ち入れるものではありません。エリオが何をしにきたのか、私はすぐにわかりました。彼は、神殿中の神官を殺し、私に会いに来たんです。――私を殺しに」
 もうアリーシアは震えていなかった。ゆっくりと振り返った彼女は薄く微笑んでいたが、顔色は酷く悪かった。
「それでも良かった。エリオは私を救いに来てくれたんだと思った。私を捕える神殿を殺して、私を殺して、この世界から解放してくれるんだと思った。……知らなかったんです。私は、この背に刻まれた呪術の意味を。知っていたら止めた。止めて……いたのに……」
 悲痛な声に、ヴァイトは耳を塞ぎたくなった。
 涙は流れていなかったが嗚咽が零れ、その先を彼女は口にしなかったが、そこまで聞けば充分だった。
 ドラゴンズヘブンで見た、エナジードレインの発動。あれと同じことが起こったのだろう。
 アリーシアを殺そうとしたエリオーシュは、エナジードレインの魔法に食われて死んだ。それが、アリーシアが「弟を殺した」とする理由に相違なかった。



前の話 / 目次に戻る / 次の話

Copyright (C) 2012 koh, All rights reserved.