巨竜


 揺れと地鳴りは秒を追うごとに大きくなっていく。喧騒が悲鳴に変わるのはすぐだった。やがて混乱した人々は、丘を駆け下り散り散りに逃げてゆく。
「地震……?」
 思わずヴァイトはそう呟いたが、そうでないことは頭のどこかで分かっていた。
 しかし、こんな馬鹿げた予想は外れていて欲しかったのである。
 もはや立っているのもままならないほど大地が鳴動し、隣でアリーシアがバランスを失って地面に両膝をつく。
「どう……しよう……」
 弱々しいアリーシアの声が確かに耳をかすめる。この地鳴りと悲鳴の中で、そんな小さな声をなぜ聞き取れたのか、ヴァイトは自分でも不思議だった。だがその言葉の意味を確認する前に、丘を挟むようにして二本の巨大な突起が大地を貫いて現れる。
 その突起物が広がり二対の翼となるのを、ヴァイトは絶望的に見ていた。
「おいおい……嘘だろ!」
 咄嗟に剣に手をかける。転がるようにして丘から離れる人に逆流して、ヴァイトは走り出した。
 それを迎えうつように、咆哮が嵐を起こす。
 
 そして、大地が割れた。

『我、アリーシア・クラフトキングダムが盟約の元、大地に命ずる! 我示すもの汝のしがらみより解放せよ!!』

 轟音をかきけして、アリーシアの凛とした声が駆け抜ける。今度はさっきのような弱々しい声ではなく、空気を伝いどこまでも響き渡るような強く力のこもった声だった。その声と同時に淡い緑の光が迸ると、成す術なく地割れに飲み込まれそうになっていた人々が、ふわりと宙に浮く。
 振り返ると、アリーシアが立ち上がり、その周りを同じように緑の光が囲っていた。その周りだけ風も地割れも及んでいない。だが中にいるアリーシアの顔は苦悶に歪んでいた。その表情は魔法が長く持続しないことを雄弁に語っていて、ヴァイトは舌打ちすると彼女とは反対の方、つまり崩れてゆく丘の方へ駆け出していた。
「おい、早く(ここ)から離れろ!」
 辛うじて地面に飲み込まれるのを逃れた者も、まだ状況を理解できていない。そういう者達に手あたり次第に声をかけて、ヴァイトは丘から離れるよう誘導した。だが、丘から突き出た翼が、ゆっくりと動き出すのを見て舌打ちする。
 咄嗟にヴァイトは全速力で走ると、その突起の根元にしがみついた。同時に翼は大きく波打つ。
 瓦礫や人を吹き飛ばして飛翔したのは、巨大なドラゴンだった。

「ヴァイ!!」

 耳元で風が激しく唸る。振り落とされぬように必死で翼にしがみつくが、真下から声がして怒鳴り返す。
「馬鹿! お前も早く逃げ――」
「今、助けますから!」
 早く逃げるよう指示したのに、全く聞こえてはいないようだった。返ってきた言葉に舌打ちする。だが状況を打開しようにも、しがみつくのが精いっぱいで剣さえ抜けない。抜けたところで太刀打ちできるかは怪しいが。

『我、アリーシア・クラフトキングダムが大気に命ずる! 汝の領域を侵すもの、鎮めよ!』

 アリーシアの声が響くと、途端にドラゴンの動きが鈍くなる。恐らく彼女の魔法の作用なのだろう。その隙に、ヴァイトは体勢を立て直すと、翼から手を離してドラゴンの背に登った。だがドラゴンの咆哮が耳をつんざくと、動きが少しずつ活性化していく。
「アリー!」
 アリーシアの魔法の力が弱まったということは、彼女が力を失った、つまり倒れたのではないかと、ヴァイトは慌てて地面に目をこらした。闇の中で光を帯びた真っ白な少女は、しかしちゃんと大地に立っている。

『……ッ、盟約によりアリーシアが力を行使する! 風よ、捕えろ(ヴァン・シェーヌ)!!』

 羽ばたこうとしていたドラゴンの翼が、何かに戒められたように動きを止めた。だが今度こそ、アリーシアが地面に倒れる。
「ッ、くそ!」
 地面を見下ろしていた頭を引っ込めて、ヴァイトはドラゴンの頭までのぼると、間髪いれずに剣を抜いて、力任せにその脳天に突き刺した。だがそれがもたらした結果と言えば、手先から腕まで痺れがかけぬけただけだった。
 ぴし、と剣に亀裂が入る。
「やっぱり駄目か……!」
 おそらくもう一度やっても剣が砕けるだけだろう。だが諦めるにはまだ早い。切り札がないわけではなかった。そして、今はそれを使うしかない。なのにヴァイトは躊躇していた。
「……本当に、何をしてるんだ、俺は……」
 まだ痺れの残る手を、目の前で開く。
 もう二度と。そう誓ったことを、たった数日のうちに次々と破っている。
 世界の破滅。魔法車の異常。封印を破ったドラゴン。
「何だって……言うんだよ」
 ぎゅっとその手を握り締めた瞬間、両翼が勢いよく唸った。
「……!」
 悲鳴を飲み込んでドラゴンが旋回し、その勢いでヴァイトが頭から転がり落ちる。
 辛うじて尻尾を掴んで振り落とされるのを回避するが、体が大きく波打った。宙ぶらりんになりながら、なんとか飛び下りられそうなくらいドラゴンが地上に近づくのを待つ。幸い降下しているようだったが、その向かう先がどこかに気付いた瞬間、ヴァイトは手を離していた。
 やや高度があったが、どうにか受け身を取って衝撃を殺す。打撲は免れなかったが、そんなことを気に掛けている暇はなかった。
「アリーシア!!」
 壊れかけた剣をかざし、なりふり構わず倒れるアリーシアの前に飛び出す。

『……命ずる。風よ……』

 そんなヴァイトを、静かな声が、そしてそれに応えた風が、アリーシアの前から引きはがしていた。  



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