宿命


 ヴァイトが部屋を貸して欲しいとルーエンに頼んだところ、案内されたのは昔自分が使っていた部屋だった。
 扉を開けると、記憶と違わぬ自室が視界に飛び込んでくる。出て行った日からずっとそのままにしてあったらしい。といって、元々何を置いていたというわけでもない、殺風景な部屋ではあるが。
「システィナは片付けろと言ったんですけどね。そう言われても片付ける物なんてほとんどないですし。部屋が足りないならともかく、そういうわけでもなかったので、そのままになっていますよ」
 問う前にルーエンが答える。システィナらしく、ルーエンらしい采配だと思いながら、ヴァイトは自室に足を踏み入れた。それからアリーシアの手を引くと、彼女は「あの」と戸惑いがちに声を上げた。
「私、ちゃんと話しますし、もう突然帰ったりしませんから。その……」
「あ……、ああ」
 アリーシアが握った手に視線を落とし、それで彼女が言いたいことを察したヴァイトは、慌ててぱっと手を離した。気まずい空気を歯牙にもかけず、ルーエンが明るい声を上げる。
「そんなわけなので、気兼ねなくごゆっくり」
 ルーエンは気まずい空気に気付いていないのではなく、気付いていてわざとであることは間違いなかった。アリーシアにすらそれがわかったようで、慌てたようにルーエンを振り返る。
「あっ、あのあの! ええと……、あ、そうだ。お茶、頂いていいですか? さっき頂きそびれてしまって」
「ああ、気が回らず失礼しました。では、頃合いを見てお持ちします」
 何の頃合いだと突っ込みかけて、ヴァイトはやめておいた。だが視線を感じて渋々ルーエンの方を見ると、彼は口元に手を当て、ふふっと笑う。
「可愛いですねえ」
「……ロリコン」
「そのままお返ししますよ」
 短い言葉の応酬の後、鼻先で扉が閉まる。ヴァイトは小さく溜め息をついてから、マントを外しフラガラックと一緒にベッドの上に放った。
「……ここ、ヴァイの部屋なんですね」
 お世辞にも居心地のよさそうには見えないアリーシアが、それを誤魔化すように声を上げる。ソファでも勧められればいいのだが、生憎そんな気の利いたものは殺風景なこの部屋にはない。部屋といっても、もともと仮眠くらいにしか使っていないのだ。そのため家具はベッドくらいのものだ。
 ルーエンはそのままにしてあるとは言ったが、埃ひとつないところから見ると、定期的に掃除はされていたらしい。ベッドにかかったシーツも真新しい。それを確認してからヴァイトはアリーシアに声をかけた。
「まあ、立ち話もなんだから、座れよ」
「は、はい」
 なぜか緊張した面持ちで、アリーシアがぽすりとベッドに腰掛けると、ヴァイトはそのまま床に胡坐をかいた。他に座るところがないからといって、一緒にベッドに腰掛けるのは気が引けた。ルーエンに目撃されれば、次は何と言われるかと考えただけでも胃が痛い。
「男の人の部屋って初めてで、なんだか緊張してしまいます」
 そう言われれば、なるほど異性の部屋は緊張するものだ。ヴァイトだって女性の部屋に招かれればどうしていいのかわからなくなるだろうと思う。生憎とそんな経験はないが。
「……弟の部屋すら、見たことないんです。祈りの間から出たことがないから」
 だがアリーシアがぽつりとそう呟き、ヴァイトは顔を上げた。アリーシアは何でもないような顔をしていたけれど、膝の上に置いた拳は震えていた。
「私の大体の身の上は、さきほど話した通りです。人の身に余る力を宿したが故に、私は自分の力を世界に循環させ続けることになりました。でも、本当は……、私は、」
 震えを止めるように、アリーシアが拳をさらに握り締める。けれどそんなことはもう無意味なほど、アリーシアは震えていた。歯がカチカチと小さく鳴るほど。それはまるで、これから何か恐ろしいことを口にしようとしている風に見えたが。
「私は、外の世界を見たかった。普通の『人』として暮らしたかった……」
 アリーシアが口にしたことは、他愛のない願望だった。
 普通はそれが願望になどなり得ない、極めて当たり前のこと。むしろ、それを捨て去りたい人さえいる。
 けれどそれが、彼女にとって最大の禁忌だったのだろう。
「でも、この世界は激しく衰退していて、私が力を注がなければもう維持できません。現に、東の地上はもう浄化できていないし、私がクラフトキングダムを出てからは魔物が力を増して、魔法車も機能しなくなりました。多分、私が帰らない限り、どんどん事態は悪くなる……」
「アリー……」
 声を上げたはいいが何と言っていいかわからず、口にした名前の先は力なく消える。
 そんなヴァイトを見て、アリーシアはおもむろに立ち上がった。そして、身につけていた真っ白なマントを外す。突然ではあったが、そこまではまだ良かった。だが、マントが床に落ちると、アリーシアは今度はローブの胸元に手をかけた。小さな肩が露わになり、ぎょっとしてヴァイトは叫び声を上げそうになった。だが、アリーシアがそのままくるりと後ろを向き、その背を見て口を噤む。
「これは私に刻まれたエナジードレインの魔法です。私がいなければ世界は維持できない。万が一にも私が死なないよう、クラフトキングダムの神官たちが私に施しました。最初、私はこれにどんな効力があるのか知らなかったんです。決して解いてはいけないと、そう言われただけで」
 アリーシアの白い背には、血で描かれたような赤黒い色で複雑な文様が刻まれていた。
 それをこちらに向け、アリーシアは感情の見えない声で語り続ける。
「これが何なのか最初に知ったのは……エリオーシュが死んだときでした」
 そんな彼女の口から出たのは、あの日ドラゴンズへヴンで聞いた、彼女が殺したという弟の名前だった。



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