短い悲鳴に、犬の頭と両翼を持つ異形の者ははっとして顔を上げた。その声の主を察することなど何よりも容易で、だが真っ直ぐ駆けていった先にうずくまっていたのは思っていた姿とは少し異なるものだった。
「――イリュアさま、そのお姿は」
「≪ラルフィリエル≫が復活したわ。ガルヴァリエルが、
異形の者が仕える“主”は、苦しそうに息をつきながら、だが気丈にも辛そうな表情は見せずに立ちあがり、そう述べた。
「私の力を押さえようとしているの。……このままやられるつもりはないけど、暫く力は使えなくなる。イル、皆をお願い。私は――」
「イリュアさまは?」
「私は、何としてもデリートシステムを完成させなければならない。もう、あの悲劇から千年以上が過ぎた。今を生きる者に私たちの過ちは関係ないの。何をしても、どんなことをしても、私は」
黄金の輝きを失ってもなお、彼女は輝いていた。その背を呼びとめることは誰にもできない。それを感じて、異形の者はただその背を見送った。彼らにしても、また祈るしかできなかった。救世主が現れることを。
この歪みと滅びを正し、止める者が、彼女の目に留まることを。
「私は、この救済への筋道を貫き通す」
ディラルド・フィストは、そのとき何かの声のようなものを聞いて、遺跡を進む足を止めた。
考古学者である彼は、同じく考古学者であり師でもある実父と共に遺跡を巡り、そしてそこに眠るものを発掘することを生業としていた。――していた。過去形となるのは、今は全く逆のことをしているからである。
今も、彼は実父と共に遺跡を巡っている。だが秘宝の発掘は随分と前に止めてしまった。
ある、おそるべき古代秘宝を日の元にさらしてしまったそのときに。
それはまだ学者として駆けだしの頃だった。若造というよりひよっ子だった頃だ。だから、知識があったわけでもない。ただの偶然の産物にすぎなかったが、学者の間でディラルド・フィストとその父、エライズ・フィストの名を知らぬ者はいない。それほどの偉業を彼は成し遂げていた。否、成し遂げてしまった。本人の思いとは関係のないところで、それは大陸中を走り抜け、全国の学者やトレジャーハンターを焚きつけ、空前の発掘ブームを巻き起こしたあとに悲劇へと繋がった。
魔法文明で栄えた古代の力を秘めた秘宝。列強はそれを欲し、奪い合って戦を起こすのはすぐだった。悲劇はそれだけに留まらない。次々と発掘される古代秘宝はその力をあますことなく戦で発揮し、恐るべき爪痕と化し、最後には暴走して大地を死滅させた。
その頃には、ディラルド・フィストは己の所業を悔い、嘆き、父と共に戦場を渡りながら遺跡を封印する旅に出ていた。
それが、せめてもの罪滅ぼしと信じて。
その日遺跡を訪れたのも、その目的だった。だがそこで彼を待ち受けていたのは、封じるべき古代秘宝ではなかったのである。
「――父さん。今、声がしませんでしたか?」
自分の耳を信じるならば、確かに声がした。それも、か細い、女性の声だった。だが、今発見した遺跡で女性の声がするなど、少し不自然な事態ではある。
「いや、私には聞こえなかったが。幻聴であればいいが、秘宝のまやかしか、守護者では」
父も同じように思ったのだろう。身構えた父を見て、そうではないと言いかけ、だがディラルドは小さく首を振った。
秘宝は恐ろしい。そして、時にそれを護る守護者もまた、侮れない妙な力を持っているときがある。自分を過信するのはよくないことだ。ディラルドもまた身構えたが、声はまた耳に飛び込んでくる。
「……けて」
たすけてと。ちゃんとは聞き取れなかったが、そう言っているように聞こえた。父を見ると、今度は父にも聞こえたようだった。頷きあい、だが油断はせず、慎重に、早足で遺跡を進む。すぐに最深部は彼らを迎え入れ、そしてそのとき声の主もまた明らかとなった。
「救けて」
そこにいたのは、長い黒髪と、深紅の瞳をした少女だった。