ドラゴンの鉤爪が少女の体を捕え、そのまま翼を唸らせて、空高く飛翔する。そしてまるでゴミでも放るように、少女の体は宙に投げ出された。
「アリーシア!!」
その頃にはヴァイトも体勢を立て直して走り出していたが、全ては遅かった。アリーシアの小さな体が地面に叩きつけられるのを目の当たりにしながら、何をすることもできなかった。頭上で旋回するドラゴンの、狂ったような咆哮を聞きながら、その影の中でアリーシアの小さな体を抱き起こす。翡翠の髪はべっとりと血で汚れていたが、抱き起した拍子に落ちた帽子には染みひとつなかった。服のその相変わらずの白さに寒気がした。
「アリー、しっかりしろ、アリーシア!!」
らしくないほど取り乱して叫びながら、少女の体を揺り起こす。怪我人を下手に動かしてはいけないことくらいわかっていたが、薄闇でもわかるくらいに出血はおびただしく、このまま意識を失えば二度と目覚めないことは明白だった。
「ヴァ……イ。怪我は……」
「怪我人はお前だ、馬鹿! 護衛を庇う馬鹿がどこにいるんだ、この馬鹿!!」
「ばかって……言うほうがばかだって、習いました」
死相が出ているのに微笑むアリーシアを見て、ヴァイトは唇を噛んだ。アリーシアの言は正しい。
いつも自分が中途半端に流されるから、こういう結末しか生まない。わかっているのに何度でも間違う成長しない自分は、少なくとも頭の螺子が緩んだ少女よりは馬鹿だ。
知らず、アリーシアを支える手に力が篭る。ヴァイトが自分でそれに気が付いたのは、だがこれもまた意志に反して、その手から急激に力が抜けたからだった。滑り落ちそうになるアリーシアの体をどうにか支え直すが、アリーシアは拒むように身を捩った。
「離して下さい。はやく……私から離れて、下さい」
「……?」
「私には強力なエナジードレインの呪いが掛かっていて……、自分で回復が不可能になると、勝手に近くの生物から命を奪ってしまうんです……。このままじゃ、私はヴァイを殺してしまう」
アリーシアの言葉に、ヴァイトは脱力感の正体を知った。同時に、先刻アリーシアが目覚めたとき、「ヴァイが傍にいてくれたから」と言ったのは本当に言葉通りの意味なのだと知る。生命吸収。大昔、神子はその力で長寿を誇ったという。だがいつしか失われた力だ。それをアリーシアは今体現しているのだ。しかも、自らの意志ではなく。
それを『呪い』と呼ぶことには違和感を覚えたが、追及している場合ではない。そんな暇もない。まだドラゴンは上空で旋回を続けているが、いつこちらに攻撃を仕掛けるかはわからない。
そして、アリーシアの言うことが本当なら、ドラゴンがその気にならなくとも自分は死ぬことになるのだろう。
(……それもまた、良し……か?)
このまま中途半端に生きていても何も成せず、誰も救えず、過ちを繰り返すなら、少なくとも今死ぬことで一人の少女を救えるなら、ずっと有意義だ。
「……俺が逃げれば、お前が死ぬぞ」
「いいんです」
覚悟を決めて声をかければ、返ってきたのはそんな返事だった。
「いいんです……それで」
自分以上に覚悟を決めた顔で、アリーシアが穏やかに笑う。天使のような、安らかな笑顔で。
――それが、無償に苛立った。今、自分も死を覚悟したことなど忘れて、死を受け入れたアリーシアに、ヴァイトは苛立ちを覚えていた。
うまく力の入らない手で、静かにアリーシアを地面に横たえると、彼女は満足したように金色の瞳を閉じた。手を離した瞬間、体に力が通う。不意に影が消えて、淡い月明かりが周囲を照らす。ドラゴンが旋回をやめ、移動したのだ。
翼を大きくしならせて、ドラゴンが高度を下げる。その翼が巻き起こす爆風にアリーシアが巻き込まれないよう、おびきよせるようにヴァイトは駆け出した。
「こっちだ、大トカゲ! 今度は封印程度じゃ終わらせんぞ!」
言葉が通じるとも思えないが、怒鳴ったことによりこちらの存在には気付いたようだった。さらに降下してくるドラゴンの腹にむけて、手にした剣を投げつける。音もなく剣が砕け、咆哮を上げながらドラゴンが爪を掲げる。ヴァイトは、冷静にその爪を、ドラゴンを睨みつけていた。そして、小さく息を吐く。
中途半端だ。どこまでも。それでも、過ちだと感じる行動のどれを振り返ってみても、やっぱり自分は同じ行動しか取れなかったと思う。
今も。
「報復者(よ、我が呼びかけに応えよ。我が名はヴァイト……、ヴァイト・ベルヘラート・ヴェルミリオン!」
静かな声は咆哮と風の唸りに飲み込まれる。だが、遅い来る爪を前に、ヴァイトは醒めた目でそれを見つめたまま動かなかった。ただそれだけ唇を動かし、あとは微動だにしなかった。やがて爪は眼前に迫り、ヴァイトの体を無残にも抉り取る――前に。
その動きは凍ったように止まる。
それだけではない。一瞬後には、土煙と共に、ドラゴンの巨体は地面に沈んでいた。
『確か我を二度とは呼ばないと。汝はそう申したではないか? ヴァイト・ベルヘラート・ヴェルミリオン。全く人間は虚言が多くてかなわぬ』
「それは少し違うな。気が変わりやすいだけだ」
淡々と答えながら、ヴァイトはひれ伏すドラゴンの背に上り、さらに頭へと歩いていく。そして、そこに突き刺さったひと振りの剣に手をかけた。
『減らず口を』
人間なら溜め息でも吐いていそうな口調が、頭の中で響いた。